<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(2)

 記憶は「「海馬」」だと言われていた時代も、少し違ってきているのでしょうか。

まだまだ、人間の「知恵」は足りていないようです。

そう、人間の体の病気も完治は難しいくらいですから、{{こころ}}の完治も難しいでしょうが、どちらかと言えば{{こころ}}は、逆に、人間の「知恵」で早く速やかに治るようにしたいですね。

人間の体は、必ずや、年老いて滅してゆくのですから、何処まで、人間が、何歳まで「「体」」に未練をもつか、その辺りが考え方によっては難しいでしょう。

 

 何時までも、継続できる「「生命」」ではありませんが、人間の欲望は面白いもので理解できている筈なのに、理解が出来ていないのです。

自分の体は何時までも有り得るものではない事を、真実に悟っていれば、そのような人々はあまり悩まない筈なのですが、・・・・。

面白いもので、自分の[体]を大事にする人達ほど、案外と悩みを抱えて生きる場合も多いですね。

何年も生きれば、人間の体の肌の色も次第に衰えていきます。

ですが、自分の体に拘る人々は、自分の年老いてゆくのも案外と辛い思いをします。

 

 「「記憶」」って、面白いものです。

「「記憶」」があるからこそ、人間は人生を喜んで楽しんで生きる事ができます。

悲しい出来事だと考えるか、そうでもないと考えるかは、その人の思考体系に関わっています。

「拘らない」、「執着しない」、「差別しない」、「分別しない」、「偏らない」、「異物化しない」、「捕らわれない」、などなどと明確に自分で{{こころ}}を読めれば気楽に生きられる筈でしょう。

「「記憶」」って、しっかりと考えると怖いですね、面白いとか、楽しいとか、そんな事柄も全部が「「記憶」」による御蔭ではあります。

 

 まあ、ここで触れたかった事柄は、人間の「「記憶」」の全てが「「海馬」」に記憶されると考えられるようですが、「「古い記憶」」は側頭葉にも記憶されるようでとも、言われます。明確な大脳の生理学、格別に「「記憶」」との大脳生理学&生化学などの詳細な「「記憶」」状況が、まだまだ、不透明です。

今後において、どのくらいが明確になるのか、人間の個人の五感六感の過去の歴史が如何に明確に大脳の「「海馬」」以外に記録される場所(大脳実質の一部でしょうが・・・)が発見されるかでありましょう。

人間個人ついて、不透明な事柄が沢山と不明のままでありますから、人間の知性と理性と科学と技術などと言いますが、大変に難しい問題が残されています。

今後の何時、明確になるかも不確定です。

 

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