多くの人達、学童、生徒、学生、誰も皆が勉強だとか運動にしても<<楽しくて、楽しくて>>なんて、無いでしょう。
時には、学校が大好きだと言う人が居るかも知れません。
でも、特殊な状況とか環境とかに置かれた場合でしょう。
勉強にせよ、スポ―ツにせよ、楽しかったり、悲しかったり、疲れたり、嘆いたり、苦しかったり、心の中で叫んだりだとか、また、反対に、嬉しかったり、喜んだり、感激したり、その場その場で{喜怒哀楽}を抱えて生きるのですが、学生生活でも、人間社会でも<<感じるのは同じ>>でしょう。
勉強にせよ、面白くて楽しくてなんて思うのは、自分の計画通りに物事が進んでいる時だけでしょう。
勉強で優秀な成績であっても、その本人が<<その事を喜んで受け止めている>>かと考えると、そうでもない場合があります。
優秀であれば、その優秀さから脱落しないように格別な努力も必要になってきますから、大変な努力をする事が、更に必要になってきます。
学業優秀で学校で一番であれば、一番から落ちないように努力しなければなりません。
一番でなくても、二十番とか三十番とかであれば、万一、一番になりたいのなら、もっともっと努力が必要であります。
学校が好きでなくとも、勉強が好きでなくとも、友達が好きでなくとも、勉強を一生懸命にする場合もあります。
そうですね、自分が未来に目的を持っている場合ですね。
成長したら、こんな人物、人になりたいとか、こんな職業の人間になりたいとか、目的意識を持っている場合ですね。
今は、勉強は辛いとか、学問は面白くないとか感じても、それ以上の目的に喜びや楽しみを持っていれば、現在の<辛さとか、悲しみとか、疲れる、などなど>に対しても耐えられます。
ところが、そんな目的意識を全く持たずに勉強するのが、一番に疲れてストレスともなります。
勉強の意味が理解できなかったら、疲れますよ。
自分は何のために、勉強するのか、何のために面白くない事をするのか、考えるのも嫌いになります。
子供は、子供なりに、子供の時代の「生き甲斐」が有ります。
大人との「生き甲斐」は、異なっています。
親も、時には、子供の気持ちになって、物事を考える必要があります。
親と子供が同じ考え方を出来れば、最高でしょうが、なかなか難しいですね。
子供ながらに、子供としての「生き甲斐」が大事ですね。