<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)4

 相手の立場になり考える、「身代わり・・」、「身代わり・」、これが最高に大切でしょう。

自分の事柄にだけ執着すれば、非常に人生を見る視野が狭くなるので、生きる事そのものが疲れます。

じっくりと、自分の{生い立ち}から~~生きて来た現在までの{心}を眺めてみると、自分の幼い時の【失敗】などが、沢山と見えて来るようになり、自分の考え方が足りなかった、もう少し上手にここまで生きる事ができたのではないかと、気づいてきます。

これが、大事なのです。

 

 人間世界を生きるのに、自分一人で此の世を生きているのではありません。

自分が居て、他者が居る。

他者が居て、自分がいる。

上記、どちらの考え方も正しいのですが、他者が居て・・・自分も生かされているのだと感じるのであれば、立派です。

皆が、こんな考え方は、なかなかしません。

そう、{{相手の立場}}になって、物事を考えないのです。

どんなに{{相手の立場}になって考えてあげて下さいと、当方から、お願いしても、全然と、この言葉が伝わらない人達も居ます。

 

 相手の立場になれない、「身代わり不可・・・」、「身代わり不可症候群」と言っても間違いないです。

この意味が理解できない人は、必ず、人生を歩む過程で、人生の壁に衝突するでしょう。

さもなければ、自分がしらない間に、他者から間違いなく歪な眼差しで<<自分を眺められて>>いるでしょう。

歪な眼差しだと、言っても、他者の眼差しが歪なのではありません。

真実には、逆に、自分の眼差しが<<歪・歪・歪>>なのです。

もっと、人間世界を知る事、更に、地上の世界を知る事ですよ。

 

 政治家や官僚の人達ほど、案外、自分の心を見ずに、自分の外側だけを眺めるようです。

彼らも、「身代わり不可症候群」の人達が、沢山とみられるようです。

立場上で、無意識的に人格は横柄となってしまいます。

相手の事柄、他者の困る事柄など考えずに、自分の得をする事柄だけを考えるようになっている人達もおられます。

人格の脆弱の人達も、こんな風な人生観を持っている人達が多いです。

自分の事だけが、中心であって、それ以外は、どうでも良いのです。

他者が、どんなに苦労しようと、自分さえ良ければ、それで良いと考えるから、人生を生きるのが難しくなります。

相手の立場に立つ、他者の立場に立つ、それができない「身代わり不可症候群」の人では、生きるのが難しいです。   

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