<<投書>>内観便り(1)

X より、当研修所での内観後のお便りです。

( 皆さまのお役にたてればとのご許可をいただき、掲載させていただきました。)

「「病は気から」」、を今読み終わったところです。
本を買って本当によかったです。
本を読んで、ビビッときてしまって、今急いでメ―ルをしているところです。
家に帰ってから、なぜ、私は「・・・・男性から離れたい、過去の男性のしがらみを全て切りたい」と悩んで悩んで悩みまくって、内観をしようと決意したのか?
過去の記憶で思い出す嫌なことその他、「「つきあったり・・・男性のことばかり」」なのはなぜなのか?
なぜ。最後の絵で、私の結婚後の家族の三人の絵を描いたのか?
ずっと考えていました。
でも、はっきりと答えが出ないまま帰りました。

帰って先生の本を読んで、やっとそのことに答えがでました。

私がビビッと答えがでたきっかけになった文は
・ (p224)人間は、常に過去で満たせなかった心=固着を、今の現在と未来に向かってすることで、自分の過去における積み残しのこころに対して埋め合わせしようとしており、自分の顕在意識と潜在意識と無意識を満足させよとしている。
・ (p227)人間は、自分の過去で満たされなかったことを、今の自分に何かをすることで満たそうとして、常にそのように生きている(すなわち、過去の補いをしようとして生きていると言ってもよい)。
・ ・(p22)今、悩むということは、その悩みは「過去の悩み」と重複しているが、ほとんどの人たちは気づかない。

あ~!!
そうだったのかと思いました。

私にとって、
「自分の過去で満たせなかったこと」
とは
「父親から無償の愛を受けること」
とは
「過去の悩み」
とは
「父親から無償の愛を受けられなかったこと」
ということだったと気づきました。

でも、家族の前で父親がいなくてさみしい」と、
一時的には愛情の欠乏をしのげるけれども、
それは一時的であって、恒久的ではない。

なぜ家族の絵を描いたのか?
たったひとり、生涯愛してくれそうな、
父親のように私を包んでくれそうな存在=結婚相手が欲しいと思ったのだと思います。

ハッとしました。

先生の本を読まなかったら、
きっとこんな気持ちにはなれなかったと
思います。
本当にどうも有り難うございます。

まだまだ未熟ではありますが、
内観を、今後も続けてゆきたいと思っています。

 

所長より

素晴らしい御丁寧な感想文を頂き、本当にありがとうございます。
人間は、誰も皆が、自分から「「外側」」を向いて生きています。
自分の好みを求めて、自分の好みの人間を求めたり、自分の好みの環境を求めて生きているのです。
人間の存在は、外観的であり、「「外観的人間」」と言います。
内側を見つめることのできる少数の人間が、「「人を救う」」との言葉もあります。
随分前の言葉であり、200年以上も前の言葉ですが、現在の皆様方は知っておられません。
人間の{{こころ}}については、意外と昔の人達も詳細について知っているものです。
「「真実のこころ」」とは、「「真実の存在」」とは、などなど考えているものです。
①「「人間に生まれて来たのは、有り難し」」
②「「今、生きているのは、有り難し」」
などの言葉があります。
①. 人間に生まれたのが、{{ありがとう}}、ではありません。
人間に生まれて来たのが、不思議ですね、と言う意味です。
②今、生きているのが、不思議ですね、と言う意味です。

付け足しの話になりましたが・・・、

随分と、{{こころの世界}}については、悟られて来ておられますので、これ以上の言葉は入れないでおきます。

 

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