Deprecated: 関数 _c は、バージョン 2.9.0 から非推奨になりました ! 代わりに _x() を使用してください。 in /home/celestiale3/amita.ne.jp/public_html/blog/wp-includes/functions.php on line 6078
2011 年 2 月 のアーカイブ

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」4

2011 年 2 月 21 日 月曜日

 前回の記載で、「「反省」」と「「懺悔」」だと記載しましたが、今の現在の自分の大変に大きな「意識」でもって、自分の小さい「過去の意識」を探して散策する事、そうすることで自分の小さい「過去の意識」の中に{{宝物}}がありますので、見つけ出すことが大事です。

 自分の「「意識」」を知らないでは、此の世を楽しく喜んで生きる事なんて出来ません。

精神医学界でも、新しい{{こころ}}の世界については発表されておりません。

勿論、長期間にわたり、「「心理療法」」に携わった人でないと、新しい発見は出来ませんからね。

 

 精神と医学、{{こころ}}と医学の世界では、神経内分泌免疫系などの実験が随分と前から行なわれています。

だが、{{こころ}}の新しい発見の「「論文」」は見当たりません。

 当方、本当に長期間にわたり、「「心理療法」」を行なってきましたが、まだまだ、誰も新しい{{こころ}}の世界観に触れていません。

「「顕在意識」」の方が、遥かに巨大の筈であります。

「「無意識」」や「「潜在意識」」は、「「顕在意識」」の下方にありますが、トグロを撒いて小さく存在するだけです。

 

 「「無意識」」も、大きく分けると{{三通り}}になるでしょう。

一つは、遠い過去の自分の記憶から思い出そうとしても、なかなかと思い出さない{{こころ}}=意識の世界ですね。

 二番目としては、かなり現在に近い{{こころ}}でしょう。

思い出そうとすれば、案外と簡単に思い出せる{{こころ}}の世界であり、あまり遠い過去のものではない場合です。

 更に、三番目は、現在と直接に接触しているような「「無意識」」の世界が有ります。

子供達、いや、大人でも良いのですが、仮に、水泳とか地上での運動でも良いのですが、今の状態で体を動かすのに、一つ一つ{{こうこうかくかく}}などは、考える余裕も時間も有りません。

 

 独りで自然に、体が反応するのです。

自分の{{こころ}}を即座に考えて、体の四肢にしても、何十度も曲げて瞬間的に、また、この位だけ伸ばすなんて、自分でゆっくり考える暇も有りません。

即座に、自分の{{こころ}}と{{からだ}}を如何にするかでなくて、「「無意識」」で体の反応してくれます。

  そんな現在の{{こころ}}と{{からだ}}を使用するのも、今の自分の抱えている現在の「「意識」」を使っています。

「「現在意識=顕在意識」」の方が、遥かに、「「無意識」」や「「潜在意識」」の方より大きいです。。

皆さんに、少しだけでも、熟慮して欲しいと思います。 

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」3

2011 年 2 月 18 日 金曜日

 2回にわたって、「「論考」」を重ねてきましたが、患者さんの{{こころ}}を治すために、或いは、普通の人達&社員や管理者の{{こころ}}の教育や立派な「「人格矯正」」へのために、何が一番に重要かと言う事です。

 誕生の頃の{{こころ}}を思い出すのは困難でしょうが、3歳頃の思い出は案外と記憶の回想が出来るものです。

 「「顕在意識」」を「「雨傘」」や「「日傘」」に例えるならば、人間は{{根っ子}}の方の{{こころ}}から明確にして治しておくべきでしょう。傘の柄からですね。

 そうする事で、「「雨傘」」も「「日傘」」も立派に捩れないで開くものです。

 

  そう、人間の{{こころ}}=「「顕在意識」」も立派になってゆくのだと言っているのです。

くねくねと捩れた茎の上には、また、「「傘」」の下に弱い棒が有って支えているのでは、どうにもなりません。

壊れる、だけでしょう。

  人間の{{こころ}}も面白いものです。

過去の{{こころ}}が歪であると、現在の{こころ}}も歪になってしまうのです。

だから、人間の{{こころ}}も、現在の{{こころ}}を治そうと思わないで、過去の{{こころ}}から治療して欲しいものです。

 

  何故か、全ての人間の「「会話」」や「「行動」」や現在の「「こころ」」は、自分の過去の{{こころ}}から操作されていますからね。

どうぞ、松茸や椎茸にしても、或いは、「「雨傘」」や「「日傘」」にしても、その根っ子になる場所を矯正しなければ、役立ちません。

人間の大きな「「顕在意識」」を支えるためには、何処が一番に大切かを知って欲しいものです。

   繰り返しますが、当方は、フロイドやユングのような考え方には反対なのです。

 何処までも、「「顕在意識」」は、逆三角形の一番の上であり、お皿の様に大きく広がっているものです。

「「無意識」」や「「潜在意識」」の方が、遥かに小さいものですけれどね・・・!!

 

  学校や職場にて、歪な人間が居た場合はですね、仮に、彼等を治してあげたいとか、彼等の{{こころ}}&「「性格」」&「「人格」」を何とか矯正できたらと言う場合には、説教や助言では100%不可能ですから、注意が必要です。

  「「顕在意識」」の存在と認めるのであれば、そんな上方の「「傘」」だけを治そうとするのではなくて、下方の「「潜在意識」」や「「無意識」」を矯正するのが、一番に最高でしょう。

 人間は、{{過去のこころ}}を置き去りにしたままでは、{{現在のこころ}}は絶対に変わらないでしょう。

「「反省」」も、過去の{{こころ}を見る事であり、「「懺悔」」も過去の{{こころ}}を見つめて、「「告白」」する事です。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」2

2011 年 2 月 17 日 木曜日

 「「顕在意識」」の方が遥かに大きくて、大量の「「意識」」を抱え込んでおります。

唯、人間の歪な{{こころ}}さえ、或いは、歪な「「会話」」や「「行動」」さえ、全ての問題は「「潜在意識」」や「「無意識」」から、強迫されていますので、「「現在意識」」&「「顕在意識」」」は、大量の{{こころ}}を抱えています。

 そんなに小さな氷山の「「一角」」でもないし、絶海孤島の「「離れ小島」」もありません。

そんな考えは、当方は理解できますが、学問的になりますと、「「顕在意識」」は絶対に大変に大きな{{こころ}}の塊と考えても間違いありません。

 

 当方が気づいた事柄は、「「無意識」」と「「潜在意識」」」と「「顕在意識」」の成り立ちは、或いは、表現は、「「無意識」」は小さくて(小さいと言っても、巨大なものでしょうが・・・)、「「潜在意識」」もまた、そのように「「顕在意識=現在意識」」」に比較すると、まだまだ、小さいものになるでしょう。

 ピラミッドや富士山の頂上を「「顕在意識」」で表現するのは、少しながら考え方が違っているのではないか、どうしても、フロイドやユングのような考え方に納得できない状況で有ります。

彼等の理論は、理解できますけれどね。

 

 当方が、感じるのは、氷山の海面に浮かぶ「「一角」」や、絶海孤島の「「離れ小島」」などの、そんな小さな塊が、「「顕在意識」」ではないと、伝えているものです。

「「顕在意識」」は、遥かに巨大で大きな{{こころ}}の塊であるでしょう。

しかも、「「無意識」」や「「潜在意識」」から裏打ちされて動いているのが、「「顕在意識」」ですからね。

 当方が、表現するのは、人間が雨振りに使用している「「雨傘」」か「「コウモリ傘」」のようなものです。

また、陽照りの中の「「日傘」」みたいなもので、「「傘」」が「「顕在意識」」だと言っても良いでしょう。

 

 そう、「「顕在意識」」の方が、遥かに、大きいですからね。

その下に存在している、「「潜在意識」」、更に、下層にある「「無意識」」の世界を背負っているのが、「「顕在意識」」=いまの現在の{{こころ}}ですからね。

「「日傘」」や「「雨傘」」の表現が、どうかと問われれば、松茸(マツタケ)や椎茸(シイタケ)でも良いでしょう。

茎が少し大きくても構いませんね。

 でも、当方は、根っ子は、或いは、三角形にしても、下層は現在の{{こころ}}=「「顕在意識」」に比較すると、小さいものと熟慮した上で結論を出しています。

どんなに考えても、現在の「「意識」」は小さいものと、彼等は言っていますが、どんなにいびつな{{こころ}}を持った人達、ニ―ト、フリーター、不安障害、うつ病、非行、暴力、犯罪にしても、「「顕在意識」は大変に巨大なものです。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」1

2011 年 2 月 15 日 火曜日

 当方、随分と長期間にわたり「心理療法」に携わって来ております。

本当に長い間、{{こころ}}の治療に関わって来ましてから、ふと、気づいたものです。

精神医学界ででも、フロイドやユングの考え方が受け入れられているものと思われます。

 ですが、沢山の{{こころ}}について記載していまして、気づいたのは、人間の「「顕在意識」」は氷山に浮かぶ海面の一角の氷の欠けら「「一塊」」とは、違うのです。

或いは、また、絶海孤島の中の小さな離れ「「小島」」ではありません、ね。

考え方の気持ちは、理解できますが、どうしても不都合だと考えざるを得ません。

 

 人間の現在の{{こころ}}は、誕生後から、新生児~乳幼児~小児~児童~学童~生徒~学生~青春期~成人期~壮年期~高齢期~~最後は「「死亡」」のみでしょう。

そう、ここでは、遺伝子の中に組み込まれた「「こころ」」なんて、まだまだ、人間には解明されておりません。

 当方は、そんな不確定な事については、一度も話をした記憶はありません。

一方で、母親の胎内に居る時に、どのくらいの{{こころ}}=「「意識」」が植え込まれるかも、未だ、不確定でしょう。

{{こころ}}については、悲しいかな、矢張り、まだまだ、解明されておりません。

当方が感じるのは、母親の胎内にいる胎児には、親が神経質になったりして、動悸や脈拍の変動で頻脈など、或いは、呼吸が早く乱れたりしますと、その位の影響は胎児にも多大に受けるでしょう。

 

 そう、遺伝子については、人間の{{こころ}}が如何なる状況で発現されて来るかは、まだまだ、明確な答えは出ていないみたいです。

統合失調症などは、遺伝子とも少しながら関連しているとも言いますが、遺伝子とは関係ない方の統合失調症もあるみたいです。

 仮に、新生児~乳児の乳離れの間でさえ、人間のスキンシップが一切となければ、そんな人には、それなりの人間らしさを持たないままで、小児となり、普通の人間としては、育たないでありましょう。

新生児~乳児の時期でさえも、そんな環境や{{こころ}}を植え込まれると、決して普通の人間には育ちません。

この事は、明白でしょう。

 

 それで、人間は、今、悩んでいる事柄については、「「顕在意識」」は、氷山の一角だから、もっと、下層の「「潜在意識」」や「「無意識」」を解明して、過去の自分が{{どんな人間で、どんな意識を抱えていたかを知る}}事が重要だと言うのです。

 そんな気持ちは、当方には沢山と理解できますが、よくよく考えると、「「顕在意識」」が氷山に浮かぶ「「一角」」だとか、大海の離れ「「小島」」だと言う考え方が、どうしても納得できません。

しっかりと、「「顕在意識」」とは、如何なるものかを考えましょう。

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)7

2011 年 2 月 14 日 月曜日

先述しましたが、<悩まない人>になるだけ、それだけで充分でしょう。<悩まない人>は絶対に{うつ病}には、ならないと言っても良いです。

{悩み・苦しみ}が先か、{大脳の神経内分泌の変化}が先か、うつ病者では、どちらが先に変化が有るのでしょう。

誰でも、理解できると思います。

ですが、悩んでいても<悩んでいない>と言う人達も見られます。

当方から見れば、常識的にも考えられないのですが、こうした現実は沢山とあります。

 

悩んで苦しんで、不安とか恐怖とか抱えている人に、その心の建前と本音を、時折ですが、教えて伝えてあげます。

でも、人の心の現実を正確に教えてあげても、教えてあげた人と、教えてもらった人との、人間関係が上手くいくかと言えば、決して、人と人の関係は良好にはならないですね。

自分の心を丁寧に几帳面に詳しく教えてもらっても、残念なことに伝わらないのです。

それは、何故かです、ね。教えて伝えてもらっても、立腹さえします。悲しい、事です。

当の本人が、ある程度、自分の心の下の下層にある心に気づいていれば良いのですが、そうでないと、当人の底辺に有る心を教えても、立腹さえしても感謝をされる事はありません・・・。

 

学問的に言えばですね、顕在意識~潜在意識~無意識の心など、本人がそんな知識を持っているだけでも違うのですが・・・勉強しないし・・勉強しようとしません・・・・・・。

多くの人達は、お金儲けなど、或いは、地位とか名声を追い求めていながら、自分の生い立ちの心が、自分の現在の会話と行動と心を動かしていることを気づいていません。

気づいていないのに、教えられても理解できないところが、悲しい現実、ですね。

それが、人の心というか意識のレベルなのです、ね。

人生を生きる、人間社会で自分を活かす、そのためには、自分の浅い心と深い心、易しく言えば、本音と建前を自分の脳裏に焼き付けておく事なのです。人への教育が大事です。

無意識と潜在意識と顕在意識の心を、自分で<答え>を出しておき、眼前の如何なる人達や環境&状況にも対応できる能力を養っておくべきなのです。

 

あの人が嫌い、あんな事は嫌い、嫌い嫌いと言っても、人生の此の世の中を渡れません。

どんな事柄が自分に押し寄せても、自分の力量でもって、対応して解決すべきでしょう。

でも、人間って、自分で出来る事については、極僅かですから、自分以外の人、他人に依存してお願いしなければ、生きる事が無理な場合が沢山とあります。

時には、思い切って他者に{依存}する勇気、また、{拒絶}されれば、相手にも色々な理由が有るので、場合によっては、また、別の人に{依存}するのが必要な場合もあります。

ある程度の、自分の切磋琢磨が有って、初めて他者も自分を認めてくれるものです。

今まで歩いて来た自分の過去を点検するだけで、自分の実力&力量は大きくなります。

過去の心を回想して、自分の心を磨いておけば良いです。自分の心の操作しだいです。

「インターネット心理療法」を受ければ、大丈夫です。