人間は誰しも、{裏の心}を持っています。
唯、唯、気づいているかどうかですが。
また、真実に自分の{裏の心}に気づいている人達は、悪行、犯罪、暴力、非行、その他の諸々のマイナスの行動は起こさないでしょう。
自分の心が間違っていても、自分の心や考え方が正しいと思っている人達が非常に多いですね。
そんな人達、自分は真面目だと思いたい、思われたい人達ほど{劣等感}を持って生きる事が多く、また、{劣等感}が非常に強くなる場合もあります。
繰り返しますが、貴方は「善人」ですか、「悪人」ですかと問われれば、如何なる返事を返すでしょう。
人間って、面白いですよ。
当方、本当に固く確信しています。
自分は「善人」だと、思っている人達には{愚かな人}が多いです。
そんな人達ほど、優秀な人間に見えても、心の中は{劣等感}の塊で苦しんでいる場合が多いですからね。
そんな人達は、優秀で立派で偉い人に見えても、或いは、どんなに出世しても、最後は、悩みながら滅して行くでしょう。
勿論、例外はあります。
若い時に沢山の心の葛藤を抱えながら生活していても、学問的にも日常生活の中にても、人間社会で生きる事に納得して、「宿命」、「運命」、などなどを克服される人達も見られますが、そんな方達は非常に少ないですね。
「宿命」、「運命」、などなどが理解できる人達は、具体的には{裏の心}・{裏の人・裏の自分}までは見えないかも知れないが、俗世間を生きる上での<自分の心>に少なからず気づいているでしょう。
自分について、{良い心}も{悪い心}も、どちらも心得ておくことが大事でしょう。
人間世界を生きるには、どんなに綺麗事ばかり並べて言っても、それなりの{裏の心}は動いています。
それが、悪いのではなくて、人間の皆が本音で話し合っていると、口論や摩擦ばかりが起こって何事も<まとまり>がなくて、一緒になり協力しあって物事をなし遂げる事はできないのです。
{裏の心}{裏の人}になれるかどうかが人の分岐点ともなります。
理解しやすく言うと、主役でも、脇役でも<喜んで生きられる>人間になれる事でもあります。
「心」は見えないから、理解できないと言いますが、「心」の学習は出来るものです。
先ずは、他人の「心」から学習するよりも、自分の「心」から学習しましょう。
{裏の心}も{裏の人}にもなれるし、不平や不満や劣等感も無くなります。