<<心の世界>>人間像(15)視点を変えて・・・・人間社会を見る

 大方の方面から、人間社会を眺めている積もりです。

唯、もう一つ、体での理解は困難かも知れませんが、伝えておきます。

何度も、無常・無我・涅槃、などと言葉を使ってきました。

この意味は、人間個人、いや、人間全体像があまりにも小さな存在だから、人生を悩まなくて良いではありませんか、という意味です。 

 

 自分を、自分の実在を如何に<<肥大化>>させても、宇宙から自分を確認できれば、勿論、イメ―ジの世界になりますが、人間個人、人間の集団、いや、地球そのものが小さくて見えないくらいですよ。

そんな小さな地球で、何十億の人間が住んでいます。

そして、互い人間達が仲良くならず喧嘩や戦争や、政治、経済、民族、宗教、などなどで騒いでいます。

この事実を地上の人間達が、改善できないのが事実であり、永遠に解決できないのでしょう。

 

 小さな地球、小さな星、小さな砂粒の中での人間達の問題が素直に解決できないので、哀れでもあります。

その{哀れさ}を非難しないで、どうしようもない事実であり、これが人間の本当の生き様なのだと、確認して受け入れて欲しいものです。

仕方ない事柄が、解決できない事柄が沢山と山積みされています。

こんな状況は、確かに、自分の日常生活と関係ないよと、言う人達も居るでしょう。

確かに、そうですが、自分の人間社会での生き様にては、どれほど大きな視野を抱えているかが、その人の生き様にも完全に影響しています。

 

 そう、今回は、時間の中で人間は生きているという話ですね。

太陽系の出来上がったのが、約55億年前、地球の歴史が、約45億年前と言われます。

地上に単細胞が現れたのが、35億年前と言われます。

時間を縦軸にして、人間としての地上への出現、いや、人間個人の生存期間は<<本当に真に短い、線香花火が燃えて消えてゆくような>>ものです。

そんな短い命ですが、短い命を悲しいと思うか、短い命だからこそ<<悩む時間は,無いのだ>>と考えるか、これが人間がエネルギッシュに生きるかどうかの、分岐点となるでしょう。

 

 生命が、短いからこそ自分の命の限り、いや、心の限り燃えて生きる事が重要です

燃えカスになって、膝を抱えて座り込むか、布団の中にうずくまるか、それでも、残りの時間を再び燃やして生きる事を考えるか、どちらを選びますか、終焉まで燃えましょう。

人間として誕生した時から、人間個人に与えられた時間には、限りがあり短い実在だと知っておけば、又、どれほどちっぽけな自分かを知っておけば、{見栄}{虚栄心}{劣等感}なども無くなる筈です。

但し、体で理解しましょう。      

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