{発達心理学}なる言葉があります。
正に、その通りです。
満二歳までに、第一期の{{不信感}}が形成されると、言います。
その後に、第二期の{{不信感}}が形成されると言われています。
こんな風に言われていますが、それ以前の赤ちゃん時代にも<<常識では考えられない程の、心の葛藤を溜め込んで>>いきます。
例えば、誕生後の8週目には、赤ちゃんが無意識的にしろ、自分に{{愛情}}を与えてくれているか、どうかの判断もしているとも、言われています。
この期間を「「臨界期」」とも言っているようです。
勿論、前述しましたが、乳児期において、人間のスキンシップや声かけや、ミルクを飲ませるのに哺乳瓶のみで与えて、声かけやスキンシップなど何も無ければ、人間として育たないでしょう。
この事については、乳児や幼児や小学生や中学生になっても、矢張り、周囲からの適度のストレス=スキンシップや声かけなどが重要でありましょう。
人間は、人間として育ち社会で生きていける人間となるには、それなりの人間からのストレス(良きにつけ、悪きにつけ)をもらいながら、人間との出会いと別れなども記憶していかないと、人間として育ちません。
人間は、此の世を一人では生きていけません。
誰かと一緒に生きるのが、人間でしょう。
さもなければ、余程に自分の愛する物を抱えて生きるか、それでも、自分の愛する人が近くに居て欲しいでしょう。
人間の「「孤独」」って、怖いものです。
何故って、歪な行動を起こすからです。
歪な会話だけならば、「犯罪」に至る可能性は少ないですが、それでも「犯罪」になるケ―スは、多々ありますね。
歪な行動、全てが、その人の{{心}}のなせる「業」でしょう。
「「心」」が、歪な「「会話」」と「「行動」」を起こしています。
そうであるからには、人間は「「心」」が中心ですから・・・・「「心」」が、素直に育ち、大人になっても<<歪な心>>とならないことです。
人間社会の様々な移り変わり、両親の生活の移り変わり、結婚している子供達でさえ、会社勤めでの転勤、遠隔地への単身赴任での仕事などなど、以前の家族の生活が移り変わっている場合があります。
誰と、どんな環境に出くわしても、確固たる自分を確立しておけば、自分の「心・人格」も崩壊してパニックとなる事は無い筈です。
それでも、本当に理想的な「アイデンィティ―」、「心」で育つ事は少ないものです。