【閲覧文】で何度も繰り返して、述べています。
{働かざる者は、食うべからず}、です。
人間は、勿論、例外的な場合もありますが、人は誕生して成長した以上は、此の世を生きる限り{働かざる者は、食うべからず}です。
嫌いとか、好きだとか言ってるものでもありません。
この事は、当然で、原則であり「鉄則」です。
心は人の眼には見えませんが、人の心は{万華鏡}のようなものでしょう。
美しい心もあれば、汚れた心もあります。
その中間の心も、あります。
色とりどりの心を、人は持っています。
昨今では、格別に世の中の事件と言うか犯罪なども多くなりました。
自分の考えが間違っているのに、私の心は正しいと思っているのです。
自分の心が正しくて、相手の心が間違っていると、考えている人達は{本当に駄目な人}ですよ。
自分が正しい心だと考える人達ほど、{{我が儘}}な人なのです。
人生を生きるのに、社会の中の企業の集団の中でしか生きる事は出来ません。
一人で農作業をして、一人で生きていくと言っても、やはり、誰かが自分の作った産物を買ってくれないと、人生を生きるのが大変です。
そうであるから、人対人、更に、人対環境への適応が最大に重要です。
自分が嫌いな人には、嫌いだと言って近づかない。
自分が嫌いな環境には、嫌いだと言って近づかない。
現実的に、此の世を生きるのに、自分の考えは正しいと主張して、相手方の考えに「受容」、「共感」、「妥協」、などが出来ない人達は、此の世を生きるのが大変となります。
嫌いだから、嫌だから、好きではないから、気持ちが向かないから、相手や環境に{不満}があるから、だから、自分は妥協できない、などと考えていると、此の世を生きるのが難しくなるでしょう。
自分の意志で、必ず、此の世に妥協して適応して生きるしかないと、感じる人は立派です。
昨今では、インタ―ネットで呼びかけて一緒に自殺するくらいですから、大変な世の中となっています。
青年期の人達のナルシスト、エゴイスト、などは、人格矯正が必ず必要ですが、各自がそんな意識を持たなければ、一生、駄目人間で生きる事になるでしょう。
可能であれば、出来るだけ早く、自分の心の「器」を大きくして悩まないで人生を生きる事です。
自分は、真面目な人と思っている人達ほど、{{我が儘}}な人達であります。
「共感」、「妥協」の出来る人となりましょう。