<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」3

 2回にわたって、「「論考」」を重ねてきましたが、患者さんの{{こころ}}を治すために、或いは、普通の人達&社員や管理者の{{こころ}}の教育や立派な「「人格矯正」」へのために、何が一番に重要かと言う事です。

 誕生の頃の{{こころ}}を思い出すのは困難でしょうが、3歳頃の思い出は案外と記憶の回想が出来るものです。

 「「顕在意識」」を「「雨傘」」や「「日傘」」に例えるならば、人間は{{根っ子}}の方の{{こころ}}から明確にして治しておくべきでしょう。傘の柄からですね。

 そうする事で、「「雨傘」」も「「日傘」」も立派に捩れないで開くものです。

 

  そう、人間の{{こころ}}=「「顕在意識」」も立派になってゆくのだと言っているのです。

くねくねと捩れた茎の上には、また、「「傘」」の下に弱い棒が有って支えているのでは、どうにもなりません。

壊れる、だけでしょう。

  人間の{{こころ}}も面白いものです。

過去の{{こころ}}が歪であると、現在の{こころ}}も歪になってしまうのです。

だから、人間の{{こころ}}も、現在の{{こころ}}を治そうと思わないで、過去の{{こころ}}から治療して欲しいものです。

 

  何故か、全ての人間の「「会話」」や「「行動」」や現在の「「こころ」」は、自分の過去の{{こころ}}から操作されていますからね。

どうぞ、松茸や椎茸にしても、或いは、「「雨傘」」や「「日傘」」にしても、その根っ子になる場所を矯正しなければ、役立ちません。

人間の大きな「「顕在意識」」を支えるためには、何処が一番に大切かを知って欲しいものです。

   繰り返しますが、当方は、フロイドやユングのような考え方には反対なのです。

 何処までも、「「顕在意識」」は、逆三角形の一番の上であり、お皿の様に大きく広がっているものです。

「「無意識」」や「「潜在意識」」の方が、遥かに小さいものですけれどね・・・!!

 

  学校や職場にて、歪な人間が居た場合はですね、仮に、彼等を治してあげたいとか、彼等の{{こころ}}&「「性格」」&「「人格」」を何とか矯正できたらと言う場合には、説教や助言では100%不可能ですから、注意が必要です。

  「「顕在意識」」の存在と認めるのであれば、そんな上方の「「傘」」だけを治そうとするのではなくて、下方の「「潜在意識」」や「「無意識」」を矯正するのが、一番に最高でしょう。

 人間は、{{過去のこころ}}を置き去りにしたままでは、{{現在のこころ}}は絶対に変わらないでしょう。

「「反省」」も、過去の{{こころ}を見る事であり、「「懺悔」」も過去の{{こころ}}を見つめて、「「告白」」する事です。

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