人は、何時から【人】と呼ぶのでしょう。
誕生する前から、【人】と呼んで良いのでしょうか。
胎児の何ヶ月目から、【人】と呼ぶのでしょう。
この事については、各学問の学者の考え方で違います。
新生児からは、確実に【人】と、誰もが呼ぶでしょう。
これは、どんな分野の学者でも、否定が出来ません。
赤ちゃんが誕生してから、8ヶ月で目前の判断が少しできるようになっていると、言うくらいです。
よく、言われるのは、2歳までを第1期の「不信感」、その後に生ずるものを、第Ⅱ期の「不信感」と呼びます。
人の「記憶」って、素晴らしいですが、マイナスの「記憶」が積み重なっていきますと、大変です。
時には、マイナスの過去の「記憶」が、今の現在になって恐ろしい事件、怖い事件につながってきますからね。
その後の、人間が成長する段階において、或いは、成人になってからも、心の葛藤は人が生き続ける限りにおいて、蓄積していくものであります。
小さな悟りを開いて生きている積もりでも、余程の大きな「悟り」=人生哲学よりも、もっと「無常観」の悟りの方が大切ですがね。
最初から、難しい言葉を使っても、皆さんが大変でしょうから、難しい言葉と難しい表現は後回しにしましょう。
乳児の時期にても、例えばですね、人のスキンシップが無ければ、人間として育たないでしょう。
ミルクを飲ませても、人の肌に触れないままで、哺乳瓶でやっていると、最終的には命をつないでも、乳児の心は成長しないでしょう。
また、格別に、人の会話も無ければ、人の言葉を乳児の時から聞いていないと、大変な育ち方をします。
簡単に言えば、スキンストロ―クと会話のストロ―クが100%必要です。
しかしながら、動物のストロ―クや動物の囀りや吠え声を聞いても、人として育ちません。
もう、この頃から、乳児の頃から、そのようになっていますよ。
乳児から乳離れ~満2歳まで、少しずつ目前が見えて来ていますよ。
母親の顔だけか、見知らぬ人の顔が何時もコロコロ変るのであれば、何を信用して良いか理解できませんね。
自分の肌で感じる事、自分の口で飲む食べる事〈舌で味わう事〉、自分の耳で聞き取る事、自分の眼で確認する事、自分の鼻で匂う事、などなど、小さな赤ちゃんの海馬に残っていきますから、子育ては大変ですね。