<<心の世界>>36の質問 (9)

  過去を見る、過去を見たら、自分の人生が変わりますか。自分は変わっても、眼前の人間とか状況や環境は、先ず、絶対に変わらないと思った方が良いですね。
だから、自分が変わっても、意味が無いでしょう。
先に、眼前の物事が変わらないと、全く、自分も変わりようがありません。

{お答え}
一般的に、皆さんは<そんな質問>をされますね。
その事について、質問を受ける事は多々あり、そうですね。
よく受ける質問ですが、他人が変わらないと自分も変わらないと答えられる人達は、どちらかと言えば<人間の心に疎い>人達ですよ、心について勉強していないとも言えます。そんな人達ばかりが、地球上に住んでいたら大変な事態が起きて来るでしょう。
何故ならば、人間って誰もが<<何らかの欲望>>を持っています。
誰もが<<欲望>>を他人に衝突させると、此の世の中は如何なる事態が起きるでしょう。

 人間社会を生きていくには、自分の<<欲望>>も少しくらいは減して生きる事です。

お互いが、我慢をしながら地上で生きているのではないでしょうか。

<<我慢>>、<<我慢>>、そうです。

<<我慢>>と言っても、ある事柄について<<我慢>>だと言っても、人それぞれで、ある人は<<我慢>>だと感じない人も居るでしょう。

また、別の人は、他者がそれなりに<<物事について適度に耐える>>事柄にも、耐えられないと言って<<大変な苦痛や苦しみ>>を感じるかも知れません。

そこで、人間社会を生きるには、{思うままに、ならない}のが人間社会だと感じて納得する能力が必要でしょう。

 

 当方がここで言うのは、眼前の物事に何事が起ころうとも<眼前の物事に流されて>生きると言う事ではありません。

先述しましたが、嫌いな事、好きでない事、自分には不都合な事、自分にとって{どうにもならない事}などに対しては、流されるだけではいけないでしょう。

そう、{共感}、{妥協}、{受容}、{拒絶}、などなどについて、どこまで正常な範囲で判断をできるか、どうかであります。

この<<判断力>>が、正常か、異常か、誰が決定をするかって難しい問題です。

 

 結論を、伝えておきましょう。

人は、多くの人達がですね、相手が変わってくれたら自分も変われると、考えています。

そんな考え方をしていますと、世の中がギクシャクとして、自分自身も上手に生きる事が大変に難しくなります。

相手が嫌いと思っても、唯、唯、嫌い腹立つとか思うと自分が疲れますから、相手に対して、自分の心に悩み苦しみが生じないように、心を鍛錬しておく事、大きな{器}の心になっておいて欲しいです。

 

 切磋琢磨、己を知る{策}が重要です。

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