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2011 年 9 月 のアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群3・・・悩まないために

2011 年 9 月 12 日 月曜日

 沢山の人達、全ての人達と言っても良いでしょう。

「「劣等感」」が自分の頭に入っていて、誰もが、自分の頭から取り除こうとしますが、消えて行かないのです。

「「劣等感」」を除去する方法を教えてあげても、理解をしてくれずに、当方の話している「「心理療法」」を体験してくれません。

 

 「「劣等感」」は、何処から来るのでしょうか・・・。

当然に、誰もが、自己中心的に自分について考えているからですよね。

皆が自分は「「良い子」」、「「良い人間」」などと考えて生きるものです。

己を捨てて、此の世を生きるのが、最高に気楽なのですが、そんな簡単な事を人間は誰しもできないのです。

常に、自分を大事に考えない事、自分以外の他者を大事に考えてあげる事も考えてあげるのです。

 

 「「欠乏欲」」を減す事は、案外と難しいですよ。

人間の一番に強いものが「「欠乏欲」」ですからね。

自分の心身の「「劣等感」」は、「「自惚れ」」や「「自己顕示欲」」などが強いと自然に悲しい惨めな{{こころ}}も湧いてきます。

相手の気持ちを常に考えることができない事、「「身代わり不可症候群」」と言って、自分以外の相手の立場にはなれない人たちで、此の世は大変ですね。

時折、人生を気楽に生きている方も居られますが、でも、そんな人達は本当に少ないです。

 

 此の世には、「「不安障害=不安神経症」」・「「パニック障害」」・「「強迫神経症」」・「「うつ病」」・「「非行」」・「「暴力」」・「「衝動買い」」・「「シンナ―依存」・「「覚醒剤依存」」・「「犯罪」」、その他の心身症まで話をしますと、こんな人達の全ては「「身代わり不可症候群」」の人達です、ね。

自分の事ばかり考えて、他者の言う言葉や行動を理解してあげる{{こころ}}を持っていません。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、本当に大変です。

人間世界を生きるのに、確かに{{自分が一番に大切}}ですが、その大切にする程度にもよります。

 

 どうぞ、自分の周囲の人達も幸福になれるように、考えて生きる事も大切ですね。

そう、人間として此の世に誕生した以上は、好きも嫌いもありません。

嫌いでも、何とか生きるしかありません。

そして、此の世を生きるためには、誕生してから、自分以外の他者と一緒に生きる事になっています。

人間は、一人で孤独に生きる事も苦手ですね。

集団の中で、他者と気持ちを合わせて生きる事が大事です。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群2・・・悩まないために

2011 年 9 月 8 日 木曜日

 前回に、「「四苦八苦」」などと、言いましたが、これらについても{{からだ}}と{{こころ}}と関係しているのです。

当方が詳しく説明しても、多分に、皆様方は、何で???なんて言われるでしょう。

「「四苦八苦」」・・・小さく記載しますと、「生」、「老」、「病」、「死」などと言いまして、これが「「四苦」」です。

 

  「「生」」・・生きとし生けるものは、全てのものは、時間とともに滅して消えて行くのだと、考えても、そんな自分の現実を受け入れる事は不可能でしょう。

人間の「「命」」とは、そんなものですが、ね・・・。

どんなに、自分は此の世に{{未練}}を残して、まだまだ生きていたいと考えても駄目なものです。

だから、病気で死亡して逝く場合、最近では、家族や知人や見知らぬ人の「「臓器」」を戴いて生きていたいと考える方達も沢山と居ます。

{{臓器提供}}の話に、なってしまいますが・・・。

そこまで望んでも、どうにもならない、絶対に不可能の場合が沢山と有ります。

 

 「「生」」、人間のみならず生物の「生」は一度限りのものです。

同じような物が出て来ても、現実には、全てが違うものです。

子供や、或いは、他人が、誰かの身になって「「命」」を手助けしたいと考えても不可能です。

本当に真実に、「「身代わり不可症候群」」の状況です。

「「生」」でさえ、誰かと入れ替わるのは、不可能ですね。

唯、一度の人生であり、「「生」」だけでなくて、「「脳実質」」でさえ入れ替えは不可能です。

そう、一部の{{からだ}}でさえ、「「身代わり不可」」です。

 

 当然の人間の「「生」」についてです、ね。

何気なく、あまり関心を持たずに、人間は自分の人生を生きています。

悲しいとか苦しいとか、或いは、喜んだり哀しんだり、その時に応じて人間は{{からだ}}と{{こころ}}を使いながら生きています。

日常生活でも、全然と、自分の生き様についてさえも考えません。

自分は、真面目な人間か、不真面目な人間か、他者から喜んでもらえる人間であるかを、きづかないままで生きているのです。

 

 {{臓器提供}}はさておいて、人生の「「生」」は、今の時間だけですからね。

誰も皆が、此の世に誕生した以上では、人間は、ある意味では、あまり変わらない人生の道を歩いているとも言えます。

「「生」」・・・きっと、二度とない人生ですから、大切にして生きる事です。

「「生」」・・・「「生」」・・・誕生した以上では、皆が同じ時間しか持つ事ができませんから、確認しておいて下さいませ。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群1・・・悩まないために

2011 年 9 月 5 日 月曜日

 人間社会には、沢山の病気の人達が居られます。

人間に付き纏うものは、「「四苦八苦」」と言いまして、殆どの人達は{{こころ}}の勉強をしないままで、悩みながら苦しみながら生きているのが、現状でしょう。

 何故、悩むかです、ね。

だが、これは、後回しにしまして、最初は、人間には{{からだ}}と{{こころ}}の両方が有ります。

いずれにしても、人間は、如何に偉そうに賢そうに「「自惚れて」」も、やがては、必ず、自分の思う通りにはならない「「時間」」が訪れて来ます。

 

 先ずは、{{体}}について、人間の寿命ですね、日本と各世界の国々では「「平均寿命」」も違います。

これは、「「平均寿命」」が長いからと言って、あまり自国の「「誇り」」と思うものでもありません。

 何故でしょうか、ね。

そうです、国々の財政&経済状態とも「「平均寿命」」は少なからず関連してきますから。

人間の体は、何歳で使い物にならなくなってしまうのか、幼い時に決定できません。

面白いです。

一人の人間を、強固に医学管理をすれば、105歳や110歳まで生きる事が可能かどうかでしょう。

 

 絶対に、人間の「「寿命」」を、外側から決定的な管理をできないのです。

自分の「「生命」」は、自分の「「生命」」であって、他人と入れ替わる事は出来ません。

それこそ、「「身代わり不可症候群」」であります。

相手の方が、大事な人で、今、死ぬ状況にあるので、自分が入れ替わってあげたいと考えても、100%不可能です。

 「「身代わり不可」」です、ね。

肉体的には、100%不可能です。

だが、肉体的にも、他者と気持ちだけは「「身代わり可能」」の場合もあります。

これが出来れば、自分の悩みや苦しみも、少なくなる筈です。

 

 時には、自分の尊敬する人とか、自分の子供とか、或いは、自分の親とかですね、「「死に別れ」」とか「「生き別れ」」などが有ります。

「「生き別れ」」でさえ、随分と悩んだり哀しんだりする「「機」」も有ります。

 人間は、一人では孤独ですから、いつも誰かと一緒にいたいのが本質的な「「欲望」」でしょうからね。

何事も恵まれた状況では、全てに対して、人間は自分の「「欲望」を満足させたいものです。

此の世では、肉体的には、絶対に不可能な「「身代わり不可」」でさえ、希望する場合もあります。

{{こころ}}の「「身代わり不可症候群」」について、すこしずつ記載しましょう。