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2011 年 10 月 のアーカイブ

<<自殺>>「「自殺」」・・・(2)

2011 年 10 月 20 日 木曜日

 色々なケ―スが、あります。

今回は、{{統合失調症者}}の「「自殺」」ですね。

彼等の病気の原因も、明確には、未だ、出来ていないようです。

仮説だけは、あるようですが、これだけが原因だと言うのは、難しいみたいです。

先天性の遺伝子だけでは、説明できないみたいです。

彼等は、又、特別に{{こころ}}は捩れて歪になっているようです。

{{こころ}}の感受性が、ひどく敏感ですね。

 

 自分の「「業」」ではなくて、自分の意識の外側ですね、外部からの自分には見えない影武者のような状況で、自分の耳に囁かれるみたいです。

また、見えないものまでが、見えているような感じがするみたいです。

誰か知らないが、自分の後ろから、追いかけて来るような、見張りをしているような気持ちがするのです。

自分にとって明確な人が自分に、マイナスの事を感じさせるのでは、ありません。

診察に慣れた方であれば、簡単に診断はできるものです。

だが、彼等が社会適応できるのかと問われれば、難しいものです。

できるだけ、早く、診断をして薬の内服薬は絶対に必要です。

でも、当方は{{薬の投薬だけの治療}}には、反対です。

 

 しかしながら、医療の世界では、普通は薬だけの治療が多いですね。

彼等は、特別に{{こころ}}が弱いから、多くの場合で社会適応できないままが、続いているようです。

当方では、{{こころ}}の治療をしますので、仕事をしていなかった{{統合失調症者}}が、親と一緒に、来られれば、できるだけ「「心理療法」」を勧めております。

但し、当人だけでの「「心理療法」」では、社会復帰するのに100%難しいでしょう。

母親や父親と{{こころ}}の交流ができるようにならないと、他者との、人間関係との交流などについては、困難が続くので大変でしょう。

幻聴や幻覚や妄想なども、最近では、随分と良好な薬ができています。

 

 当人の{{こころ}}を回復させるためには、先ずは、親との過去の「「和解」」を懸命にやってゆく事が、真実に大事です。

そのまま、薬も服用しないで、彼等の病気を放置しておくと、自分以外の他者の幻覚に引っ張られて、地獄の谷底へ引き込まれるでしょう。

要するに、「「自殺」」する可能性が高くなると伝えているのです。

他人を殺生したり、自殺も起こりえるのだと言っているのです。

「「事件」」、大きな「「犯罪」」に到る場合が有ります。

どうぞ、「「自殺」」などは、起こらないようにしたいものですが、彼等を放置しておくと危険な状況も起こり得ますので、注意して下さいませ。 

<<自殺>>「「自殺」」・・・(1)

2011 年 10 月 18 日 火曜日

 「「自殺」」について話をしますと、沢山の人達が、結構と最近では、日本でも{{自殺者}}が増えております。

自殺者の場合では、{{うつ病者}}の場合が、一番に数が多いです。

そう、色々な「「自殺」」があるものです。

一度、この閲覧文で記載しているかも知れません。

でも、最近では、人間社会の変化もあり、自殺者の{{心理}}も少しながら、変化したものも有るみたいです。

 

 人間の{{こころ}}自体が、眼前の科学&技術の発展などで、人間社会が豊になったように感じています。

「「豊潤は人の{{こころ}}を迷わせる」」などと言う、有名な言葉が有ります。

それほどに、人間の{{こころ}}は脆いものですよ。

現在までに、人間の{{こころ}}については、悩まない、苦しまない、嘆かない、恨まない、憎まない、などと、沢山の説明をして来ています。

自分の{{こころ}}、生い立ちから現在までの{{こころ}}を明確に知っておく事でしょうね。

自分の{{こころ}}を何時にても、変えられる人間になっておくのが、最良でしょう。

 

 自殺:{{うつ病者}}の自殺が多いのですが、彼等の場合では、真実の{{こころ}}の変化については、お医者様もなかなかと気づいていないようです。

ここでは、自殺の{{こころ}}のみ伝えておきます。

彼等は、悩んで苦しんで、死にたいと思っているのではありません。

悲しい、悲しい、苦しい、苦しい、などと思いますが、此の世を<<何とかして、生きたい>>と思っているのです。

どんなに、生きていたいと考えても、考え続けるのですが、苦しさ悲しさが自分の{{こころ}}を強迫して圧迫するあまりに、自分の{{こころ}}が壊れてしまい、自分の{{こころ}}を統合できずに、死神が高い断崖絶壁の淵から引き落とされてしまいます。

 

{{うつ病者}}の方の「「歌」」を記載しておきます。

「「死神が 我が傍らに 立たずみて ことあるごとに 死ねと袖引く」」と、歌っております。

 

 自分の意志で自殺するのでは、ありません。

自分の意志は、最後まで生きていたいのです。

でも、自分でない別の意識が出て来てから、別世界にまで引き込まれてしまうのです。

悲しいから、「「死」」を選んだのでもありませんし、そこには、自分の意志でない、別の意識が不自然に表れてくるのです。

随分と{{うつ病者}}の状況を理解しないと、理解できないでしょう。

寝たきりのような{{うつ病者}}が、自殺する時には、ベッドから立ち上がって自殺が出来るのですし、現実に、起き上がるのが、可能ですね。   

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)15

2011 年 10 月 12 日 水曜日

 思春期時代について、少し触れてみます。

二人の青年が居て、美しい女性が一人だけ周囲に居たとします。

他の、女性は誰が見ても普通の女性に見えるし、可笑しい顔や姿でもないのですが、一見、誰が見ても傍に可愛い美しい綺麗な女性が居れば、男性の心は綺麗な女性の方に心が傾くものでしょう。

 

 自分も好きだし、自分の友達も彼女が好きだと言う場合も有ります。

二人が競って、彼女を好きだと言っても、自分の友人を彼女が好きで、自分を彼女が嫌いだと言って、友人とデイトなどを重ねると悔しいものでしょう。

自分にとって、そんな友人と彼女について、自分の心は穏やかにはなりません。

「やきもち」・「嫉妬」・「妬み」にも、なっていきます。

友人が彼女を好きだと言い、その友人に快く譲ってあげて下さいと、言われても、そんなに簡単に、自分の心は穏やかにならないでしょう。

友人と自分とが身代わりの状態を考えて、喜んで、友人に譲ってあげる程の{{度量}}は持てません。

 

 若い時代には、誰にでも似たような体験が有るかも知れません。

でも、「身代わり」に素直になってあげるのは大変でしょうし・・、

誰も友人の気持ちになって傍から応援してあげましょうなんて、言えないですよ。

また、人間も大人になって、知らない人が自分の家の傍に大きな家を建てても、腹立つような事は少なくないでしょう。

案外と、この事については、諦めがつくのですよ。

しかし、自分の既知の人が自分の家の傍に大きな立派な家を建てると、悔しい悲しい気持ちがするものです。

大きな家を建てた人の気持ちになって、理解してあげて下さいよ、心より喜んで納得してあげて下さいと、言っても、しかし、現実は辛く感じます。

それでも、納得してあげるには「身代わり」になれるかどうかですね。

 

 上記の出来事などは、「身代わり不可症候群」と同じで、なかなかと自分の心を大らかに賛成して喜んであげる事は凡人には、難しいかも知れません。

相手の立場に立って自分を見つめると、自分が「愚かな人」、「駄目人間」に見える場合が沢山とあります。

それでも、身代わり出来る{}になれることが大事です。

これは、俗世間を生きていると、幾らでも有る事柄です。

どんな時にも、他者の眼差しから見れば、自分が{愚かな人}に見える場合は、沢山と有るでしょう。

自分の実力、切磋琢磨の足りなさを認めて納得しましょう。

自分の{生い立ち~現在までの生き様}を、眺めましょう。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)14

2011 年 10 月 11 日 火曜日

 母親の立場・・・、そうですね、母親の立場を見るためには、母親を{神聖な母親}と見ないで、一人の{人間}として見つめて欲しいですね。

その上で、母親の立場を考える、事です。

母親、母親、などと、母親の事を何時までも、母親と考えないで欲しいです???、甘えの対象としての{母親}と見ないで欲しいものです。

 

 両親の「因縁」で此の世に誕生して来ましたが、両親にしても、一人の人間で一人の{人}なのです。

小学高学年~中学生になると、普通であれば、母親と自分は各々が別の{}として見分けがつくものです。

勿論、小学生の頃は、異性として{男}と{女}の関係はあまり自分の心には響いて来ないでしょう。

だが、好きか嫌いか、良い人か悪い人か、お母さんが好きとか嫌いとか、お父さんが好きとか嫌いとか、夫婦喧嘩などの諍いも分かるし、子供にとっては大変に辛い出来事です。

 マイナスの気持ち・感情を、心の奥に〈海馬〉に溜め込みながら育ちます。

 

 一番に、子供が幼児期に困るのは、夫婦の{性生活=夫婦の交わり=お父さんとお母さんとの裸の交わり}を見るのが、子供にとっては永遠のPTSD=心的外傷症候群となって残る」でしょう。

この{原光景}とも、呼ばれますが、親は本当に注意しながら生活をしなければ、なりません。

と、言っても、未開地や先進国での状況は全く違う筈です。

先進国では、こんな{原光景}を見ると、その子供が成長した時に<<結婚生活>>にまで影響を及ぼします。

 

 考えようによっては、人間の悲しい{性}ですよ。

子供に、親の交わりは、あんたも成長して結婚したら、親の気持ちが理解できると言われても、この事についてだけは、親の{身代わり}は出来ません。

だって、子供にとって、未来の自分、未来の人生を具体的に理解できるのは無理ですから。

両親の生き方を見ながら、子供は成長しながら、家族のあり方を身につけて、やがては、思春期の嵐の中を通り過ぎて、性欲そして男女の交わりも覚えながら結婚生活に入ってゆくものです。

 

 子供時代に、自分の親の{{汚れた会話や行動や心}}などについては見たくないものです。

本当に、「身代わり不可症候群」ではありませんが、人間の本性でこんな出来事を身代わりするなんて出来ません。

親の立場を理解してなどと説明されても、言われても駄目なものは駄目です。

身代わり出来ない事柄も有る事は知って欲しいですね。

「身代わり不可症候群」でも、当然に<<身代わりできないものは>>出来ない事が有る事を追加して、説明しておきました。       

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)13

2011 年 10 月 6 日 木曜日

 簡単に{{身代わり}}と言っていますが、案外と難しい場合もあります。

貧乏したままでお金持ちになった事のない人達は、お金持ちの苦しみや悲しみが意外と理解できません。

誕生後から・・・・引き続きのまま・・お金持ちで・・大人になった人達は・・貧乏人の心を理解できません。

時折ですが、悩んだ事がありませんと、言う人も居ますが、それは<<まずい>>ですね。絶対に悩んでいる時期も有った筈ですが、当人は悩んだ記憶を消しているだけです。

 

 一度も悩まないで、成長する人なんて居ませんよ。

当人が、自分の心を見るか眼差しを抱えていない、だけの事です。

誕生後から~~~大人になるまでに、一度も悩んだり苦しんだりした事が無いと言うならば、その人は、逆に、親からの心の分離が出来ていない人達です。

こんな人達も、大変に困ります。

親から分離できていない人達は、俗世間でも自分一人で物事を考えて生きる事が出来ませんし、逆に、何時も心が不安ばかりとなるでしょう。

 

 子供心に、少しでも、自分の親に不満や不平を持つところから、親と自分の関係が大きくなりますし、親以外の他者との関係も増大してきますね。

その上で、他者と対立しながら、自分の人生を生きるのが{{人間社会の中の人間の動き}}ですね。

対立関係の中で、自分と他者の心の関係、そして、自分と目前の環境、これが上手に出来れば、心の葛藤は生じないでしょう。

「受容」・「共感」・「妥協」・「拒絶」、などなどの心を自分が上手くコントロ―ル出来る事が、一番に重要です。

 

 ここで、何を言いたかったか、ですね。

誕生して、育つ過程で、全ての人間は、自分の親、自分を育てる人に対して、不満などの心の葛藤を持ちます。

親への不満を持ちながら、自分のストレスを解消しながら育ちます。

家族の形成、会社の中の自分の身の回りに対する心構え、これのみで、皆は人間社会で生活しています。

人間社会に生きていて、自分の希望をあまり巨大化しないで、生きる事でしょう。

むしろ、他人の心や人間関係を見つめながら、時には、自分の心を捨てて、他者に従うのも重要です。

 

 {{{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}}}なんて言葉が、昔から有ります。

{{{捨てて、捨てて、捨てて・・・}}}などの、言葉もあります。

あまり、自分の我執に取り付かれない方が、気楽になれます。

時には、他人の立場に立って自分の心を置き替える「身代わり不可症候群」であれば、何時まで経っても、悩んで生きるでしょう。