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2012 年 4 月 19 日 のアーカイブ

<<劣等感>>「「劣等感」」続編6

2012 年 4 月 19 日 木曜日

 「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」の言葉があります。
また、「「四苦八苦」」の言葉もあります。
以前に話をしていますが、再度、「「話」」を繰り返してみます。
 大事な「「言葉」」ですよ。
でも、多くの人達、会社の社長様方も、案外と、{{お金儲け}}の話と企業経営には上手でも、人の「「悩み」」や「「解決法」」などについては、勉強をされておられませんですね。
凄く大切な「「話」」だと、当方は信じておりますよ。

 「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」の話は、「「四苦八苦」」の中で、一緒に話しをしていくことにしましょう。
そうです、当方はしばしばと「「話」」の講演を頼まれます。
時間の長短で考えますが、この「「話」」を詳しくすれば、いくら時間があっても足りないくらいです。
人間の「「生」」ですが、生まれた物&者は、必ず、滅するものですが、そんな簡単な事柄を、意外と、皆さんは理解していません。
こんな簡単な事を、人間は理解できないのです。

 どんなに、時間を使って、生身の人間には、必ず、「「死」」がやって来るものだと説明を繰り返しても、自分の「「死」」について悟って欲しいとお願いしても、無理ですね。
現実の悲しい人間の「「性」」と「「業」」、ですよ。
人間は、赤ちゃんの間は理解できないかも知れませんが、少しでも成長すれば目前で生き物の「「死」」を常に見ているものです。
また、人間のみならず、植物や魚などのみならず、人間は現実に「「殺生」」して食べて生きています。

 人間が面白いのは、己達が「「殺生」」をしていても、悲しいとか辛いとかなどの、現実感を持たないのです。
だから、尚更に、自分の{{こころ}}に向き合うのが困難なのかも知れません。
眼前を眺めて、眼前の現象にのみ、自分の{{こころ}}が囚われているのか、それとも、自分の{{こころ}}に向き合ったままで、真実の{{己のこころ}}で、目前を判断しているかどうかです。
それほどに、人間の{{こころ}}は、愚かにできているみたいです。

 そう、当方が、皆様方の{{こころ}}を明確に確認して欲しいとお願いしても、自分の{{こころ}}を諦かにしないのです。
人間の「「生命」」も、長い、短いなどと、沢山の方達によって、皆様方の生き様は全部が違っています。

「「生甲斐」」だと言う言葉は、若い人達には理解できるでありましょうが、それでも、「「死に甲斐」」を理解できると、凄くエネルギッシュな人となれます。 

そう、今の仕事をしていて、死ぬるのは仕方がないと自分の{{こころ}}を明確にしていれば、大丈夫ですね。