色々な記憶が有ると、前回の{閲覧文}で伝えました。
記憶に残らなくて良い「「記憶」」さえも、人間はずっと覚えていたりします。
勿論、ここでは、覚えていると言っても、何時も365日にわたり明確に顕在意識(現在意識)の中で記憶しているものではなくて、自分の過去の「「記憶」」を散策していると<<思い出したくなくて、無意識的に{{こころ}}の底に押さえ込んでいる>>「「記憶」」と言っておきます。
そんな思い出したくない過去の「「記憶」」を思い出した時に、本当は凄く嬉しくなるものですが、時折に、{{こころ}}の脆弱的な人はパニック障害を起す場合もあるみたいです。
俗に、{{PTSD}}とか、{{反復強迫}}とか言われます。
しかしながら、当方では沢山の方々が、過去を見つめる「「心理療法」」をされていますが、5000人のうちで、そんなパニック障害かと思わされたのは僅かに「「「2例」」ですね。
{{こころ}}の脆弱な人達に対する「「心理療法」」を行なう時には、先ずは、両親とか片方の親→母親か父親か、或いは、兄弟姉妹の方々が一緒に体験をされると「「パニック障害」」の割合も更に減るものと考えます。
人間って、面白いもので、現在の嫌いな事柄や嬉しくない事柄は忘れたいと思う人達が多いのですが、全然とそんな「「記憶」」を忘れ去る事はできないのです。
大脳の「「記憶」」の部分が何処か、未だ、不明確のようですが、或いは、何年間にわたり「「海馬」」に記憶が残るのか不明ですし、現在の医学会にて不確実なのですから仕方がありません。
「「PTSD」」、「「反復強迫」」などは、同じ様な意味ですが、厳密には少し違います。
大変に大事な言葉ですから、皆様方も念頭に入れておいて下さいませ。
自分の過去の中で<<色々な思い出したくない事柄などは、結構と誰もが抱えて>>います、自分にだけのものではありませんから、安心して欲しいと思います。
しかしながら、自分の過去の生活の中で、どんな嫌いな事柄を思い出しても納得して、自分の過去の事実を受け入れる事ができるならば、立派な人であり、素晴らしい人ですね。
「「記憶」」とは、人間が生きる過程において、本当に大切な大事なものです。
皆様方も、自分の通り過ぎた過去の「「記憶」」を大事に受けてとめて人生を過ごして欲しいと考えています。
幼児、学童、生徒、学生、成人、壮年、老年期、などによっても、「「記憶」」の蓄積は大脳の如何なる部分なのかは、違って来ると思われます。
しかし、現実には、大脳生理学の世界でも、明確になっていない部分については、不確定なものは不確定だと納得しないと、駄目人間になるでしょう。
「「記憶」」が「「海馬」」へ、「「海馬」」から次の記憶装置へ、何年間ほど大脳の如何なる場所に置かれるか、次は大脳のどの部分に蓄積されるのかが、まだ、不確定で、「「記憶」」を「「海馬」」に拘るのは、無理のようです。