91歳~95歳ですね。
もはや、孤独だとか感じる能力も失せているかもしれません。
一生懸命に、話をしていても、自分の話し方も悪いだろうし、自分の意志は伝わらないでしょうね。
この年齢で、上手に自分を自己表現できる、人達は少ないでしょう。
多くの場合で、廃用症候群で寝たきりか、脳血管障害とか、心臓疾患とか、癌疾患の末期で、酸素を吸って生きている人達も、居ますよ。
既に、経管栄養で命をつないでいる人達も沢山と居ます。
オムツを替えてもらって生きている人達も多いですね。
食事さえ、自分では経管栄養をしていなくても、食事の介助なども受けているでしょう。
そう、誤嚥&窒息したりして、死亡する場合もあります。
肺炎や心不全を繰り返して、医療の手助けを借りて、やっと、生きている場合も多いです。
どんなに考えても、この年齢まで生きる事そのものが素晴らしいです。
歩けなかったり、言葉が伝わらなかったり、行動は何もできないままだったり、周囲からの手助けを待って生きている人達が多いです。
そうですね、家族の皆が仲良くなくては、そして、自分のお見舞いをしてくれる人達がいないと・・・、孤独を感じるでしょう。
それでも、お見舞いをして頂いても、その意味さえ理解できない場合もありますからね。
「人生の終末」は、それほどにその前の段階から念頭に入れておかないと、悩む事になるでしょう。
「一人で、旅立つ」、「孤独で、旅立つ」、そうなのです。
それが、人間の一生ですからね。
その一生の過程が、どうであったかにも関わって来るでしょう。
「人生を、明確にしておかない」と・・、全ては自分の責任でしょう。
折角、此の世に誕生したのだから、笑顔で生きて欲しいのですが、人間ってエゴイストですから、真に大変な生き物だと感じています。
95歳って、孤独でも孤独だと自己表現できない人達が多いでしょう。
自分の家に帰りたいと思っても、残る家族が家に戻してくれない場合もあります。
食事の世話、体の清潔、排泄のお世話を看るって、家族がお世話するのも、本当に大変でしょう。
この年齢で、全部が自分で出来る人なんて居ないでしょうからね。
入浴ですよね、悲しい出来事ですが、高齢者が一人住まいで入浴中にですね、浴槽の中で死んでいるのを、しばしば見受けます。
95歳にもなれば、自分の思う通りには、全てがなりません。