64歳~~66歳までにしておきましょう。
この年齢では、もう、本当に随分と年齢を重ねた事になります。
それでも、人間の本性ですがね、自己本位に生きるのが、人間でしょう。
人間は、殆どの場合で、私は真面目な人間、正直で立派な人間だと思われたいのです。
こんな年齢になっても、大変なのは、「「金銭」」とか「「名誉」」とか、「「地位」」に拘ったりもします。
なかなかと、{{こころ}を勉強しておかないと、{{こころ}}の話をしても、その話を聞く人達の{{こころ}}には、伝わらないのです。
とにかく、一度でも、「「内観体験」」がないと、己の「「こころ」」の底は、全く見えません。
({話}は伝わるでしょう、「「身代わり不可症候群」」と言えば、でも、己の「「潜在意識」」や「「無意識」」などと、言っても、自分の{{こころ}}の底を知っている方でないと、どんなに、話を続けても役立たないでしょう。
相手の{{気持ち}}を理解しましょう、相手の立場になりましょう、なんて言っても、頭の観念だけでは、理解できるのかも知れません。
でも、それだけでは、誰にも理解困難でしょう。
ここでも、何度も言いますが、自分の事は外しておいて、他者の事も考えてあげるのが、大事です。
そう、配偶者とも、({生き別れ}とか({死に別れ})なども、あるでしょう。
或いは、自分の子供達や、祖父母などとの関係もあるでしょう。
そのような、己の身辺の傍で、何事があろうと、悩まないで生きるのでしょうが、
何度も、当方は、皆様方に伝えていますが、四苦・八苦については、全ての[{苦}]は、乗り越える({策})は持っているべきです。
でも、現実に、自分の目前に({苦})が起きますと、そんな({苦})に捕らわれて生きるのが、皆さん方でしょう。
私は、どんな事柄が起こっても、私の{{こころ}}は捕らわれないと、誰もが言うでしょう。
そんな説明をする人達が、現実に直面すると、悩んで苦しんでしまいます。
そして・・・・・、自分がどんな事柄で悩んでいるのか、それが理解できないのが、普通の人達です。
例えば、どのような事柄が起きても、己の{{こころ}に捕らわれなければ、自分の{{こころ}}をハンドル取れるのです。
「「身代わり」」、「「身代わり」」などの言葉を明確に、己の{{こころ}}に打ち込んで欲しいですよね。
自分が({素直})、真面目で、{{善人}}だと決めるのは、悲しいものです。
何処までも、私は、{{パセリ}}、私は{{パセリ}}だと認識できる方達は、立派でしょう。
どうか、「「身代わり不可症候群」」にだけは、ならないで下さい。