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2011 年 6 月 7 日 のアーカイブ

<<投書>>X様よりのコメント

2011 年 6 月 7 日 火曜日

 X様よりのコメントを掲載させていただきます。

お久しぶりです。
以前このブログでも紹介いただいた、
内観をさせていただいた、Xです。
いつもどちらのブログも楽しみに読んでいます。
「男女」の「こころ」のことは、大変興味深くよませて
いただいています。

自分の両親に子供は理想を描いているとはまさに
そのとおりですね。

自分「こころ」、相手の「こころ」、
に意識を向けながら生活していくと
かなり穏やかに生きていけるような気がしています。

また、コメント致します。

<<男と女>>男と女 (16)

2011 年 6 月 7 日 火曜日

 父親と、母親にしても、「「携帯電話」」を持たないと、日常生活に{{潤い}}が無いと思うくらいです。

また、人間社会にも変化が現れて、「「男」」だけが働いて、子供達に{{食を与える}}などと言った社会は、既に、終わっています。

 「「女」」も働いて、主人と一緒になって、「「子育て」」の金銭を稼いでいると言った状況の方が多いですし、「「奥さん」」が自宅に、朝から~晩まで居てから、主人が帰って来るのを待っていましょう、などと思う「「女」」は少ないですね。そうであるからには、子供達が学校から帰った時には、両親は居なかったりで、「「鍵っ子」」になったまま育つ子供も多くなります。

 

 そんな「「鍵っ子」」は、それなりに、{{家族の中}}で寂しく育ちますので、学校に行けば何となく{{ふざけたり}}、{{いたずら}}、{{悪行}}なども重ねてみたくもなります。

{{いじめっ子}}になったり、{{いじめられっ子}になったり、場合によっては、非行グル―プまでを形成して大変な場合もあります。

 この子をいじめても、先生には、何も告げ口をしないとか、家族に何も言わないとか、いじめっ子は、そんな相手の弱い気持ちを全部が理解できています。

何故かって、{{こころ}}の弱い人達は、{{こころ}}の弱さが、眼や顔の表情や人相、歩く姿、後姿までが、その人の{{こころ}}を表現しているものです。

 

 「「いじめる子供達」」は、不思議な程に「「いじめられる子供達」」の{{こころ}}を見抜いているものです。

いじめても、絶対に、先生や親には言わないなどと、彼等には{{相手のこころ}}を読めるから、面白いですよ。

 家族の形成がしっかりと出来ていれば、絶対に、いじめられたり、などは起こらないものですが、親が、「「子育て」」について勉強をしていなかったら、理解できないでしょう。

悲しい「「家族」」ですが、両親の{{こころ}}も一致しないのが普通ですかね。

「「結婚」」したら、常に、何時も、夫婦が仲良く毎日を暮らせるのかと、問われるならば、絶対に「「No」」と言わざるを得ないです。

 

 見かけは仲良く見える夫婦でも、自宅の中に入れば、互いに、「「本音」」で話もするので、「「話」」が衝突する場合も有るのは当然でしょう。

そんな姿を、子供の前で見せなくても、子供達は親の{{雰囲気}}を簡単に推測できるものです。

 「「男」」と「「女」」が、「「愛」「」して「「恋」」して結婚して一緒になったら、互いに死ぬまで仲良く過ごして欲しいとは、考えますが、先ずは、絶対に、無理だとも言っておきます。

でも、何度も喧嘩をしても、年老いて行きますと、「「男」」も「「女」」も次第に自分の{{我がまま}}を言わないで辛抱したり我慢したりで、二人の人生を一緒に終わる場合もありますし、外側から見れば、結構と仲良い家族だったと思われるでしょう。