過去を振り返る事には、一応、納得したいのですが・・・、
なにゆえに、<<過去を振り返る>>のでしょうか。
何で、{過去}が重要かを、明確にもっと教えて下さい。
{お答え}
人は、誰もが自分の人生を一生懸命に生きている積もりです。
だが、そんな自分と思っていても、案外と第三者が評価すると<<全く違っている>>場合も多いです。
人って、余程の事、注意して自分の心を点検していないと、自分の心が分かっているようで・・分からないままに生きています。
今の自分の考え方は、自分の過去の自己中心的な考え方の塊の集積で、現在が有ります。
だから、自分の考え方は立派なものだと、自分で信じていても駄目なのです。
自分の心は、自分で評価できません。
此の世の中で、自分の周囲が、自分を如何に評価してるか、見える人は誰も居ませんね。
自分の心が如何なるものかは、自分で決定できますが、自己中心的な考え方が入ります。
他者が判定して、初めて、立派な心か立派な人格者か、を決めるものです。
それ故に、過去を自分でみつめないといけませんね。
私は満足に生きていると言っても、歪な人生を過ごしている人達が沢山と見られます。
そう、人生って確かに、自分が満足して生きていれば良いのかも知れませんが、ある時期を通して<人の心はコロリと変化>します、しかも悪い方へ変化しますから、全く大変ですよ。
恐ろしい程に、一瞬に、心は変化するものです。
人生は楽しい、人生は喜び、だと言っていた人達が、瞬時に<悲しい>、<辛い>などと言い始めます。
皆が、唯、唯、一生懸命に生きている積もりでも、まだまだ、心底、心のエネルギ―を使っていません。
今、人が生きて思考している、考えているのは、氷山の一角です。
氷山が海に浮いていますが、人は海面上に出た部分だけの頭を使っているのです。
その海面の下にも氷山は、まだまだ、大きな塊となって有ります。
その海面の下で、表面上からは見えない部分の氷の部分が、人の探淵の心で、大切です。
余程、鈍感な人達でない限り、自分が楽しく喜んで生きられるように、努力はしていると思います。
「老」・「病」・「死」は、まだまだ、先でコメントしますが、多くの人達が、自分の「生」だけで精一杯でしょう。
今の現在の自分を生きる事だけ、或いは、近未来のみしか見えません。そう、家を建ててなんて、私は随分と未来を眺めて生きていると言っても、やはり、自分の年老いて行く先の「滅」までは考えません。
人間存在の、{在り方}を知る「心理療法」が重要です。
そう、自分の「滅」を体で悟るのが最高に大切です。