親の「超自我」について、少し{{例}}をあげて話をしてみます。
このケ―スは、親の子育て、女の子を育てる場合の事です。
幼い時から、異性を警戒して、女の子が少しずつ成長します。
高等学校~短大を卒業して、実家に帰ります。
短大も自宅から通学できる範囲の、地域です。
学校を卒業して、就労しても親の監視、両親の監視が特別に強くて娘さんの自由は全くありませんでした。
就労して、会社のコンパがあってから、自宅に遅く戻ると、両親が玄関で待ち構えていて<<鬼のように、子供に向かって叱る>>のです。
夜間の遅くまで、何処で、何を、どんな風に時間を過ごしていたかとか、子供さんを責め立てるのです。
子供さんは、幼い頃から親の「超自我」に強迫されて育っています。
思春期になっても、まだまだ、親から監視されて身動きできない<<心の状態>>になっています。
その後、親や親の知人の世話で結婚しました。
運悪く結婚したが、男性は女性に対して欲望を持たない男性でした。
いや、{性への欲望、女性への欲望}はあった筈ですが、矢張り、男性にも{生い立ち}があって、女性をもてなす事に苦手な男性でした。
そう、3年間が過ぎても、全く夜の{お勤め}は無いのです。
女性は、随分と我慢を重ねて来ましたが、どうしようもなくて、{うつ病}になってしまいました。
実家からは、帰っておいで、なんて言ってもらえなくて、心身ともに疲れ果ててしまいました。
当方、男性も「心理療法」を受けてくれないと、上手に解決はできないと親に伝えたのですが、駄目でした。
親の言いぶんは、見かけだけで判断して、相手の男性は立派な人、学歴もあるし、何も言い分、文句は無い筈だと言うのでした。
当方、ここで<<何を皆さんに伝えたかった>>ですね。
子供の幼い時に、親から組み込みこまれた思い・考え方が、凄く怖いのです。
幼い時の子供に植え込まれた考え方は、親の考え方が押し込まれて、子供が成長しても自由になれないと言いたいのです。
親の考え方ですが、子供にとっては「超自我」と言いまして、出来る事なら、子供達が小さい頃から、出来るだけ自由に育てたいものです。
当たらず、触れず、などとも言えるくらいです。
親の干渉の仕方、その程度、方法、などが、重要です。