「あなたの存在観を、描いてください。」 何も・・・描くことができなかった。
私は一週間、心の病を治すため、治療をした。
それは簡単ものではなく、逃げ出したくなるほど辛いものだった
でも最終的に私に残ったものは、苦しみでも悲しみでもなく、今までに感じたことのない、大きな大きな感謝の気持ちだった。
家がある、部屋がある、ご飯がある、服がある、学校へ行ける、友達がいる、親がいる、そして今ここに私が生きている。
その他たくさんの「当たり前」が決して当たり前でないことを、心の底から知った。
そのどれもが、本当に奇跡だと思った。
私の大切な人達が生きてくれているだけでも十分に幸せなことだ。
なのに、私はどれだけのことを、してきてもらっただろう。
また、私はその人達に何をしてきただろう。
誕生日に、「生んでくれてありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。」と、思ったこと、言ったことが、一度だってあっただろうか・・・。
「ありがとう。」なんて、言葉を覚えた子供にだって、簡単に言える。
でも、「ありがとう。」という言葉を理解し、心からそう感じて伝えることは、想像以上に難しいことなのだ。
「いつもありがとう。」というたった八文字の言葉の「本当の意味」を理解し、それを伝えるまで、何故十五年もの月日がかかったのか。
それを理解したその時、私の目から、大量の涙が止まることなく溢れ続けていた。
ただひたすらに、「ごめんなさい。」と「ありがとう。」を繰り返し繰り返し、声にならない声で泣きわめいていた。
私には、どうしても整理のつかない問題が残っていた。
実の両親のことだ。
子供の素直な意見としては、やっぱり両親には仲良くしていて欲しい。
どんなに幼く、言葉が分からなくても、子供はとても敏感に両親の感情を察知する。
でも、子供だって成長していく。
子供ながらに大人の事情を、嫌でも理解していかなければならないのだ。
私の両親はお互いに嫌いあっている。
少なくとも、子供である私にはそう見えるからだ。
子供は決してどちらの方が好きだとかはないと私は思う。
両親共に私は素晴らしいな、と思うが、お互いダメなところ、嫌いなところしか見ていない、・・・というか見ることしかできない。
考え方を少し変えれば・・・と子供は不思議に思うが、大人はそう簡単に上手くはいかないのだと知った。
誰にだって許すことのできない人はいる。
両親には仲よくして欲しいけど、そんな我がままを言っていられない。
私は治療する中で、やっとこの問題を自分で解決することができた。