<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」1

 当方、随分と長期間にわたり「心理療法」に携わって来ております。

本当に長い間、{{こころ}}の治療に関わって来ましてから、ふと、気づいたものです。

精神医学界ででも、フロイドやユングの考え方が受け入れられているものと思われます。

 ですが、沢山の{{こころ}}について記載していまして、気づいたのは、人間の「「顕在意識」」は氷山に浮かぶ海面の一角の氷の欠けら「「一塊」」とは、違うのです。

或いは、また、絶海孤島の中の小さな離れ「「小島」」ではありません、ね。

考え方の気持ちは、理解できますが、どうしても不都合だと考えざるを得ません。

 

 人間の現在の{{こころ}}は、誕生後から、新生児~乳幼児~小児~児童~学童~生徒~学生~青春期~成人期~壮年期~高齢期~~最後は「「死亡」」のみでしょう。

そう、ここでは、遺伝子の中に組み込まれた「「こころ」」なんて、まだまだ、人間には解明されておりません。

 当方は、そんな不確定な事については、一度も話をした記憶はありません。

一方で、母親の胎内に居る時に、どのくらいの{{こころ}}=「「意識」」が植え込まれるかも、未だ、不確定でしょう。

{{こころ}}については、悲しいかな、矢張り、まだまだ、解明されておりません。

当方が感じるのは、母親の胎内にいる胎児には、親が神経質になったりして、動悸や脈拍の変動で頻脈など、或いは、呼吸が早く乱れたりしますと、その位の影響は胎児にも多大に受けるでしょう。

 

 そう、遺伝子については、人間の{{こころ}}が如何なる状況で発現されて来るかは、まだまだ、明確な答えは出ていないみたいです。

統合失調症などは、遺伝子とも少しながら関連しているとも言いますが、遺伝子とは関係ない方の統合失調症もあるみたいです。

 仮に、新生児~乳児の乳離れの間でさえ、人間のスキンシップが一切となければ、そんな人には、それなりの人間らしさを持たないままで、小児となり、普通の人間としては、育たないでありましょう。

新生児~乳児の時期でさえも、そんな環境や{{こころ}}を植え込まれると、決して普通の人間には育ちません。

この事は、明白でしょう。

 

 それで、人間は、今、悩んでいる事柄については、「「顕在意識」」は、氷山の一角だから、もっと、下層の「「潜在意識」」や「「無意識」」を解明して、過去の自分が{{どんな人間で、どんな意識を抱えていたかを知る}}事が重要だと言うのです。

 そんな気持ちは、当方には沢山と理解できますが、よくよく考えると、「「顕在意識」」が氷山に浮かぶ「「一角」」だとか、大海の離れ「「小島」」だと言う考え方が、どうしても納得できません。

しっかりと、「「顕在意識」」とは、如何なるものかを考えましょう。

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