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2013 年 3 月 30 日 のアーカイブ

<<人生>>(2)人生に納得

2013 年 3 月 30 日 土曜日

  人間の欲望って、本当に大変ですよ。
幼い子供達には、「「男」」と「「女」」の物語については、未だ、不透明でしょうが・・・。
でもね、大変に子供達が悩むのは、幼い頃であっても、母親と父親の「「原光景」」を見るのが一番に辛いです。
「「原光景」」って、幼い子供が見ても、あまり関係ないよと思う親が居れば、不勉強の親ですよ。
人間の{{記憶}}って、大変なものですよ。

  幼い頃の出来事は忘れていると、皆さん方は考えるでしょうが、決して忘れませんですよね。
少しながら成長して来ますと、悲しいものですが、己の「「過去」」の({記憶})が湧き上がって来ますからね。
小学校が低学年からくらいで、既に、「「男」」と「「女」」の外見上の区別もつきますし、少しずつですが、もう、「「思春期の嵐」」が吹きつけて来ています。

  子供が、幼い頃から、母か父が、べつの異性とベッドを一緒にしていても{{悲しい記憶}}となります。
ですが、「「原光景」」だけは、自分の本当の両親が({裸で抱き合っている})のを見るのは、子供達には、最高に{{こころ}}の葛藤となります。
このような、{{こころ}}の葛藤は、どんなに学問が出来ても、消去出来ませんよ。
学校で、成績が優秀でも、「「男」」と「「女」」の({性})は消えないのですよ。
思春期や、思春期後半、或いは、年老いてでも、「「男」」と「「女」」の({交流})は、誰もが喜んで見ていますよね。
例えば、映画なんかでは、「「男」」と「「女」」の物語が無いような映画などは、誰もが見ませんからね。

  人間の{{こころ}}は、面白いものです。
子供達は、他の人達の家族で、どんな「事柄」が起こっても、「「男」」と「「女」」の({性})には、あまり問題は起きないでしょう。
自宅での、母親と父親との({交わり})だけは、子供達に見せない方が良いみたいです。
特別に、また、大変なのが、{{近親相姦}}なども、大変な{{こころ}}の葛藤となりすぎて、己が思春期になっても、「「異性」」を好きになっても、最早、己が裸になって、好きな「「異性」」と一緒にベッドを共にする事は出来ないでしょう。

  当方の「「心理療法」」の体験の中から、幼い子供の頃は、とにかく、完全なる母親や完全なる父親を求めます。
だが、全世界中にても、そのような完全なる両親は居ないでしょうからね。
子供達の親達は、常に、自分の子供に対しても、良い母親であったのか、良い父親であったのかを、確認しながら生きるのが大事ですよ。