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2013 年 6 月 のアーカイブ

<<人生>>(22)人生とは

2013 年 6 月 15 日 土曜日

  70歳から75歳になっても、人は{{悩んだり}}、{{喜んだり}}するものです。
人間は、何歳になってもですね・・・、、認知症が無ければ、自分の{{こころ}}を手繰り出せるものです。
「「悩み」」とか「「苦しみ」」など、万一抱えた場合でも、安心してください。
特別な、いや、普通の認知症さえ無ければ、{{こころ}}の回復は、「「内観」」さえ体験すれば、立派に立ち直るものです。

  人間の一生は、一度の人生です。
輪廻転生などと,言いますが、これは、悩める人間を洗脳するためのものですよね。
本来的には、このくらいの言葉では、完全に、人間に「「悩み」」や「「苦しみ」」を解いてあげるのは無理ですね。
仏教観からの「「言葉:」」ですが、キリスト教では「「再臨:」」などの言葉もあります。

  また、面白いのは、仏教観では人間の{{こころ}}を慰めるために、「「地獄」」・「「餓鬼」」・「「畜生」」・「「修羅」」・「「人間界」」・「「天界」」・「「声聞」」・「「縁覚」」・「「菩薩」」・「「仏」」の世界などと、言ったりもします。
また、「「色即是空」」などとも言いますが・・・・・、難しくなりますので、この話は中止しましょうかね。
こんな{{こころ}}の世界もあると、言ったのですが、これらは、矢張り、{{からだ}}では悟れませんからね。

  仏教もキリスト教でも、言っていますが、「「懺悔」」こそは、人間の{{こころ}}を本当に変えるものですよね。
 「「懺悔」」とは、如何にも宗教の言葉ですよね。
だから、「「懺悔」」よりも、「「反省」」にすれば良いのですよ。
こんなに理解しやすい言葉、「「反省」」だと説明にしても、矢張り、人間の{{こころ}}と言うか「「人格」」と言うか、自分が一番に正しい考え方をしていると思っていますよ。
自分の{{こころ}}が間違っていても、私の{{こころ}}は間違っていないと、誰もが言いますので、大変な人間世界ですよ。

  まだまだ、認知症が軽ければ、「「反省」」も出来ますし、「「内観」」ができるのです。
この年齢では、まだまだ、本当に{{こころ}}は生まれ変わるものです。
出来るものならば、人生を、或いは、自分の{{こころ}}を悟りながら生きて欲しいですよ。
まだまだ、自分の「「運命」」を変える事も出来るのですからね。
高齢者になれば、可能な限りでも、周囲の方達と仲良くなって生きる事ができることを、当方は期待しています。

どうぞ、一度は、「「内観」」体験をしておいて下さい。

<<人生>>(21)人生とは

2013 年 6 月 14 日 金曜日

  そう、70歳頃ですよ。
もう、70歳にもなれば、人間の{{こころ}}は固くなるだけでしょう。
例外は、ありますがね。
この年齢でも、人生に悩み苦しみ、自分の人生が如何なるものかを、納得できない場合もあります。

  この年齢でもですね、「「心理療法」」を体験してみるものです。
自分は真面目に生きて来たから、真面目な人間だよと{{自惚れて}}生きている多くの方々は、あまり良い生き方ではないと考えますよ。
人間が悩む場合では、何度も言いましたが、自分の思い通りになっている場合では、誰でもが、私は立派な人間だと思っています。
当方は、どんな学者で有名であっても、或いは、まだまだ、無名であっても、それなりの人間全体の「「人生観」」を持っている方々の方が立派だと思うのですよ。

  「「人間学」」だと伝えても、伝わらないでしょうからね。
「「人間学」」なんて言いますと、何で、なんて言うでしょう。
人間の{{面白さ}}と言うか{{悲しさ}}と、言った方が間違い有りませんでしょうね。
全然と自分の{{こころ}}について考えようとしませんから、人間って、不思議なもの、大変なものですよ。
人間の{{こころ}}を、「「顕在意識」」とか「「潜在意識」」とか「「無意識」」なんて説明しますと、どうして、そんな考え方をしなければ駄目なのですかと、聞かれます。

  自分の{{こころ}}の全部を知っていて、初めてコントロ―ルできるのです。
そのような説明をしても、理解できないようですから、人間の性分は大変なものです。
前回も述べていますが、「「不安障害」」や「「うつ病」」などの方達でも、私には、悩みは何も無いと答える人達が居ますから、大変なものです。
しかしながら、「「内観」」は、人間にとって、誰にでも必要なものです。
どんなに悩みが無い、悩みなどには、私は関係ないよと言う方達にも、素晴らしい勉強になるでしょうからね。
間違いありません、よ。

  「「内観」」は、体験した方達でないと、全く、理解できないので、仕方が有りません。
でも、どんなに、私には無関係だと自己主張する方達でさえ、「「内観」」を体験すれば、真実に自分がどのような人間かを知るでしょうからね。
そうですよ、私にも{{こころ}}の形が有ったと言うでしょうからね。
{{こころ}}の形を理解できる方々では、他者の気持ちも、理解できる筈ですよ。

  もっと詳しく、人間の{{こころ}}を知りたいと思えば、少しでも「「内観」」を体験したうえで、他者に対して、「「内観面接」」や「「カウンセリング面接」」などを、体験するべきでしょう。

<<人生>>(20)人生とは

2013 年 6 月 11 日 火曜日

  さあ、60歳を過ぎて、60歳の後半にしましょうかね。
この年齢になっても、殆どの方達は、自分の{{こころ}}を知っておりません。
70歳に近くなっているのに、全く、自分の人生、いや、他人の人生にも気づいていないでしょうからね。

  先ずは、当方が何度も繰り返して伝えていますが、己は「「死ぬ」」と、言うのが理解できません。
何度も繰り返して言うのですが、他人が死んでも、いや、自分の親が死んでもですよ。
自分の親が{{死ぬ}}事は、親が子供達に、人間には必ずや「「死」」が有るものだと、親の体でもって教えてくれているのですがね。
また、勿論と、子供や孫が先に死ぬ場合でも、親たちは「「死」」を子供達が教えてくれていると考えません。

  「「死」」については、本当に簡単な事実ですが、本来的に、人間は{{自分の死}}を受け入れないみたいです。
何故、此処で、「「死」」について記載するのかと言えば、己の「「死」」を受け入れた時には、殆どの全ての「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「恨み」」などの感情は消失して行くからです。
現実に、当方がこんな話をしても、人間は理解できないのかも知れません。
では、何故って、そう、頭だけででも聞いておくならば、時代が過ぎてから、あの時には、当方が「「死」」について話をしていたのだと気づいてくれれば、それでも、少しながら役立つ事になります。

  「人生とは」の「「タイトル」」で記載していますよね。
そうであるから、人間の{{こころ}}について、可能な限りで、お伝えしています。
出来る事ならば、悩まないで苦しまないで、人生を生きて欲しいとお願いしています。
でも、そうであるから、少しくらいは、人生について、{{こころ}}について学んで欲しいと考えます。
何度も、繰り返します。
時折にでも、「「人生とは、何???」」で考えて欲しいものです。
勿論、一度、少し考えただけで、「「人生」」の答えが見つかる方々は居ない筈でしょう。

  でも、とにかく、周囲の方達と仲良く、「「不安」」、「「悲しみ」」、「「辛さ」」、「「嘆き」」、「「劣等感」」、「「自惚れ」」、「「優越感」」、「「怒り」」、「「不満」」などなど持たなければ、人生を気楽に生きる事が可能です。
でも、そんな{{こころ}}を確立するのが、難しいのです。
先ずは、自分の生い立ちの過去から{{自分のこころ}}を調べる事ですよ。
母親、父親、或いは、自分を育ててくれた方々について、調べて下さいませ。
自分の{{こころ}}の反応が、如何なる状況で流れていたかを知る事なのです。
直ぐに、男性は平均的に見ても、人生の終わりが近づきます。