男性にしても、女性にしても、75歳前後となれば、既に、ベッドに横たわったまま管栄養で生きている人達もいます。
「劣等感」などとは、全く関係ない次元で生存している人達も居ます。
心因性の高血圧もありますし、時には、心の葛藤を持てば「劣等感」も抱えてしまいます。
生まれつきの[遺伝子]の故に、高血圧を起こす場合も多々ありますでしょう。
そして、脳血管障害とか心筋梗塞とか、はたまた、運が悪いと、器質的疾患で「癌性病変」を抱えて<<死に至る場合もあります>>から、未知の人生の予測、寿命の予測は本当に難しいです。
仮に、病院や施設のベッドで寝込んでも、その時期には、もはや、認知症が絡んでいれば、「優越感」も「劣等感」も区別がつかなくなるでしょう。
この頃の年齢でも、頭の認知症状が全くなくて第一線で仕事をしている場合もあるでしょう。
逆に、このような元気な人達ほど、まだまだ、「見栄」・「虚栄心」・「自惚れ」、などなどを抱えていますので、要注意でしょう。
難しい言葉でしょうか、・・・ある年齢にまでなれば、「「「生き甲斐」」」から「「「死に甲斐」」」に変化してゆくべきです。
そう、格別に何も求めなくても、高齢者になってしまい、「金銭」・「名誉」・「地位」なども全部を捨ててしまえば、気楽になれます。
この「「「生き甲斐」」」を持っていれば、現実には、<<死ぬる事が>>出来ません。
「「「生き甲斐」」」って、俗世間では、特別に大事な言葉として受け止められていますが・・・・、
当方では、すこしながら、この言葉にあまり強調しない方が良いと考えます。
「「「生き甲斐」」」、「「「生き甲斐」」」、などと言うから、人間は自分の死と向かい会うのが大変となります。
「「「死に甲斐」」」、「「「死に甲斐」」」、と自分の心深く認知しておくべきです。
<<自分の死を受け止める事の出来る人は、かなりのストレスに出会って>>も、大丈夫と言われるほどです。
「劣等感」・「劣等感」などと、言いましたが、その「劣等感」のどん底に流れる自分の心を見抜いておく事が重要です。
自分の過去を調べていると、気づかなかった自分のマイナスの感情に沢山と出会うでしょう。
その自分の過去の中のマイナスの心・気持ち・感情を、明確に知っておくべきでしょう。
「劣等感」なんて、簡単に消去できるものです。
自分の「劣等感」を認めたら、その時から、自分の「劣等感」は消えてゆくのです。
だが、自分は「劣等感」を持っているような人間ではないと、考えれば益々と自分の「劣等感」に気づいて来るものです。
己の過去の「心」を回想して「再解釈」すれば、良いだけです。