<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(9)

 回想して自分の記憶を辿り、色々と考える事は出来るのですが、自分の記憶を自分の大脳の何処から探り出しているのかを、どんなに考えても困難でしょう。

大脳の記憶場所について、「「海馬」」だけを見てみても、「「海馬」」は比較的新しい記憶が残っていますが、その後の記憶は「「側頭葉」」とか「「大脳皮質」」とか言うのですが、人間の大脳の何年前の記憶が大脳の何処に記憶されるのか、全く不確定みたいです。

年齢差もありますし、大人と子供達の「「記憶」」が大脳の何処で何年間ほど残るのかは、まだまだ、さっぱりと理解されていないようです。

人間の生身の「「記憶の実験」」なんて簡単に出来っこありません。

 

 永久に、人間の「「記憶」」が何年間は大脳の何処の場所にあり、その後は、何年間ほど次の記憶場所に置かれるかは全く分かっておりません、ね・・・。

何度も繰り返しますが、人間が「「五感」」「「六感」」で感じる物事が、大脳の同じ場所に記録されて記憶されるかも、場所は「「記憶」」の種類によって違うし、考えると大変なのは、「「記憶」」を求めて大脳の一箇所に蓄えるものではないようです。

見るもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、触れる肌の感じ、言葉の内容や意味などによっても、「「記憶」」の場所は違うものでしょう。

大脳が左脳も有るし、右脳も有るし、どちらの方に「「記憶」」が多く蓄積されるかなども、蓄積される記録の内容によっても間違いなく違う筈です。

「「楽しい記憶」」」と「「悲しい記憶」」は、矢張り、「「記憶」」の場所が違うものでしょう。

 

 ここでは、「「記憶」」の話をしていますが、何度も今回は繰り返して伝えています。

色々な沢山の種類の「「記憶」」が有ると言っていますが、全ての「「記憶」」が同じ場所に蓄積される事は無いようです。

大脳生理学的には、非常に難しい実験でしょう、人間については明確な「「記憶」」の蓄積の場所や種類については不確定のようですから、不確定なものは不確定で認めながら人生を生きるしかないでしょう。

唯、唯、人間の{{こころ}}の「「再生」」と「「新生」」は可能であります。

悩みながら、苦しみながら、嘆きながら、{{こころ}}が落ち込んで<<憂うつで何もしたくない、出来ない状況>>が有名な「「うつ病」」です。

 

 「「うつ病」」の治療では、絶対に薬と安静だけで治さないようにして欲しいと考えます。

人生を如何に見るか、人間の生き様を如何に見るか、悲しいと嘆いている自分を如何に見るか、鬱々として何も考えられない自分を如何に見直すか、情け無い&惨め&劣等感の塊&生まれて来なければ良かった人生、生きているのが辛い人生、何も面白くない人生、死んだ方が気楽かなと思う人生、自分以外の他者を恨んだり怨念を抱いたり、他者への嫉妬を膨らませたり、とにかく、マイナスの気持ち&感情だけを抱えて生きるのが、「「うつ病」」の特徴で大変です。

楽しい{{こころ}}に生まれ変わるために、「「心理療法」」の体験です。

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