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2011 年 9 月 のアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(2) コラムより

2011 年 9 月 29 日 木曜日

 相手の立場になって、自分の事・会話・行動などを考える能力を持っていない状況を「身代わり不可症候群」と、伝えました。

 そうですね、例え、相手の立場をしっかりと考えてあげなくても、自分に与えられた役割や仕事などを、誰が見ても間違いなく当人がストレスを感じないで生活できれば、何も問題は無いのでしょうが・・・・。

しかし、その様な生き方を継続していれば、必ず人生の壁に衝突するのが自然の成り行きなのではないでしょうか。

 

 自分も人間、相手も人間です。心の通っている人、お互いが人間社会で生活している訳ですから、少しは相手の人の心を分かってあげられる人でないと、自分の人生を生きるのに{心の迷い}も生じて来るのが当たり前です。

 心・性格・人格の問題ですが、人は自分の事について案外と気づかないものです。

ストレスを抱えて、神経症・心身症・うつ病、などで悩みながら苦しみながら日常生活を過ごしていても、自分の心・人格を変革しようとしないので大変です。

自分の心をしっかりと見つめて欲しいのです。

 

 一般的に「自分の事は自分で解決する」と、沢山の人達が言います。

人はよく「自分の事については知っているが、他人の事が分からない」と、言います。

 当方、20年来に渡り、心理療法に関わっています。

自分の事を知らないので、他人の事や他人の心・性格・人格を知る事が出来ないのです。

自分はしっかりとしている積もりでも、他者から見て立派な人、立派だとは思われなくても精々普通の人でないと、誰も相手をしてくれなくなるので、寂しい人生を送る事になります。

 

 人間の悩みや苦しみの{原点}は、自分以外の他者の心を気遣ってあげようとしないところから、心の葛藤として蓄積されて行くのです。

{気遣い}というのは、自分の本当の心の底から{相手の気持を考え配慮する}という事です。

 自分の心を押し隠して生きてゆけば、自分の心のストレスは溜まるばかりです。

そんな考え方ですと、皆と一緒になって仕事をしたり役割をこなしたりして生きる事が出来ません。

不安・悲しみ・苦しみ・悔しさ・やきもち・嫉妬・妬み、などのマイナスの感情が、自ら湧き上がり、辛い感情に強迫されて、身動き出来なくなる時も出てくるでしょう。

 

 自分の感情も理解できないまま、苦しんで悩んで居られる人達が、案外と多いものです。

ここで少し、心の勉強{人間学}を学習しながら、人の気持を理解できる自分となり、相手の会話や行動や心を理解してあげて、己が大きな心の{器}を持った人となり、「人生を楽しく生きて行くことのできる人」になる事に向けて、専念してみられると良いです。

 人や事象の評価は良いのですが、自分以外の他者や出来事などを非難しないで、社会生活を送ることが実践できる人となるべきでしょう。

相手の人の気持を理解できて{許し}を与えてあげられる自分になりましょう。

心の悩みはなくなり、ストレスも無くなるでしょう。

             

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(1) コラムより

2011 年 9 月 28 日 水曜日

 本文はコラムに掲載済みですが、再度、ここにまとめておきます。

 

 ここでは、特異なパタ―ンの性格・心・人格の人達について少し触れてみましょう。

一般の人達は人間である以上、悩みながら人生を生きるのが当然だと言われています。

当方では絶対にそんな考え方を持っていません。

人生について、しっかりと勉強して行けば、悩まないで気楽に人生を楽しんで生きる事が可能となります。

 

 人間、人生を生きることにおいて、誰しも、自分が得をしたいし、何事につけても勝ちたい、優越感に浸りながら生きたい、褒められたい、賞賛を浴びたい、周囲の人達の注目を浴びたい・・・などと考えます。

例え、無意識的にしろですね・・・。

 現実面にてそんな状況を得たとすれば、逆に、人の前に立つ時に恐怖感に襲われてしまう人達を沢山と見受けられますし、パニックとなる人達も居られます。

人間社会、人生を生きるには、最低限の考え方が必要だと思われます。

勿論、少しながら人間学を学習しながら気づいていくものでしょうが・・・。

 

 人間社会で生きるのですから、一人で人は生きる事は出来ません。

常に誰かと、面と向かって、話しをしながらの生活にもなる訳です。

そこで何を説明したかったかと言えば、自分以外の他人の気持ちを理解出来る人であるかどうかが、人生を悩まないで生きる分岐点となる事実を知って欲しいからです。

 時には、相手の立場になれる事、相手の立場に立って物事を考える事が出来る人になる事が必要なのです。

世の中を生きるには、自分の得をする事、自分だけが優位に立つ事、自分だけが何事においても勝つ事、異性に対しても自分だけが最大に愛される事、などは有りません。

相手の立場で考えたり、相手と自分について熟慮できる人は、悩まないはずです。

 

 自分だけが得をしたい・自分だけが優位の立場でありたい、などと固執すると、相手の立場にはなれません。

人間社会を生きるには、ギブ&テイクの世界ですから、100%自分の事、立場のみを考えると、相手の人とは仕事にしろ遊びにしろ、全ての事柄に対して交渉条件が成立しません。

 自分がこう話をすれば相手はどんなに感じるのか、自分がこんな行動をすると相手がどのように思うのか。

自分が相手の立場になって物事を考える{自分=人}とならなければなりません。

 

 「身代わり不可症候群」、ここでは自分が相手の立場に立てない人の意味で、この言葉を使用しています。

世の中には、本当に相手の人の心や立場や諸事情を考慮してあげる能力の無い人が案外と見受けられます。

 そのような人達は、生きるのに大変なストレスを背負うものです。

疲れますし、心身症、神経症、うつ病にさえにもなります。

引きこもり、ニ―ト、フリ―タ―、と称される人達になって行きます(一部では優秀なフリ―タ―の方々もおられますが・・・)。

自分の事ばかり考えて、相手の人の立場に立てない人、この様な状況を「身代わり不可症候群」と伝えておきます。         

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群11・・・悩まないために

2011 年 9 月 27 日 火曜日

〔〔追伸〕〕

 

 当方が、この言葉を続けて繰り返すのは、此の世を悩まないで生きる、此の世を生きていくのに苦しまないで生きる「「策」」を伝えたいからです。

時折に、私は、皆様方に講演を頼まれますが、多くの場合で、人生を楽しく心地よく生きる事、その「「術」」を、お話する場合が多いです。

 

 当方は、医師ですが、勿論、臨床心理士でありまして、{{こころ}}の話をする場合の方が多いです。

悩まずに、自分の人生を生きる、暮らす、周囲の人達と仲良く過ごす、自分以外の他者に対して「「不満」」・「「恨み」」・「「劣等感」」などを持たずに生きるのが最高でしょう。

多くの人達が、「「過去を振り返らずに、前だけを向いて生きてゆけ」」なんて言いますが、当方から見ていると、それは大変な{{誤解}}だと言っておきます、本当に大変なもので、{{こころ}}を知らない人は、しばしばと周囲の他者を傷つけたりもしますので、御注意して下さいませ。

 

 相手の気持ち、相手の{{こころ}}を理解してあげる事、この事が出来れば、自分の人生を生きるのに悩まないで、楽しく生活が出来ると皆様方へ伝えているものです。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、多分に全ての人達が「「身代わり不可」」でしょうが、どうぞ、「「身代わり可能」」の人間になって生きる事ができるように、お願い申し上げているものです。

 

 「「劣等感」」も「「優越感」」も、持たないで生きる事が一番に気楽です。

なんだか、私たち庶民は、誰も皆が「「優越感」」を持ちたいみたいですが、「「優越感」」を持ちたい人は、「「劣等感」」を自分の{{こころ}}の底に抱えているものです。

でも、「「劣等感」」も「「優越感」」も持たないのが、気楽ですよ、などと伝えても、現実に、この{{こころ*}}まで辿り着いた人達でないと理解できないので、難しい話になるのかも知れません〔本当は、易しい事ですが・・〕、恐縮です。

 

「「内観体験」」だけすれば、人生は楽しくなるものです。

{{こころ}}の真実の世界を、お知らせしておきます。

 

最後に、クドイですが、もう一度、「「身代わり不可症候群」」の言葉を、皆様に投げかけておきます。

 

  「「身代わり不可症候群」」 です。

     

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群10・・・悩まないために

2011 年 9 月 26 日 月曜日

 人間が悩む場合には、悩む対象が有るものです。

悩む対象が一つの場合と、悩む対象が複数の場合もあります。

悩む対象が物事の場合もあるし、悩む対象が人間の場合もあるのです。

大変に面白いのは、悩みの対象が、自分の{{こころ}}の「「器」」の問題でもあります。

どんなに、人間の{{こころ}}の「「器」」が大きい人でも、頭は一つですから、その自分の持っている頭を如何に使うのかが、悩むか悩まないかの、分岐点になるものです。

 

 悩む対象が、物の場合では、{{欲しい物が自分の手に入らない}}ことや、{{自分の大事にしていた物を失った}}時や、大切な物を落として失った時と盗まれる場合もあるでしょう。

物を盗まれて失った場合では、盗んだ人が判明しているかどうかも、問題になるでしょう。

多くの場合で、相手が不明確ですよね。

仮に、推定ができたにしても明確に{{この人が盗んだ}}などとは難しいものです。

物に対しても、どれだけ沢山と、自分が拘っているのか、拘っていないのかを明確に確認してみるのが、凄く大事です。

 

 物にも拘る事を、適当な折にでも、中止する力量が重要です。

物や物事に対しての{{こだわり}}は、自分の「「無意識」」や「「潜在意識」」や「「顕在意識」」の{{こころ}}のカラクリを、どのくらい知っているかが、大きな分岐点となります。

さて、自分の悩む対象が人間の場合です、ね。

相手の人間の気持ちを、どれ程に理解できるかどうかでしょう。

矢張り、何度も繰り返して記載しますが、悩みや苦しみの原点は、自分を此の世に誕生させた母親と父親との{{こころ}}の絡まりが原点になっています。

 

 皆さん方は、よく言いますよ、・・私は、親孝行して育ったとか、親に対しては「「感謝」」も「「恩」」もしていますなどと、自己主張されます。

でも、現実に、自分の過去を明確に振り返りながら、自分の「「会話」」・「「行動」」・「「こころ」」を点検しますと、自分の親に対して「「感謝」」と「「恩」」を持っている人達は居ない筈です。

私は、絶対に、親へは「「感謝」」と「「恩」」を持っているなんて自己主張しても、自分の過去の{{誕生から~~現在までの過去の生い立ち}}を調べると、間違っている事が理解できるでしょう。

 

 自分の{{考え方}}の間違いに気づく事、これが、最高に大事です。

「「身代わり不可症候群」」とは、相手の気持ちを考えるのが無理な場合、相手の立場に立てない人達の事を言いますが、このような人達は拘りや悩みの{{こころ}}から開放されませんと、皆様方へ伝えているものです。

どうぞ、皆様方が「「身代わり不可症候群」」の人間から、{{身代わり可能}}な人間になって下さいますように、当方は希望しております。

「「身代わり不可症候群」」、どうぞ念頭に入れておいて下さい。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群9・・・悩まないために

2011 年 9 月 22 日 木曜日

 自分が誕生した時に、母親がいなくて、父親のみの場合もあります。

父親の顔を知らない場合も、人間として大きな{{こころ}}の問題を抱えてしまいます。

勿論、父親の顔を知らないだけでなくて、父親が如何なる人間であったかも知りたいものです。

前回に記載しましたが、人間も「「回帰本能」」を抱えているものとも思われます。

 

 母親の顔や行動や会話や{{こころ}}を知らない事が、子供達に強大なストレスを残す事を、普通の庶民の人達は知っていません。

同じ様に、父親についても、一緒の事実なのです。

兄弟姉妹についてさえも、その様な兄弟姉妹が居たのに、自分には分からないなどと思うのでさえ、ストレスになるものです。

興味深いのは、どんなに、祖父や祖母に可愛がってもらっても、実の母や父を知らない、或いは、本当の親から育ててもらわない場合では、ストレスを溜め込む事になるでしょう。

 

 残された子供達(大人の場合も同じですが・・・)から、自分を此の世に送った実の親の状況も考えてあげて下さいと伝えても、難しいものです。

それほどに、誰にでも、「「身代わり」」が出来るものでもありません。

ここでいう、「「身代わり」」とは、自分の知らない母親の{{気もち}}も理解してあげて下さいとか、知らない父親の事を理解してあげて下さいとかですが、言われても難しいですよね。

例えば、年齢を重ねて、随分と立派な人として生きているのですが、自分が幼い時に、母親が男性と{{駆け落ち}}して逃げて行った事に対して、納得できないままで大変なストレスを抱えて神経質になったまま悩んで生きていました。

 

 沢山の読書や修行など重ねて来たが、{{こころの葛藤}}は取り除く事が出来ませんでした。

「「内観」を体験しながら、自分の母親の気持ちを充分に理解してあげたのでした。

母親の{{駆け落ちのこころ}}を理解できたので、凄い体験ですよね。

即ち、母親への「「身代わり不可症候群」」から、「「身代わり」」へと気持ちが変わって行ったのでした。

この気持ちの変化が最大に、重要です。

この時から、神経症や心身症や強迫症状が治癒していったのです。

 

 此の世にて、事件や犯罪などを起す人達は、必ず、自分の生い立ちの過去の中に親への{{こころの葛藤}}を沢山と持っていますので、真実なる自分の{{こころ}}を確認して下さいませ。

「「劣等感」」も「「優越感」」も無くなってゆきますし、マイナスの{{こころ}}は消えて行きます。

此の世を生きるには、必ず、「「身代わり」」できる人間であって欲しいものです。

「「身代わり不可症候群」」の人にだけは、ならないで欲しいと考えている人間であります。

どうぞ、皆さんがこの「「身代わり」」の話を注意しておいて下さいませ。