人間って、そんなものでしょう。
殆どの全ての人は、自分が得をする事、他人よりも優位に立ちたい事、所謂、「勝ち:負け」・「得:損」・「優越:劣等」・「受容・拒絶」・「好き・嫌い」、などなどの感情で生きておりますが、そんな自分の心には<<全く気づいて>>いない人達が多いですし、多すぎます。
一般的には、世の中の人達は、自分の属する集団の中の出来事にしか<眼が届かないのが普通>です。
自分が住んでいる以外の地域の出来事や色々な人間や色々な環境などに<しっかりと自分の眼が届くようなら>ば、上記のマイナスの感情に気がついた時は、結構と気楽になれるものでしょう。
人間の{幸福}は、お金や地位や名誉や、はたまた、好きな異性の人が沢山いる事が幸せだけではないでしょう。
普通の庶民、一般庶民と同じ考え方をしていると、同じ生き方しか出来ないでしょう。
自分の考え方が、一番に正しいと考え込んで生きている人達の多い事です。
当方では、よくよく、患者さんに説明しますが、最近では、病医院で<心の話をするのは、禁句だと>感じています。
だってね、心の真実を語れば、語るほどに、患者さんや、いや、患者さんでなくても、普通の庶民でさえ、真実なる心の話をする人間を見てから、<この人は、頭が可笑しい>のではないかと、思うくらいです。
いかなる病気にしても、患者は医院に薬を貰いに来るのが主体で、心の話を聞く耳は持たないので、大変です。心のカラクリの話が出来る医者は少ないでしょうが・・・・。
それほど、人間は<心の世界、自分の心さえ見よう>としないのですから、まして、他者の心なんか見える筈はありません。
人は、「会話」・「行動」・「心」、この三つしかありません。
何度も繰り返して、この言葉を伝えているのですが、人間の本性は{強情}のようです。
耳で聞いて、自分の大脳の海馬に取り入れて蓄積させて記憶しようとはしなのだから、面白い生き物ですよ。
「心」が、全ての「会話」と「行動」を操作して操っているのです。
それで、心が一番に大切だと伝えている訳です。
一番に大切な「心」を置き去りにしたまま、人が自分の人生を生きようとするところから、様々な問題が起こってきます。
人間、必ず、時間に<流れて>、年老いて此の世を去って行きます。
どんな病気になっても、納得して満足できる人になっておくべきなのですが、まあまあ、少し難しいでしょうね。
「人生とは、何か」、「人の命とは、何か」、「人の命は、限りあるもの」、「生かされて生きて、此の世を去って行く」のが人生であり、人の世の慣わしでしょう。
可能であれば、事実を受け入れておくのが大切ですね。