人間嫌いの人達は、多くの場合で、動物や植物を飼育したり育てたりする場合も多いです。
勿論、多くの一般的に心身の健康な人達でさえ、自分の好きな動物を飼ったり、観葉植物として育てたり、また、動物や植物でもって人生で<職業として>働いておられる人達もいらっしゃいます。
日常の家庭生活や職場生活の後に、心の安定を取り戻すために、動物や植物を相手にしている場合では良い事で、何も言う事はありませんね。
立派な社会適応だと思われます。
こういう場合では、人対人の心の対話が十分に出来る人であれば、良いのですね・・・・また、出来る筈ですね・・・。
人間嫌いで、人との対話が苦手だから、淋しいから孤独だから、動物や植物を相手にして時間を過ごしている人達も、実際におられます。
彼等は、自分では、幸せに感じているつもりでも、心の奥底では、自分の潜在意識や無意識の心の世界を旅すると、結構と{今ある自分と自分の心}を理解できるでしょう。
こんな話をしておりますが、所詮、人間は、誰しも、動物や植物の恩恵を受けて<今ある現在の生活>が出来ています。
その事実を一般庶民も考える必要があります。時には、じっとゆっくりとでも、自分の人生を見詰めていると、自分の周囲で起こっている全ての事柄が見えてくる筈です・・。
殆ど全ての人達は、自分の眼前を眺めて、自分にとって都合の良いものを自分に寄せ集めようとするし、自分が嫌いな事や物や生き物からは離れて行こうとしています。
此の世に、母親と父親の因縁でもって誕生を受けた人生、どの年齢まで親の庇護のもとで自分が生活をできるのか、また、何時を{機}に親から独立して自分を生きてゆくのかも、しっかりと、自分自身に納得させておかねばならないでしょう。
人間が生きる場所は全てにおいて、あらゆる動物や植物が居て、そして、形こそ違っていてもあらゆる{無生命体}のお陰で恩恵を受けて、此の世で生かされて生きているのが、人の生命、人の人生であろうと思われる。
多種の動物や植物が沢山と地球上には、見られます。人が知らないところで、無限の恩恵を受けて生かされている事実も、知っておくべきでしょう。
人よりも、動物や植物を相手に生活をしている場合もあります。淋しい、筈です。