自分の「「生い立ちから現在に到るまでの気持ち」」が、全ての自分の「「会話」」・「「行動」」・「「現在のこころ」」を操作しております。
生い立ちから、自分が「「身代わり」」で生きて来たかと言われれば、そんな方達は誰一人も居ないでしょう。
そこで、今回は、明確に説明をしますが、素直になって自分を確認する事が大事です。
「「生い立ち」」から、「「身代わり」」と言えば、解釈が難しいかも知れませんね。
でも、凄く大切ですから、少しながら考えて下さいませ。
皆さんは、自分の目前と近未来だけを考えて生きているのが、現実でしょう。
人間は、そのような生き方をするから、悩んだりもするのです。
何時も、当方が言っているのですが、{{人間は、必ず、死ぬる}}、{{自分も、必ず、死ぬる}}のだと自覚するのが大事です。
余程の事、「「運」」が悪ければ、自分が此の世に誕生した時には、既に、母親が居なかったなどの場合もあるのです。
現実に、そうなっていますと、此の世に誕生した{{自分のル―ツ}}が、ある意味では、不透明でもあります。
自分の母親の顔も知らないし、どんな人間だったのかも、全然と分かりません。
考えるのは、自分が此の世に出されてしまったのに、母親の「「顔」」も「「姿」」も見えないのです。
そんな事って、誰にも悲しいものです。
例えば、自分との「「別れ」」が、{{死に別れ}}なのか、{{生き別れ}}なのか、また、{{生き別れ}}であれば、何故に、そんな{{生き別れ}}が有るのかも知りたいものです。
自分の本当に知りたい事実を、理解できないままで生きるには、確実に辛いものです。
この事実は、誕生した人間の個人にとっては、{{生き別れ}}については、母親の生き方が如何なる生き方なのか、母親の性格や人格も知りたいものです。
どうして、自分を置き残して去って行ったのかが、残された人間の{{こころ}}の問題となるのです。
皆さんは、多くの人達が自分の事しか考えていませんので、専門的な{{こころ}}の問題、人間全体の生き様の{{こころ}}については、理解できていません。
「「身代わり不可症候群」」についての話ですが、現実に自分の相手が「「身代わり」」になってくれない場合には、何処まで自分が先に相手の「「身代わり」」になれるか、どうかが最大の大事な状況です。
悩み苦しむ場合では、誰とも「「身代わり不可症候群」」」になっているものです。
面白いものですよ。
困っている人、悩んでいる人達の立場になって、「「身代わり」」さえ出来れば、人生は気楽なものです。
「「身代わり不可症候群」」の人間にだけは、ならないで欲しいと考えます。