妹が産まれてからはなおさらで、自分は家族にはいらない人間だと、ずっと思っていた。慣れとは本当に怖いもので、いつしか部屋にとじこもることが普通だった。
誰からも愛されていない、もう死のう。そんなことを考えていた中一のとき、私は産みの母親と再会した。
立派に育ってくれて、ありがとうと、涙を流す母を見て、自分は何てことをしようとしていたのだろうと、自分を恥じた。
私を愛してくれる人がいる。
ただそれだけで、人は生きることができる。
私はそう学んだ。
でも、死のうと思うことがなくなっただけで、あとの生活になんら変わりなんてなかった。
しょっちゅう母に反抗していたし、ケンカもたくさんした。
私は悪くない。周りがおかしいと、本気で思っていた。
自分が内側からどんどんくずれていくことに、気付かず・・・。
つまらない毎日から逃げるように、私は自分を傷付けていった。
冷静に物事を考えることが、もはやできなくなっていた。
そんな状態になる程、私はギリギリを生きていた。
自分は間違っていない。
変わらないのなら、もういいじゃないかと諦めていた。
放っておいて欲しい。
それが私の一番の願いだった。
ただ自由に生きていきたかった。
どうせ、何の価値もない人生なのだから・・・と。
しかし、そうではなかった。
自分を傷付けたとき、私の周囲の人達は、本気で私を怒った。
本気で私を心配した。
同時に、本気で私を愛してくれていると知った。
自分を傷つけることで、周りも傷つくということを、私は知らなかった。
私には、何もかもをひっくり返す程の価値があるのだと、知った。
私が一番私を大切にしなければいけないのに、私が常に私を苦しめていた。
幸せになりたいと言いながら、自分で幸せを逃がし続けていたのだ。
それに気付いた、その瞬間に、私の中に私が存在していないことに気付いた。
<<所長より>> 今回は、上記まででした。
また、この次を(閲覧文)として、掲載していきます。
皆様方には、「心理療法」の大変に凄い{{世界}}が、理解できて来るでしょう。
日本人って、案外と自分の{{心}}について知っていないし理解できていません。
自分の{{心}}の世界を知る事で、人生が気楽になる事が分かるでしょう。
絶対に、間違いありません、ね。
次回を、期待しておいて下さいませ。