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2011 年 7 月 のアーカイブ

<<不透明な道>>不透明な道(22)

2011 年 7 月 28 日 木曜日

 此の世に誕生した以上は、人は誰も、一人で此の世を生きる事は出来ません。

自分にとって都合の良い人間にばかり出会って、生きる事ができるか、どうかでしょう。

人間の悪い癖って言うか、常に、自分は正しい道を歩いていると錯覚して生きていますよ。

 

 悪い人が、愚かな人が、全く善人の面は見えないのに、又、本当に悪人が、私は真面目な人間だと自負している人達の、悲しい事実ですね。

そんな人達は、自分以外の他者を非難して<立腹>します。

<腹を立てて、不満や不平を持つ人達>が、真実に真面目な人達でしょうか。

それにも関わらず、自分達は真面目だと<自惚れて>いますよ。

真面目な道を歩いていない人達が、真面目な道を歩いていると思うのですから、彼等には人生を理解できておらず、所詮、人生の{不透明な道}を歩いているのです。

 

 父母の「因縁」で誕生して来たのですが、どんな父母かも誕生した赤ちゃんには父母を選ぶ権利も何も持たされていなかったのですからね。

誕生するにつけても、数億の生存競争の中から誕生して来たのですから{奇跡}でしょう。

{母親の胎内}に宿ってからも、誕生して来るか、来ないかも、全く不透明な過程でしょう。

親が金持ちか、社会的に地位や名誉やお金持ちだったかは、誕生して来る赤ちゃんには、何も選べません。

 

 新生児~乳児~学童~~~~思春期~~~・・までの過程を通して、どんな出来事、どんな人間関係などを体験させられるかも、全く不透明ですね。

思春期までには、人の人格は完成されます。

勿論、その後の不確定な出来事によって少しは人格は変化もするでしょうが・・・・。

 

 愛と恋、色々な異性との出会いも有ります。

恋愛体験から、大きな外傷体験を引きずったまま一生を過ごす人達もいます。

一方で、理想的な恋愛体験だけを体験して、一生を幸福に生きる人達も居るでしょうが、果たして、そうでしょうか???。

どんなに愛し合って、恋し合って、男女が結婚しても、やがては、倦怠期も来るでしょう。

むしろ、当方では、そんな倦怠期をも迎えない夫婦生活が一番に理想的だと信じていますが・・・。

 

 人間の心の奥底に座している{{エゴ}}の心は、簡単に変える事は出来ませんし、現在の心は、全てが、過去の心に裏打ちされていますので、大変な問題もあります。

愛して恋した二人なのに、気づかないうちに、二人の間にでさえ<心の葛藤は>生じて来ます。

何処かの国では、{結婚}は人生での最大の「ストレス」と言うくらいですからね。

夫婦だけを、経過観察しても、不思議な{不透明な道}が線路の上を走るように設定されているくらいですから、己の心を知る「・・心理療法」が重要です。

<<不透明な道>>不透明な道(21)

2011 年 7 月 27 日 水曜日

 殆どの人達は、<死なない>と仮定して日常生活をしています。

「死」を受け入れて、何時も心に留めておく方が人生を気楽に生きる事ができます。

それでも、元気な間に自分の「死」を納得して下さいと伝えても、あまりにも無理があるものと、思われます。

 誕生してから、自分の未来を自分の希望通りに出来れば、良いでしょうが、全くと人生は<自分の予期しない事柄>ばかりが起こります。

自分の未来で、何歳で<どんな人間>、地位や名誉や金銭なども、自分の希望したようにはなりません。

自分の理想とする恋人にも、巡り会えないままで終わる場合もあります。

 

 いや、それよりも、胎内で死亡、誕生後にすぐに死亡、乳児で死亡、幼児で死亡、学童時に死亡、思春期に死亡、~~~~何歳で自分の{死神}が自分を襲ってくるか、知ったものではありません。

 自分の人生を生きる事で、どれほど、楽しい思いをして幸福に生きるか、悲しい思いをして生きるか、分かりません。

楽しい思いや幸せで生きている積りでも、何時のこと、外的条件で自分の生命を失うかも分からないのです。

運が良くて、高齢者にまでなっても生きていれば、色々な病気にもなり易いし、自分が{どんな病気に襲われて}、{どんな病気で生命を落とす}かも知る事は出来ません。

 

 どんなに、金銭、名誉、地位を得て有名になって<喜んだ積もり>でいても、自分の終末と終焉を知った時は、悲しくなって気分は落ち込むでしょう。

唯、唯、何人も、これで自分の生命が終わるのだと、体で理解できた時には、一瞬であっても<<嬉しく、至高体験>>を味わう人たちが案外と多いようです。

 本当に、自分が此の世を去ってゆく数時間前とか、1日前とか、直前とか、{涅槃の気持ち}になる人達も案外と、よく見られます。

そう、一瞬でも、自分の過去を振り返った時には、尚更に、これから死んで行く人達には、本当に<幸せ>感じますね。

「死」の直前 に至るまでに、沢山の様々の苦痛と孤独を<<受容しなければならない>のが、大変なのです。

 

 人生が、何人にとっても、不確定、不確実、不透明です。

明確に生きている積もりの人達が、沢山と見受けられますが、人生の全体像については、皆さんが勉強しないままで、{{煩悩}}のみを使って生きるので大変です。

 自分の人生は、こうあるべきだ、なんて考えて決定して生きる事をしない方が良いですよ。

不確実な世界、{不透明な道}を生きる事しかないので!!!、

自分の生命が不透明な故に、逆に、常日頃から、精進をして可能な限りの努力をしなければなりません。

「インタ―ネット心理療法」の体験で、理解できますよ。

<<不透明な道>>不透明な道(20)

2011 年 7 月 26 日 火曜日

 さて、あまり難しい話を続けても皆さんが理解するのに大変ですね。

最終稿として、一番に分かり易い<<話>>にしておきます。

 人々の間で、時折、話題になります。

自分が何歳で、死ぬるのか知る事が出来れば、生きているのも<気楽>になるのだが、なんて言う人達もいますが、話で<こんな台詞を言う>だけで、本当は、死が怖いのです。

こんな台詞を言った後には、直ぐに、また、自分の思いを変えます。

だって、人間にとって、最大に恐怖なのは、{{自分の死}}なのです。

 

 人は、自分が何歳で自分の生命を終わりたい、などと呟いたところで、自分の{{生命の長短}}については、此の世の誰一人も決定できる人は居ません。

(人間が作り上げた・・・・・・・)神や仏さえも、偶像と言っておきたいですが、自分の生命の終末の日時と時間を教えてくれません。

 いや、教えると言うよりも、100%の事、そんな人の終末の日時と時間なんて分かりっこないです。

自分の終末の時が分かれば、なんて言って偉そうな事を言っても、人間は駄目ですよ。

皆が、自分の「死」に対して恐怖で、慄いて悲しみながら苦しみながら、生命の{終焉}を迎えるようになっています。

人によっては、「死」の話しをするのを忌避するし、話題にも耳を傾けないです。

 

 本来的には、誕生した以上は、自分の「死」を避ける事は、絶対に出来ません。

そうであるからには、人間の「死」、自分の終焉である「死」を受け止めて生きると、それなりに、より良い人生を生きる事ができます。

また、それが出来れば、今の自分よりも、更に、エネルギッシュな{自分}に人格を改造できるものです。

 でも、難しいですね、体で己の「死」を悟るのは難しい!!!。

何歳で、死にましょう、なんて言っても当たらないですからね。

自殺するのであれば、日時も時間も決める事は出来ますが、こんな考え方も誕生の時から考えている訳ありませんから、途中で、その人の予定していない{不透明な道}を歩く事になってしまったのです。

 

 こんな考えは、{人間社会とは、何??}、{己とは何??}

{自分の命とは、何??}、など、真実の自己&真実の自己の心を自己探求していないから、突然に<悲しい考え方>になってしまいます。

 人生を<透明に生きよう>と考えても、どんなに人生を悟っても、自分の{死期・死の日時}は、不透明です。

故に、{不透明な道}・{不透明な人生}・{不透明な世界}だと、逆に、納得して、全てを受け入れると、楽しい人生となりますが、これが、「インタ―ネット心理療法」の世界です。

人生が最高に嬉しく、楽しくなるでしょう。      

<<不透明な道>>不透明な道(19)

2011 年 7 月 21 日 木曜日

 人間が誕生したからには、上記の過程を通って<終末>を迎えていくものです。

多くの場合で、人はぼんやりと、眼前を眺めながら、生きていますね。

人間世界は、一寸の先は{闇の世界}です。

未来の闇の人間世界を、未来に向かって人は生きる事になっています。

 未知の世界を歩く事は、未知の{不透明な世界}・{不透明な道}を歩いて行かざるを得ません。

予定を立てながら、その予定が全部が壊れるかも知れない、などと、前もって予期、予想でも、少しでも念頭に入れておけば多くの悩みや苦しみを抱える事も無いでしょう。

 

 人間個人、国々、世界中の誰、何人も、自分達の未来は確実に決まった道のりが有る訳ではありません。

過去は、それなりに、確実に{決まった道}、{確実な道}が有るものです。

その{過去}さえ、自分というか己にとって、{不確実な過去}、{不透明な過去}、{不透明な道のり}となって存在しているでしょう。

 自分の過去を、振り返っても、遊び半分では{自分の過去}を回想しても、思い出しません。

一生懸命に、努力してから、初めて、それなりの{自分の歩いて来た過去の道}をかなり明確に出来るでしょうね。

 

 未来の{不透明な道}については、どんなに己が<決まった道、自分で決めた道>を歩くと言っても、そんな事柄は100%不可能ですね。

人間世界は、自分一人で生きる世界では有りません。

他者がいて、人間以外の物事が確実に自分の側で、自分から距離を置いた所で・・・、色々な気づかない物事が存在していますよ。

 此の世に誕生して、ある程度の年齢になれば、目的意識や目標は持つべきです。

だが、自分の目標も目的も、かなりの程度にて、少しずつ変化したり、或いは、全く100%の反対の目標になってしまう場合もあります。

 

 なんども、繰り返し、限りない程に繰り返しますが、自分が決めた事が確実に自分の思い通りには進展しない、と言う事です。

自分が努力して、自分の目的を果たしたいと考えても、必ず、努力が報われない場合が多々あります。

 また、相手が人間であれば、相手の人間の考え方もコロコロと変化しますから、その変化に立腹していても駄目です。

相手の<<心の変化をも認める>>くらいの力量を持っておかないと、必ず、自分の心が壊れるでしょう。

所詮、人間の一生は{不透明な世界}・{不透明な道}を歩かざるを得ない事を、己の心に刻んでおく事ですし、「インタ―ネット心理療法」の体験が大切です。

<<不透明な道>>不透明な道(18)

2011 年 7 月 19 日 火曜日

 そうですね。

人の歩く道は、常に、{不透明の道}を歩き続けて、そして、{不透明な道}から此の世を去って行きます。

此の世を去って行くのが、当たり前ですが、人によっては簡単な事実を認めようとしないし、「死」について、考える事そのものを忌避するくらいですよ。

まあ、人が長寿で生きていますと。終末の時には、色々な状況が見えています。

 

    としては、あまり長寿でなくても、抱える病気ですが、自分では、予期できません。

  心筋梗塞などで急逝する場合も、多々あります。

  心筋梗塞でなくても、心房細動や各種不整脈や心不全などにて、

  死の道へ歩いて行く事にもなります。

    急性脳血管障害で片麻痺、その他の慢性脳梗塞症などで、寝たきりで生活状況も低下して、「死」への道にと入ります。

    多いのが、悪性の各種の癌で「死」への道へと歩いて行きますが、限りない悩みや苦しみ悲しみや嘆きや疼痛などを抱えて、足掻いて死んでゆきます。

 自宅で麻薬の注射を受けたり、入院したまま麻薬の注射を受けたり

 点滴なども受けて、最後はあの世へ旅立ちます。

    慢性脳梗塞やアルツハイマ―型痴呆症にて、全身状態も衰弱して行きます。

 この病気で、まだまだ足の動きが良い時に徘徊などで、街へ飛び出

 して交通事故で死亡する場合もあります。

    高齢者になると、急性肺炎にもなりやすいし、抗生物質の点滴を受けながら、7日から~10日間も寝たきりで衰弱して動けなくなり家庭で面倒を見る人が居なけば施設に入らないといけない場合も出てきます。

    上記、①②③④⑤などの経過を辿り、最後には、自分の意志で食事を食べる事が

  難しくなります。

 

食事時の嚥下が上手にできず、誤嚥や窒息や嚥下性肺炎を繰り返します。

昨今では、胃から管を入れる胃婁や、鼻からの経鼻経管栄養など、他者から管に流動食事を入れてもらい、寝たきりの歳月が流れるケ―スもあります。

もはや、このような方法を取り入れても、全身状態が衰弱したり体質によっては、経管栄養しても、誤嚥などを起こして熱発&肺炎などを合併して生命を長く維持できない場合もあります。

 

 今、当方が述べた①から~⑤までの過程で、多くの場合で人の生命は流れてゆくでしょう。

ここまでに至る前に、誰が自分の{死に様}を予想できるでしょう。

何人も、自分の最後の終末を、如何なる状態で迎えるかは、不透明であり、{不透明な道}を歩く事になるでしょう。

「インタ―ネット心理療法」を、体験してみて下さいませ。