96歳~100歳ですよね。
この年齢に来るまでには、沢山の病気もしている場合が多いでしょう。
肺炎を繰り返して、何度も治療を受けたり、ですよ。
そうですね、多くは、誤嚥性肺炎が多いです。
時には、自宅に居ても、更に、施設に入っていても、誤嚥&窒息で亡くなる場合もあります。
この年齢にもなれば、肺炎の治療ですね、強力に治療を受けないと、そのまま治らない場合も沢山と有ります。
経管栄養(鼻から、或いは、胃婁から、など)を受けていても、肺炎になる人達は多いです。
100歳にもなれば、多くの場合で、配偶者も居ない事が多いだろうし、場合によっては、自分の子供達も亡くなっているケ―スは、よく有ります。
100歳では、誰かのお世話になって生きるし、心も体もある意味ではボロボロになって生きているのではないでしょうか。
言葉の表現は、悪いですけれど、本当に確信していますよ。
この年齢でも、感謝、感謝だと<<手を合わせて>>生きている人達も見受けますが、少ないでしょう。
殆どの場合で、知っている家族も近隣や親戚の人達も、亡くなっている場合が多いですからね。
孤独を感じながら、生きる事になります。
息子や嫁さんや孫達が、毎日、施設に来てくれても、<<有り難さ>>を感じて、気持ちよく表現できる高齢者達は少ない筈ですね。
そうですね、人間って生まれて来たら、最後は<<一人で此の世から旅立って>>いかなくては、なりませんね。
勿論、人の命は<<何時の事、何時に果てるかが、分からない>>、それが人生です。
長生きをしたくても、気づかない間に、{死の影}が忍び寄って来るものです。
高齢者になっても、病気になっても、<<死については、理解できません>>が、案外と<<死の直前に、死を悟り>>、ニコニコして此の世を去って行く人達も、時折にですが、当方は知っています。
ですが、死ぬ時に<喜ぶ>よりも、<生きている時に、喜んで>生きた方が良いですね。その事を当方は現実に知って欲しいと思っています。
100歳ですね、真実に心と体は、ボロボロですよ。
周囲の人達になされるがまま、生かされて生きています。
天地に感謝、両親に感謝、肉親に感謝、周囲の人達に感謝、水・地・火・空気に生かされて生きている事に感謝できさえすれば、納得して<<死んで>>いけます。