さて、人生を「「「生きる」」」って、意味があるのでしょうか。
昨今では、生きるのが面白くないのか・・・、沢山の人達の{{自殺}}が増えています。
厚生労働省の方でも、我が国の{{自殺率}}を低下させるために一生懸命ですが、良策を見つけていないようです。
そうですね、もう、10年くらい以前からですが、日本では1年に3万5千人くらいの自殺者の数が続いています。
我が国だけの人数ですから、世界中の人間の自殺の数は、一体に、どのくらいの人数になるのでしょうか。
大変な、自殺者の数となります。
若年者も高齢者も、青年期~成人期の人達も、人生を<自分で終わり>にしてしまいます。
人生を{{{生きる}}}のが、そんなに難しいのでしょうか???。
50億人~60億人、仮に、100億人〈未だ、地球上には100億人の人間は居ませんが〉、居れば居たで、誰も同じ人生を過ごす事はないし、考え方も違います。
此の世に生まれる事、そのものが不思議な誕生であり、本当に稀に、たまたま、生まれて来ただけですからね。
幼い時には、人生とは、なんて、誰も皆が考えませんし、生きる事、その事についての{{意味}}さえも考えません。
この事については、大人でさえ、或いは、高齢者になっても考えないのが、普通でしょう。
{{{生きる}}}事について考えませんし、{{{死ぬ}}}事についても考えません。
自殺者は{{{死ぬ}}}事について、真剣に考えているでしょうか。
いや、生きる事、死ぬ事については、自分の心の判断ですが、頭の働きと自分の心の視野と言うか、狭いものです。
自分の心身を一番に大切にして、他者の境遇、他者の喜びや悲しみ、などは、理解できていません。
今の自分の境遇を判断していますが、他者の境遇については明確には、見えていません。
自分以外にも、沢山の人生での{{お荷物を抱えて背負っている人達&他者}}は沢山と居る筈なのです。
自分は、悲しい、苦しい、駄目な人間、愚かな人間、生きるに値しない人間、惨め、孤独、寂しい、だから他人を恨んだり&嫉妬したり、誰がこんな自分にしたのか、などなど考えています。
要するに、他人のせいでこんなに自分も不幸を背負ったなどと、今ある自分を他人の責任と考えたりしますと、他罰的になります。
自分の不幸を、他人から負わされたとか、他人と自分を比較して、地位とか名誉とか金銭とか、諸々において<<負けている>>と考えたりすると駄目です。
「「「生きる」」」とは、如何なものか、時には熟慮しましょう。