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2013 年 2 月 のアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>子供たちへ(3)・・・悩まない、苦しまない、・・理解するために!!

2013 年 2 月 28 日 木曜日

  ここでは、この意味が誰にでも、理解し易いように、今一度だけ伝えましょう。
いきなり、「「身代わり不可症候群」」について、伝えますが、少し難しいでしょう。
 そこで、最初は、少しでも分り易いように「「身代わり」」から説明しておきましょう。
「「身代わり」」って、理解できるでしょう。
そう、相手の立場と自分の立場を、置き代えてみる事ですよ。

  私達は、何時も集団で暮らしていますよ。
勿論、原点は、家族の中で・・・・。
次は、幼稚園や学校の生活ですよね。
相手の方達が、悩んでいる場合では、何故に悩んでいるのか、出来るだけ、少しでも理解してあげて、相手の悩みの{{気持ち}}を理解してあげる事ですよ。
 そんな相手の気持ちを理解できるのが、人間には、重要なものです。
そうですよ、人間が此の世を楽しく生きるには、自分達の傍の方達の{{気持ち}}や{{考え方}}などを明確に了解してあげて、相手の気持ちを察する事です。

  相手の気持ちを理解してあげる事が、自分の悩みを減じる事にもなります。
何で、そんな状況になるのですかと、聞かれますと、自己中心的になりますと、({自分のこころ})を大事にし過ぎるからですよ
 そう、それは、自分の({こころ})に拘る事になりますので、疲れますよ。
拘る事、特別に、自分の{{こころ}}に拘るのが、一番に悪い事となるでしょう。
「「拘る」」のも、程度の問題でしょう。
しかしながら、可能であれば、何事にも拘らない方が、気楽に人生を生きるのが可能ですよ。

  とにかく、幼い頃から、人間は、自分の{{こころ}}を知る方法を身に着けておくべきですよね。
人間が悩むのは、それなりの{{理由}}が有るからこそ、悩むのです。
人の悩みを、上手に理解してあげない方々が多いですよ。
 そうですね、自分の悩みを理解できないのですから、他人の悩みを簡単に理解するのは、困難ですよ。
また、他人の悩みでなくて、自分の悩みを解決できないで、自殺する方々も見られます。

  要するに、他人の({こころ})を見つめて、「「妥協」」・「「受容」」・「「共感」」・「「拒絶」」などの{{こころ}}を明確に判定するのが、最大に重要ですよ。
でも、殆どの方々、いや、全部の人間が、他人が悲しめば、逆に、喜ぶのが、人間でしょうからね。
自分が悩み始めると、他人の事は、全くと、考えずに、他人が悪いと攻めまくるのが、人間でしょう。
どうか、[「身代わり」]だけでも、理解して下さいませ。 

<<身代わり不可症候群>>子供たちへ(2)・・・悩まない、苦しまない、・・理解するために!!

2013 年 2 月 27 日 水曜日

  今は、前回で、「「反省」」などと言いました。
「「反省」」などと、言っても案外と皆さん方は理解しないでしょう。
それほどに、人間は、自分の{{こころ}}を見ようとしません。
目前を眺めながら、自分の浅い{{こころ}}で判断をして生きているのが、人間ですよ。

  人は、「「反省」」するには、自分の{{こころ}}が最低でも、二つ(表層心理と深層心理)は見える必要があります。
誰もが、そんな事を考えませんが、時折にでも、自分の({こころ})を確認する必要があるのです。
沢山の方々が、しばしば、そんな事柄については、考える必要が無いと、言います。
それは、{{こころ}}の勉強をした事がない方々の言葉ですから、仕方が有りませんよ。
普通の方々や、いや、精神科医や診療内科医でさえも、自分の{{こころ}}を見つめるのを嫌う場合が多いです。

  人間社会で生きるためには、少しずつでも構いませんから、自分の[「深層心理」]を探求しておくべきです。
だが、だが、悲しいものですよ。
そんな事をしても、「意味が無い」と言うのです。
でも、自分の{{こころ}}の世界を見つめた上で、そう、自分の「「潜在意識」」と「「無意識」」の世界、また、自分の「「顕在意識」」をも、知ったうえで{{言い訳}}をなさるのであれば、了解できますが、何も自分の深い{{こころ}}と浅い{{こころ}}を見つめないで、そのままで、{{こころ}}を勉強するのは意味が無いと言うのです。

  少しながら、{{こころ}}の勉強をしなくては、医師も{{こころ}}については、何事も言う事は無いでしょう。
当方は、本当に、自分の{{こころ}}を知っておくのが大事だと言っておきます。
しばしばと、お話をしても、伝わらないのです。
悲しい事ですよ。
自分の{{こころ}}を知る方法を教えても、案外と、拒否する人達も居られます。
長年月間も、うつ病などを患らっていても、{{こころ}}次第ですよと、教えるのですが、納得してくれる方々が平均的にみますと、少ないでしょう。

  自分の生い立ちの{{こころ}}を知ると、良いですよと、教えますが、医師達までが、理解できないのです。
本当に{{こころ}}と言うのは、言うは易し、知るは難し、と言えます。
どうぞ、自分の{{こころ}}を知るには、自分の生い立ちの中に、過去の{{こころ}}を知っておいて下さいと伝えていますが、{{こころ}}の人生学は大変ですよ。
人間の{{こころ}}、自分の{{こころ}}を知る事で、他人の「‘{こころ}」も「知ることが出来ます。 

<<身代わり不可症候群>>子供たちへ(1)・・・悩まない、苦しまない、・・理解するために!!

2013 年 2 月 26 日 火曜日

  随分と、上記の「「身代わり不可症候群」」については記載しましたが、そんな{{こころ}}にならないことが、必要でしょうね。
何度も、何度も、当方は、皆様方に伝えています。 
幼い頃から、自分の{{こころ}}の動きを見つめる作業を覚えておく事が重要なのです。
 ですが、現実には、人間の({本性)}でしょうかね。
悲しいものですが、皆が幼い頃から、自己中心的に考えながら成長していますので、「「心理士」」にさえも、自分の欲深い{{こころ}}を他者には見せたくないのです。

  人間は誰しも、見せたくない{{こころ}}を持っている間は、必ず、「「劣等感」」が付きまとうものです。
人間は、惨めな生き方をするものですよ。 
常に、私は真面目で素晴らしい人だと思われたいのです。
そんな{{こころ}}を抱えながらで生きていますと、どうしても、周囲の方達から{{褒められたい}}、{{優秀な人}}、{{立派な人}}、{{有能な人}}、{{素晴らしい人}}などなどと思われたいのです。

  自分が、特別に周囲の人達と比較して、真面目な人間だと思う方々は、どうしても、{{自尊心}}を高くしなくてはと思って生きていますよ。
そんな人間になりますと、自分を褒めてくれない方々に対して、「「不平」」、「「不満」」、「「苦しさ」」、「「恨み」」、「「怨念」」などなどが湧き上がってきますよ。
皆様方が気づかないのは、多くの場合は、本当の自分の{{こころ}}に気づいていないからです。

  そこで、同じ事、何度も記載しているのですが、何度もお伝えしないと仕方がありませんですよ。
どうしても、自分は優秀な人間だと思いたいのですよ。
そんなに優秀な人間でもないし、臆病な人間ほどに、自分の{{こころ}}は間違いなく正しいと思っています。
人間世界での{{悩み事}}は、多くの場合で決まっています。
勿論、勉強した人達でないと、何故に({人の悩み})がわかるのかと、言われても、理解が出来ないでしょう。

  体験しないと、理解が難しいかも知れませんが、悩みの世界についても学習するべきですよ。
人間が、{{こころ}}を見る学習だと言っても、自分の{{こころ}}に対する学習体験が無いと、人の{{こころ}}は、とにかく、自分の{{こころ}}は、全く見えない筈でしよう。
日本の世界、日本の社会が少しでも立派な社会になるためには、必ず、皆が幼い頃から、学校でも教育が大事でしょう。
そう、「「反省」」の言葉が理解し易いでしょうね。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追46)94歳~100歳

2013 年 2 月 7 日 木曜日

   94歳~96歳
94歳~96歳にまでも、年齢を重ねますと、所謂、頭が正常になお働いていると言う方が不思議でしょう。
歩くのも、普通の方々には難しくなります。
歩くのではなくて、寝たきり、死亡、などなど、色々なケ―スが有ります。
人間の({生命})にも、限り有るものです。

・・・・でも、大変に興味が有るのは、殆どの方達が、自分の「「死」」については、認めたくないのか、考えたくないようです。
人によっては、自分の死を納得し、受け入れる人もいるでしょうし、自分の過去に、無意識的に反省できる人もおられるでしょう。
ですが、しっかりした明確な「身代わりする」などは困難でしょう。

   97歳~100歳
この年齢になりますと、認知症があるのが普通です。
正常の思考体系のある人はいないでしょう。
身代わりのできる人はいないでしょう。

本追跡も、ここまでで、終わります。
長い間、御拝読ありがとうございました。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追45)91歳~93歳

2013 年 2 月 6 日 水曜日

  91歳~~93歳まで・・・・。
益々と、歳老いてきます・
でも、人間の{{こころ}}は面白いですよ。
勿論、今の現在の認知の{{こころ}}にもよりますが、それなりの「「自我」」は抱えておられます。

 少しくらいの「「認知」」が有れど、一番に大事なものは、矢張り、「「金銭」」ですよ。
高齢者になってから、[「地位」]とか「「名誉」」などに深く拘る事は、少ないですよ。
一番に大事なものは、何と言っても、当方が思うに、「「金銭」」が気になるのでしょう。
この年齢で、認知が無いとは言っても、そう、案外と、認知症の尺度にて、認知が少ない人でも、拘りの({こころ})は沢山とあります。

  多分に、多くの人達は、そのまま、{{こころ}}の世界を満足しないままで、此の世から消えて行くのでしょう。
極一部の方達は、でも、人生とは、何ぞやなどと考えずに、時間は流れて行きます。
認知症が進行する程に、「「身代わり」」の気持ちなどは、理解が難しいですし、自分の事柄しか考えないようになるでしょう。

  随分と高齢者の方達について{{話}}を続けていますが、もう、多分にこの年齢では、自分の({こころ})を見るのは出来ないでしょう。
目前の判断でさえも、正確には出来ないでしょうからね。
勿論、例外もありますが、例外の方々は、非常に少ないでしょうからね。
そのために、人間は、幼い頃から、自分の{{こころ}}を見る習慣を持っていないと、それが、大事な事なのですがね。

  93歳まで生きる事そのものが、どちらかと言えば、大変に素晴らしい事ですが、可能であれば、認知症が強くなりすぎて、残る家族には迷惑をかけない方が良いのですがね。
この年齢になりますと、「「身代わり不可症候群」」などと伝えても、相手の人間が({悲しさ})・[{苦しさ}]・{{惨めさ}}・{{不満}}・{{妬み}}・[{劣等感}]・[{恨み}]・{{怨念}}、などなど抱えても、己の立場と比較しながら、相手の人達が気の毒だと思う人達は少ないでしょう。

  理解できるのは、あまり、認知症が高度でなければ、例えば、自分の子供達や孫達から死亡すると悲しいでしょう。
でも、案外と、この年齢まで、大脳の能力、認知の問題、自分の周囲や、自分の環境などを正確に判定するのは無理でしょう。
とにかく、人は何歳になっても、ナルシスト、エゴイストでない事を希望しますよ。
そのような方々は、周囲の方から相手にしてもらえないか、駄目な人間だと思われるし、自分に近づいてくれないでしょう。