<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(8)

 人間の「「記憶」」なんて、当方は、少し簡単に言い過ぎたのかも知れません。

一般的には、人間の「会話」・「行動」・「心」など、喜怒哀楽にしても、「「海馬」」で記憶をするのですが、「「海馬」」での「「記憶」は比較的に早く消えて行くようです。

その後には、「「海馬」」から「側頭葉」」とか「「大脳皮質」」で記憶されると言いますが、明確には<<どんな状況が、どんな位置で、どんな場所で正確>>に記憶されているのかが、まだまだ、大脳生理学の世界にても明瞭になっていないようです。

どんな状態で、人間の色々様々な「「記憶」」が蓄積されるかについては、何度も繰り返して伝えますが、明白ではないですね。

 

 喜・怒・哀・楽などについても、それだけで記憶される場所も違ってくるみたいです。

そこで、人間にとって分からないもの、知る事ができないものは、それはそれで置いておきましょう。

ですが、{{こころ}}・{{性格}}・{{人格}}を変えるためには、大脳での記憶の場所は何処でも良いとしておきましょう。

自分の「「記憶」」を回想して、自分が如何なる人間であったかを{{悟る}}ことですね。

「「無常観」」を悟るのは、普通の方達には大変に難しいものだし、お住職さんでさえも「「無常観」」を悟るのは困難です。

しかしながら、「「懺悔」」ですね、「「懺悔」」だけできれば、人間世界を気楽に楽しく生きるのが可能となるのです。

 

 自分で自分の考え方でもって、人間世界を気楽に喜んで生きるのは難しいです。

殆どの人達が悩みながら、苦しみながら、嘆きながら、自殺したいほど悩んでも、自分で自分の人生を変えたいと考えるので、大変です。

自分の悩みを簡単に自分で変える能力のある人は、あまり悩む事なんかありません。

又、悩みが深くなればなる程に、自分の思いは「執着」と「拘り」だけになって何とも出来ない{{こころ}}になってしまいます。

当方、随分と長い間、「「心理療法」」を行っていますが、本当に大変なのは、生い立ちでの{{習慣}}なのでしょう。

 

 自分の生い立ちの「「過去」」を思い出さない人達にも、しばしばと出会います。

どんなに頑張ってもらっても、自分の過去を思い出さないのです。

やりっぱなしの人生だけであって、「反省」なんか出来ません。

面接を重ねても、何度も何度も面接を重ねても、思い出さないのです。

時には、当人は自分の{{過去}}を偽っている積もりはないのでしょうが、話を聞かされていても、その都度に過去の話の内容が異なって来る場合もあります。

或いは、自分の過去の話が異ならないにしても、全然と過去の記憶が出て来ないのですから、「「反省」」も「「懺悔」」も何も出来ません。

己の「「過去」」の{{こころ}}だけは大事にして下さいませ。

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