<<投書>>{投書}

中学三年、初夏。私は、自分を見失った。

いや、もともと私の中に、はっきりとした私はいなかっただろうと思う。

自分とは何か。

当時の私は、いくら考えても答えのでないこの問いを、何度繰り返し考えただろうか。

考えれば考えるほど、自分が暗闇に消えていくように感じた。

精神の不安定さは、私の身体にも苦しみを与え続けた。

下がらない熱や、目の前が急に真っ暗になる程の立ちくらみ。

そして、何よりも辛かったのが拒食だった。

 私のはっきりとした病名は分からない。

しかし少なからず、私は心の病だった。

私の心の病は、急になったものでなく、幼い頃からの病を私が認めた、というものだった。

心の奥底では、気付いていたのかも知れない。

ただ、認めることがとてつもなく怖く、私は私の上に私をつくり、本来の自分を長い間隠し続けていた。

 平成六年七月。私はこの世に生まれた。

生まれてこなければよかったと、何度も何度も自分を攻めた。

私に母は、若かった。私が生まれたとき、母は二十一歳の若さだった。

全て若さのせいにするわけではないけれど、若さゆえの過ちだと、私は信じている。

一番母親を必要とする六歳のとき、私は母と離れた。

どんなに周囲が母を悪く言おうが、関係ない。

私は一度だって、一秒だって、母を嫌ったことなどないし、周りから母の悪口を聞かされても、私の中の母は、いつだって精一杯の愛情をくれていた。

今から約六年後に、私は母の様に、わが子を産み、育てることができるのだろうか。

そう考えると、母はすごいなと、つくづく思う。

そんな母の娘であることを、私はとても誇りに思っている。

産んでくれて、育ててくれて、愛してくれてありがとうと、心からそう思う。

 そして私が九歳のとき、今の母親と出会った。

今思うと、私は相当愛に飢えていたのだろう。

誰かに甘えたくてしょうがなかった。

今の母親が来て約一年間、私は好き勝手に母親に甘えた。

しかし一年をすぎると、母親は急に冷たくなった。

理由がわからなくて、何度も泣いたことを、すごく覚えている。

何故私は母親という存在に恵まれないのだろう。

そう考えだすと、涙が止まらなかった。

悲しみは段々と怒りに変わり、好きで好きでたまらなかった母親が、世界一嫌いな人間になっていた。

どうすることも出来なくて、いっそのこと死んでしまいたいとも思った。

本当に辛かった。

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