一人の人間として此の世を生活するのに、「劣等感」を持たずに生きている人は居ないでありましょう。
全ての人は、必ず、「劣等感」を持ちながら日常生活を送っているのですが、唯、周囲の他者から見られていて、気づかないだけです。
誰もが、自分の「劣等感」を他者から気づかれないように考えながら生きています。
お金持ちの人も、有名な人も、皆が同じ心境を持ちながら日々を過ごしています。
「お金が有れば」、幸せかと問われれば<<そうでは、ない>>と伝えておきます。
「有名で有れば」あるで、幸せかと問われれば、<<違う>>と伝えておきます。
赤ちゃんとして生まれて、「劣等感」については多分に<<満2歳頃までには、親や周囲の人たちに植え込まれて来て>>いますね。
何故って、心理学的には、満2歳までに、「第1期の不信感の形成」と言われています。
その後からの諸々の心を「第2期の不信感形成」と言われています。
人は幼い頃から、既に、「不信感」を蓄積していますし、こんな心が多ければ益々と「劣等感」も多くなってきます。
勿論、満2歳では自分の「劣等感」に気づかないし、そんな言葉の表現も出来ません。
誰もが幼い時から持っているのですが、勿論、そんな自分を判定する能力は無い訳です。
自分で勝手に泣いたり、不安感を表出したりの状況でありましょうが、一般のお母さん達には詳細な心を理解できません。
生まれる前の前世についてなど、話す積りは全く有りません。
しかし、胎教ですね、母親の胎内に居る時から、赤ちゃんが随分と<<母親の心や行動や会話>>などについて、何らかの影響を<<胎児が受ける事は>>間違いないでしょう。
胎内に居る時に、母親が興奮すれば<<血液の流れも違うし、心拍も異なってきます>>ので、胎児にも眼には見えなくても<<何らかの影響はうけます>>よ。
新生児として此の世に現れて来ると、今度は、誰がお乳をやるか、ミルクをやるかでもあります。
これは、乳児の間もずっと続く問題でしょう。
誰が、お乳、ミルクを赤ちゃんに飲ませるか、どのくらいの時間までミルクを待たせるか、オシメの交換も、そうですが・・・。
赤ちゃんながら、心の葛藤を溜め込んでゆきます。
本当に幼い赤ちゃんの時期から、心の葛藤を<<自分の海馬に溜め込んで>>ゆきます。
ミルク、お乳、などだけでなくて、周囲からの声かけやスキンシップなどが無ければ、人として育ちませんからね。
胎児、新生児、乳児、満2歳までに、既に、人の心には沢山の心の葛藤を溜め込んでいるのですが、無意識的であり、大人になっても「過去を振り返らない」と気づきません。
「三つ子の魂、百まで」、などと昔からの言葉があり、これは、満2歳です。