まだまだ、話を続けて下さい。
「生」、「老」、「病」の次ですね。
「死」について、説明をお願いします。
どんな説明になるのでしょう。
まだ、「死」については考えたくないのです。
不安だし、怖い思いをするだけでしょう。
何故、そんな嫌いな事柄を考えないといけないのでしょう。
{お答え}
そうですね、多くの方達が、何故に嫌いな話をするのかと、思うでしょうね。
人間って、面白いですよ。
「死」って、誰にでも、必ず、やって来ます。
誰にでも真実に、未来には、来るものです。
それでも、人は普通では、「死」について語ろうとしません。
それほど、「死」について話をする事は、怖いし不吉だと感じるものでしょう。
一般的には誰も「死」は怖いし、自分の<命が消えて行く>のに、不安があるのです。
そうであるから、人は自分の「死」を受け入れると、全ての悲しいマイナスの不安とか恐怖とか消えて行くものです。
必ず、完全に今の心の葛藤が消えなくても、随分と気持ちは気楽になりますよ。
「死」は、自分が此の世から消えて行く事ですよね。
そんな自分の命を、限り有るもの、限り有る<<命>>と納得さえすれば、結構と気楽になるのですが・・・ね。
その自分の生命の{{終わり}を、人間ってなかなか受け入れるのが、怖いのです。
人間の欲望も、「死」を悟れば減って行きます。
心の病ですね、{心身症}や{神経症}や{うつ病}にしても、根源的には、全ての人でストレスを抱えて<<昇華>>できないから、体にも心にも症状が沢山と出て来ます。
「死」は、人の心も体も、消えて行く事ですよ。
人の体も心も消えるって事は、全てが無くなるのです。
拘る心も、拘る体も、此の世から消失して行くのですから、気楽になれますよ。
拘りの心が無ければ、何も怖いものは有りませんからね。
仏教観の中で一番に大事な事柄は、生きながら「死」を悟る事です。
即ち、「無常観」ですね。
「無常観」→「無我」→「涅槃」、生身のまま「無常観」を悟れば、人の心も直ぐに「無我」に移行して、更に、「涅槃」に入れますよ。
心と体の修行、勉強が重要ですが、「己を知る」心理療法が重要です。
{{己の心}}を知って、「体」の修行に入るのが良いでしょう。
心の修行、勉強、自己を知るのが、大切だと分かるでしょう。