<<人生>>裏の心、裏の道:(建前と本音)6

 人間関係の苦手な人達は、時折ですが、誰も居ない{離れ小島}に行きたいとか、山奥の{深山}で過ごしたいとか言います。

当然でしょう。

人間世界の生活で心も体も疲れますと、そのような気持ちになります。

人の顔を見るだけで、疲れますよ。

誰とも話しをしたくありません。

喋る気持ちにも、歩いたりする気持ちも無くなってしまいます。

一人で、時間を過ごしたくなります。

それも、喜んで<一人の時間を過ごしたい>のではありません。

 

 絶海孤島の離れ小島や、深山の山奥で、一人で居ても悲しい辛い時間を持つ事になります。

そんな気持ちや、そんな状況が好きだと言う人達は、人間社会で顔を合わせて話しをしたり、お仕事で疲れ果ててしまい、{お仕事から逃げたい}のです。

「逃亡願望」であり、決して良い心とか良い精神状態ではありません。

唯、唯、自分の{裏の心}を気づいていません。

そんなマイナスの心の自分を知っていないので、山奥や大海の孤島で住みたい自分の{裏の心}・自分の{裏の道}を歩いている事実に気づいていません。

 

 自分は、人間嫌いだとしか考えていませんから、<小さな人>として生きるしかありません。

そう、人間世界を楽しく生きる、喜んで生きるのは難しいですよ。

同じ人生、自分の人生は一度、一回限りの人生です。

死んで、また、生まれ変わって生きる事なんて、不可能です。

早く死んで、また、優秀な人になって生きたいと思っても、意味ありません。

自分が{裏の心}を持っている事、{裏の道}を歩いている事実、この真実を知る事が、一番、人間世界を歩き易いでしょう。

悪い意味で言って、いるのではありません。

私は、真面目な{人}だと思っている人達は、当方が見ていると{あまり良い人間}はいません。

{碌な人間}ではありませんよ。

 

 {本当の悪人}でありながら、自分は{真面目な人間}だと思っているから、自分が人間世界を生きるのに、心の葛藤を抱えてしまいます。

自分は{愚かな人}、{駄目な人}だと、自分の心の底に溜め込んでおくのですね。

そうしていると、どんな大変な状況に曝されても、自分自身に<納得できる>筈なのです。

それでも、形上だけで、口だけで、自分は{馬鹿な人間}だと言っていても、自分の深層心理、自分の裏の心を知っておかないと、{裏の道}を歩いている自分に気づきません。

さもないと、人生を気楽に生きるのは<難しい>でしょう。

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