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2012 年 5 月 のアーカイブ

<<劣等感>>「「劣等感」」続編19

2012 年 5 月 31 日 木曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 そう、「「劣等感」」なんて、そのような{{感情}}から開放されるのは、本当に簡単ですよ。
もう少し説明しましょう。

 「「受」」について考えると、また、素晴らしい{{こころ}}の過程が有ります。
「「受」」とは、人間の五感を入れて六感も含めてみましょう。
人間の「「五感」」と「「六感」」、ですよ。
「「識」」を捨てるのが、無理だと言うならば、「「行」」を捨てる、「「行」」を捨てるのが無理ならば、「「想」」を捨てる、「「想」」を捨てるのが無理ならば、「「受」」を捨てるのです。

 「「受」」を捨てるとは、({眼})・{{耳}}・{{鼻}}・{{舌}}・{{身}}を捨てるのです。
でもですね、この「「五感」」だけでは、意味が無いですよ。
「「意識」」が無いと、人間の{{こころ}}と言うか{{感情}}の流れは、動かないのです。
「「五感」」と「「六感=意識」」が有ってから、人間の{{こころ}}の悲しいとか、嬉しいとか、立腹するとか、劣等感があるとか、驕りなどがあるとか、楽しみとか、嬉しさとか、そんな{{こころ}}や{{気持ち}}が動いて来ます。

 そのような「「五感」」や「「六感」」までを捨てれば、人間の「「悩み」」や「「苦しみ」」は無くなるのですが、・・・さて、皆様方は如何に感じるものでしょうか。
先ずは、「「六感」」を捨てれば、それだけで良いものでもあります。
でも、人間から{{こころ}}や{{感情}}を捨てるには、全く不可能です。
だから、「「六感」」を捨てるのが困難なら、「「五感」」を捨てて下さい、なって来ます。
例えば、「「見る」」事で、{{こころ}}の葛藤が増えるのであれば、「「眼」」を捨てれば良いですよ。

 こんな「「話」」もありますね。
「「自分の欲望」」が深くて、高齢ですよね、80歳までも悩み続けて来た人が、ある日、突然に、「「眼」が見えなくなったらしいのです。
そうすると、自分の「「眼」」で眼前の欲望をみたそうとしていた物事が、全く、どんなに考えても不可能となってしまったのです。
本人も、そんな不可能な事が、高齢者になって全盲になって自分の「「欲望」」の限界を知ったのです。

 同じですよ、ね。
「「耳」が難聴で聞こえない場合では、「「聞く事」」に諦めをつけなければならない。
「「鼻」」もそうですね、お料理でも「「鼻」」が無いと{{良い香り}}も無駄になりますね。
「「舌」」も、味わいが無理ですよ。
「「身」」も同じで、触覚が駄目になりますと、肌の触れ合いなどにも、人間の「「感じ方」」にも多いなる限界を感じて来ます。
どれ程に、人間は、自分の「「欲望」」を制御できるか、どうかでしょう。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編18

2012 年 5 月 25 日 金曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 何度も、「「話」」をしますが、殆どの人達は、理解が難しいのかも知れません。
「「色」」が「「空」」になる過程を、今、話ました。
そこで、今、この過程、{{移り変わり}}に説明が必要だと感じます。

 『『五蘊』』の一番に最後の言葉ですね、「「識」」の意味は、認識するの「「識」」です。
眼前に、どんな良いもの、大好きなものが見えても、あまり欲しいとか嫌いとか、考えなかったら大丈夫ですね。
だから、拘る{{こころ}}は、認識の結果に現れる{{こころ}でしょう。
 そこで、眼前の物事にしろ、人間にしろ、認識しなければ、如何なる人達にも拘る
{{こころ}}は湧き出て来ないです。
悩むか、悩まないか、などの問題は、「「拘る」」事さえなければ、悩まないのです。
そのために、認識するのを中止すれば良いのです。

 認識するのを中止するためには、「「識」」を無くせば良い訳ですよ。
そう、「「識」」など持たないで、捨てれば良いのです。
「「識」」さえ持たずにいれば、人間は悩まずに生きる事ができますが、まあ、これは「「方便」」でもあります。
 そこで、「「識」」さえ持たずに、「「識」」を捨てれば良いのですが、でも、「「識」」は捨てられないと言うのであれば、そこで、「「行」」を捨てるのですね。
そうですよ。
好きだから近づこうか、嫌いだから離れようか、などと考える事が悪いのです。 
そう、考えると、頭の中で余分な思考が必要となり、マイナスの感情も動きますからね。

 そこで、「「行」」を捨てれば、自分の{{こころ}}}の動きは止まります。
だから、{{こころ}}の動きが止まれば、「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「怒り」」などは湧き上がって来る事などありませんよ。
 それが、出来なければ、「「想」」を捨てれば良いのです。
何で!!!!,そこまで考えるのですかと言う方達も、確かに居るでしょう。
でも、現実に「「行」」が駄目なら、「「想」」を捨てれば良いでしょう。
そんなに言われても、そんなに簡単に言われても「「想」」までも、たやすく捨てるなんて
出来ないですよ。

 確かに、この通りに素直に従ってみるべきなのです。
{{想念}}を止めれば・・・、何も自分に降り懸かるもの、降り懸かる{{こころ}}なども
無いですよ。
 でも、{{想念}}を中止すると、人生の楽しい事柄も無くなってしまいそうですよ。
なんだか、凄く簡単な説明みたいです。
そう、人間の面白いのは、非常に簡単な事柄を明確にしないで悩むのです。
「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「怒り」」から再生には、少しの勉強は重要です。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編17

2012 年 5 月 17 日 木曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 そう、最後には、{{識}}だと、当方は説明しています。
この、「「色」」・「「受」」。「「想」」・「「行」」・「「識」」だけでも、人間の{{こころ}}の悩みの過程を理解できる筈ですよ。
 {{こころ}}の「「横軸分析」」だと、良く言ったものです。
でも、この事柄については、少しながら{{こころ}}の世界を学習しておかないと、理解が困難かもしれません。

 でも、当方から見れば、素晴らしい{{こころ}}の過程を見ていますね。
こんなものは、理解できないよと、言って避けて通るのではなくて、どうして{{このような表現ができる}}かなどと、熟慮することでしょうね。
 今は、「「仏教言葉」」を借りてお話をしていますが、凄く分かり易い{{こころ}}の過程を教えているのですから、皆様方も{{こころ}}の事を考えるのは嫌いだなどと言わないで、少しながら頑張って欲しいと思います。

 「「色即是空」」などの言葉は、有名な言葉ですよ。
大変に皆様方から、重宝されている言葉ですからね、本当に素晴らしい言葉だと、当方も賛成しております。
 簡単に言えば、「「色」」は「「空」」ですし、「「色」」は此の世に存在する全てのもので、此の世に存在する全ての物事は無いと言う事を言っています。
悩める人間には、こんな説明でも良いのです。
全く意味のないような言葉ですが、大事なのですね。

 拘らなければ、全く、「「悩み」」はない筈ですよ。
悩み、例えば、「「うつ病」」や「「パニック障害」」や「「不安障害」」なども、全てが『『拘りのこころ』』を原点にしております。
 悩んでいない人達でも、それなりに、「「心理療法」」、特別にですが、「「内観療法」」、を体験さえすれば、{{こころ}}の世界は見えて来るものです。
{{こころ}}の世界は、自分の{{こころのカラクリ}}が見えないと、意外と、理解できないでしょう。

「「色即是空」」は、大事な、大事な言葉ですよ。
「「色」」・「「受」」・「「想」」・「「行」」・「識」」から、この過程が出てきます。

 皆様方も、{{こころ}}の勉強をするように頑張って下さい。
「「劣等感」」なんて、自分が偉いとか、賢いとか、などと、考えない事ですよ。
 考えても良い事柄は、自分は{{偉い人間}}ではないと感じる能力、{{賢い人間}}だと思わない事です。
そこまで、理解して悟った人でないと・・・・、当方が言っても、皆様方に伝わらないのかもしれません。
でも、私のような「「言葉」」を伝える人間がいるのを知ってほしいですね。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編16

2012 年 5 月 15 日 火曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 多くの人達が、「カウンセリング」の言葉については知っているでありましょう。
しかし、カウンセリングだけで、心と体は理解できないかもしれませんね。
ここで、「「五蘊盛苦」」なんて言葉がありますが、大事な、大事な「「言葉」」ですよ。
・・・・・「「五蘊」」って、何だろう。
人間社会の多くの人達は、知っていないでしょう。
でも、こんなに大事な「「言葉」」があるのに、どうして、皆さんは知っていないのだろうと、当方は感じています。

 日常生活には、関係ないだろうと言う人が居れば、そのような人達は、{{こころ}}に全く関心を持っていない人と言えるでありましょう。
それほどに、人間は眼前に見える物事については、好き嫌いを判断するのに、何故、何故って気持ちが致します。

「「五蘊」」って、「「色」」・「「受」」・「「想」」・「「行」」・「「識」」などを合わせて言うものです。

 では、分かり易く説明しますよ。
「「色」」って、此の世に存在する全ての物、命あるものも、命の無いものも含めて説明しています。
「「受」」って、人間の{{五感}}であり、{眼}・{耳}・{鼻}・{舌}・{身}などを説明しています。
そう、昔の人間の{{こころ}}の横軸分析だと言われるくらいですよ。
・・・・・何故、「「横軸分析」」って、言うのだろう。
人間が生きていますと、必ず、誰もが自分の眼前について、自分の好きな人達を求めています。
一方で、自分から、自分の好きな環境を求めますし、自分の好きな環境の中に入りたいと思います。

 ・・・・・それに、もう一つですね、{{六感}}が必要です。
「「六感」」とは、{意識}と言っても良いですね。
人間の{{五感}}や{{六感}}から、すべての人間の生き様を説明できますよ。
そのような人間の生き様の「「過程」」を、これから、説明をします。

「「受」」の次には、「「想」」が来ますが、想念と言った方が、皆様方には理解し易いでしょう。
「「想念」」って、{{こころ}}の一部が動いています。
「「行」」って、「「想念」」の結果で、人間は近づくか、離れるか、どちらかの微妙な{{動き}}が出て来ます。
この微妙な人間の{{動き}}を、見逃さずに見ているのですね。
人間の{{動き}}を素晴らしく観察しています。

 本当に、素晴らしいですね。
しっかりと、自分の頭にこの{{様子}}を入れておいて下さいませ。
明確に、人間の{{こころ}}も見えてきますからね。 

<<劣等感>>「「劣等感」」続編15

2012 年 5 月 11 日 金曜日

 ・・・・「「怨憎会苦」」・・・・・

 そう、家族の問題が有る故に、子供達の学校の問題も出て来るのです。
だから、人間の一番に大切なことは、自分の深い心の中にて反省できる状態で生きているかどうかですよ。
皆が真面目に生きているのであれば、そして子供を育てる過程で、親が間違っていなければ、子供達の学校での問題は何も起こりません。

 子供達について、親は誰もが皆、自分の子供を大事に育てていると思っています。
仮に、全く、大事に育てていなくても、大事に育てたと「「錯覚」」を持っています。
悲しいです、よ。
親の「「錯覚」」なんて、本当に怖いですね。
親は、親で、誰しも「「劣等感」」を抱えて生きています。
無意識的にでも、子供達に「「反省」」をさせると言いますと、そんな事柄はさせないでと言うでしょう。
これは、学校で子供達を「「反省」」させる事で、家族のマイナスの事柄が沢山と学校の先生方に知られると思うからです。

 子供達を、学校で立派な人間として育てるために、親の考え方を変えてほしいのですが、親は、真面目でないのに、真面目だと思っているので困ります。
親は、家族の中でも、夫婦喧嘩を絶対にしないかと問い詰めると、必ずや、喧嘩はしております。
それで、夫婦喧嘩だけでなくて、家族の中で、夫婦のどちらかでも、職場での「「悪口」」などを繰り返していますと、或いは、職場との関係がなくても、他人の「「悪口」」などを言っていますと、子供達は、矢張り、学校では素直に育ちません。

 そう、学校で、何らかの問題が起こりますと、学校の先生方は明確に自分達の「「行動」」や「「会話」」などもチェックしてみるべきです。
正直に、当方も、今は語りますが、学校の先生方も自分の{{こころ}}と{{行動}}と{{会話}}なども、日頃から、明確に点検しておくべきです。
その上で、子供達に問題があれば、子供達にも接触する良い方法が見つかる筈です。
子供達の悪い「「会話」」や「「行動」」を治そうと考えれば、先ずは、彼等の「「こころ」」を治すべきです。

 人間に一番に大事なものは、人間の{{こころ}}ですよ。
{{こころ}}さえ、しっかりと作られていたら、色々な問題は起こりません。
大人でも、「「劣等感」」を、自分では取り除く事はできないのです。
先ずは、大人が自分の「「劣等感」」を取り除く練習を体験する事が最高に大事ですね。
その事で、自分の子供達の{{こころ}}も癒せる筈なのですから、家族の親達も少しながらでも、{{こころ}}を勉強しましょう。