<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)5

 何度でも、繰り返して言っておきます。

「身代わり不可症候群」・・「身代わり不可症候群」・・大事な大切な言葉ですから、記憶して下さいませ。

人間が誕生した時から、そして、物心がついた時から、「身代わりの出来る子供」であれば親の「恩」とか、親への「感謝」が理解できていた筈です。

昔から、親への「恩」とか「感謝」の言葉は教えられて来た筈ですが、当方が思うには、言葉の説明をしても、聞いた人に伝わらなかったと考えています。

言葉そのものは、非常に簡単で優しいですが、体で「この言葉」を理解できるには、大変と難しいです。

 

 現代社会で、親の「恩」を理解できる人がどのくらい居るでしょう。

親への「感謝」が、分かるのでしょうか。

多分に言葉の意味は分かっても、体でこの「恩」とか「感謝」を悟っている人は、殆ど、居ないでしょう。

この意味が、解釈が可能であれば、「身代わり」出来ている人ですよ。

親の立場に立って、自分を見つめる事になりますからね。

子供の時から、ある年齢になって、無意識的には、親の立場になって「身代わり」が出来ているものです。

でも、子供の時に無意識的に悟った「身代わり」は、何事につけても欲の深い大人の世界に入ると、忘れてしまう場合もありますし、殆ど忘れるでしょう。

 

 誕生して、少しずつ大人への過程で、その後にも、普通の生き方をしていれば、心の葛藤は山積みされて来ます。

時折にでも、自分の過去を振り返り、自分勝手な生き方をしていなかったか、自分の「過去」の道を歩かないと、本当の真実なる自分の姿は見えて来ません。

「身代わり」していたのに、何時の間にか「身代わり」できない自分、「身代わり不可症候群」のような生き方になっている事に気づいて来るでしょう。

まあまあ、普通の生き方、余程に偏った生き方をしていなければ、少しでも自分の過去を振り返れば、「身代わり不可症候群」にはなっていたかどうかの判断は直ぐに出来るでしょう。

 

 唯、唯、大変なのは、国対国、宗教対宗教、経済対経済、などなど、事柄によっては「身代わり不可症候群」に、ならざるを得ない場合もあるでしょう。

個人対個人、全体対全体、国対国、宗教対宗教、などなど、物事の内容によっては、絶対に<<身代わりできない状況>>もあるでしょう。

だが、これは、ここでは、例外としておきましょう。

ここでは、個人の心について話をしておりますので、とりあえず、個人の心理療法に重点を置いて話をしておきます。            

コメントは受け付けていません。