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2011 年 2 月 のアーカイブ

<<論考>>現在の{{こころ}}2

2011 年 2 月 28 日 月曜日

 人間は、今が満足できれば、それで良いものでしょう。

勿論、一寸の先が{{{暗闇}}ならば、悲しいでしょうが、あまり真剣に自分の人生を見ないわりには、眼前だけは、案外と拘ります。

 だから、人生の全体像ですね、生きる事や死ぬる事が明確にできる人達は立派な生き方ができるでしょうが!!!!!!・・・・・。

立派に理解したようでも、「絵に描いた餅」では意味がありません。

理解したと思う事と悟っていると思う事は、「「次元」」が違います。

 

 勿論、当人が勝手に{{悟っている}}と言っても、見る人間が見れば簡単に、その人が幼いか成熟しているかなど、{{こころ}}を喝破できるものです。

本当に<<人生を悟っている>>のか、いや、そうでないのか簡単に見破る方法ができます。

 面白いのは、人間って、「「食事だけ満足」」すれば良いとも言いましたが、本当は違うのです。

「「食事」」に満足できれば、次のものを欲求するのが人間です。

多くの場合で、「「名声」」とか、更なる「「金銭」」とかですね、次の{{欲求}}を求めるのですから、大変な生き物です。

 

 「「名声」」が手元に入れば、或いは、好みの好きな「「異性」」を求めたり、あらゆる状況で人間は新しい物事を求めて、案外と<<災いを引き>>おこします。

何時も、人間はそんな考え方をしますが、勿論、現在の今、{{食べる事に、一生懸命になっている}}場合などでは、あまり余分な事柄を考えません。

 考えないと言うよりは、目先の今の状態だけで{{考え}}が一杯なのです。

「「欠乏欲」」とも、言います。

人間の「「欲望」」には、限りが有りません。

一つでも自分の求めていた物事が手元に入ると、次の「「欲求」」を、また、拾い上げて追い求めるのです。

 

 時折ですが、「「五欲」」の話を致しますと、自分にはそんな「「欲求」」は全く関係有りませんと、言う方達も居ます。

そう、当方には{そんな表現をされる人達の気持ち}も理解できます。

自分で気づかない事柄や考え方を、当方は他者の気持ち思考体系を喝破できます。

それを、当方は{{皆が少しでも、「「こころ」」を学習すれば理解できるようになる}}だろうと、伝えたいのです。

 本当に、誰もが勉強さえすれば了解できるし、人生を生きるのが気楽になりますし、楽しくなるものです。

自分の「「欲望」」を満たせない時には、如何なる考え方をするか、それだけを明確にしておけば立派な人間でしょう。

{{こころ}}を学びましょう。

<<論考>>現在の{{こころ}}1

2011 年 2 月 25 日 金曜日

 人間は、親の「「因縁」」で此の世に誕生してきます。

胎児から乳児は~幼児~学童~生徒~学生~~などの過程を通って成人して、人間世界を生きるのです。

 人間社会で生きるには、色々様々な問題が沢山とあり、嬉しい楽しい事柄ばかりではありません。

時には、悲しい事ばかりの時間もあるでしょう。

苦しく、悲しく、嘆くばかりの時間や歳月を送る事も有るでしょう。

何時も生きているのが、嬉しい時間ばかりであれば、皆が幸せであり、此の世で「「自殺する人達」」も居ない筈です。

 

 此の世を生きる以上は、誰も皆が眼前の人間や眼前の環境に<<自分の{{こころ}}を合わせなければ>>なりません。

皆が、誰もが「「好き・・嫌い」」を抱えて生きているものです。

自分の人生が楽しい、生きているのが嬉しい、なんて言える人達がどのくらいに居るのでしょう。

 普通、人は一般に{現在}と{近未来}だけを考えて生きています。

そして、自分の好みにあって生きられれば、満足しておれるでしょう。

ですが、自分の人生を真剣に生きる予定、生きる積もりでも、なかなか、自分の思い通りには行かないですよ。

 

 人間は、愚かな生き物、当方は固く、人間は{{そんな人間}}だと思っています。

「「お金が好き」」、「「名誉が好き」」、「「地位が好き」」、「「異性が好き」」、などなど、人間って大変な動物ですよね。

他に、人間が特別に「「うつ病」」になった時には、「「睡眠欲」」が強度になってきます。

普通の人たちでは、「「睡眠欲」」なんて言っても、理解できないでしょうけれどね。

仕方がありませんけど、そんな面白い世界が有るのです。

 「「食欲」」も、また、大変なものです。

「「食欲」」については、簡単に当方が話しただけでは、何故って、思うでしょうが、人間が{{美味しい食事}}を求め出したら、大変で凄い「「食欲」」を抱えています。

 

 唯、唯、結構と人間はお金が溜まれば「「食欲」」を満たすのは、案外と易しいでしょう。

しかしながら、食べれば、体重が増えますし、体重が増えすぎてしまえば、血液の病気とか血管の病気とか心臓病とかになり易いです。

そして、放置しておけば、短命に終わります。

病気のために、病気を治療する医師が居ますし、また、医師が必要となります。

何時も、本当に自分の好きな美味しい食事ができれば、人生は{{それだけ}}でも満足でしょうか???

そう、何を求めて{{生きる}}かだけです。 

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」7

2011 年 2 月 24 日 木曜日

 体の病気、「「心身症」」などや、{{こころ}}の病気などでは、巨大な「「無意識」」や「「潜在意識」」などを少しでも、解明しようとする治療法でしょうが、折に触れて、過去の「「意識」」をそのままにしておいて、現在の{{こころ}}のみを解明してから、{{こころ}}の病気を治療しようとする{{こころ}}の治療法が案外と多いみたいです。

 しかしながら、当方は、長年月間にわたり「「心理療法」」に関わってきましたが、何と言っても、人間の現在の歪な{{こころ}}を治すには、今の{{こころ}}のみを治してあげるのは、大変に難しいでしょう。

 

 大きな「「日傘」」・「「雨傘」」・「「松茸の傘」」・「「椎茸の傘」」の部分が、全ての{{こころ}}の塊ですから、そんな巨大な塊の一部を散策しても、多くの{{こころ}}の塊は汚れたままで残るのです。

特別に汚れた{{こころ}}の塊を砕いて散策しないと、軟らかい平らな{{こころ}}にはなりませんから、ね。

 自分の「「意識」」の近くに存在している{{こころ}}だけを拾いあげて自分で納得しても、暗闇の中の{{こころ}}の塊を解かないと、「「平和」」な安らぎの穏やかな憩いの{{こころ}}は決して訪れて来ませんね。

 

 大きな「「傘」」の塊の中を少しずつでも構いませんから、歩いてみるものです。

多くの人達は、自分の「「傘」」の塊の中にあまり嬉しくもない悲しい惨めな小さい塊が出て来る事に恐怖を感じるのです。

いや、恐怖を感じると言うよりは、自分が有能な真面目な人間だと自負していたいのです((どうしようもない程の悪事を重ねておいて、自分で真面目だと思いながら他者に褒められたいなどと、考えていますからね。)。

 また、他者から称讃を浴びたいと思わなくても、自分の{苦しさ}や{悲しさ}や{惨めさ}や{妬み}や{劣等}などなど、思い出したくないのです。

そんな、ある意味では、マイナスの自分に出くわすのが嫌いなのです。

ト―タルには、人間世界を化けて生きる事を望んでいます。

 

 そう、自分に仮面を被せたり、自分の体に鎧を着込んだりして、本心を隠して生きていたいのです。

皆が、人間って、そんなものでしょうが、自分が自分の正体が外側にばれるのに悔やむようならば、自分の素直な{{こころ}}に戻ってみる事なのです。

自分の現実に持っていない「「傲慢さ」」や「「自惚れ」」に、苦しんだ時には、本当の自分になって素直に丸裸になってみる事でしょう。

ここが、一番に大事な{こころ}}ですからね。

 どうぞ、「「顕在意識」」とは、それほどに巨大な{{こころ}}だと、当方は皆様方に伝えておきたいと考えます。

今までの学者とは、逆説の{{真実}}を論考しておきます。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」6

2011 年 2 月 23 日 水曜日

 フロイドの言っている「「顕在意識」」は、海面に浮かんでいる氷山の「「一角」」との気持ちは、理解できない訳ではありません。

また、ユングは絶海孤島の「「小さい離れ小島」」が「「顕在意識」」だと言っているようでもあります。

 しかし、当方は、本当に長い間にわたり「「心理療法」」を行なって来ましたが、どうしても、「「顕在意識」」の方が、「「潜在意識」」や「「無意識」よりも遥かに巨大のようです。

 

 フロイドやユング達、彼等の考え方は、現在の今ですね、考えたり思案したり悩んだり苦しんだりなどの、そんな思考をしているのが、今の「「顕在意識」」だと言います。

現在の{{こころ}}を如何に使用しているにせよ、歪に{{こころ}}と{{からだ}}を使っているにせよ、その下層には「「潜在意識」」と「「無意識」」が潜んで現実に動いています。

 フロイドやユング等の見方、いや、沢山の心理学者の考え方は、心身症、不安神経症、強迫神経症、うつ病、登校拒否、校内暴力、家庭内暴力、衝動買い、不純異性交遊、アダルトチルドレン、ニート、フリーター、DV、シンナ―中毒、覚醒剤中毒、などなど、全てが、「「無意識」」と「「潜在意識」」に裏打ちされた「「顕在意識=現在意識」」のなせる「「業」」でしょうからね。

 

 歪な「「深層心理」」を抱えていますとね、「「顕在意識」」までが、歪になってしまいます。

その故に、「「顕在意識」」は、大量の膨大な歪な「「潜在意識」」と「「無意識」」を背負っているのです。

沢山の心理学者や精神医学者、全ての殆どの学者が{{異常会話}}・{{異常行動}}・{{異常なこころ}}は、自分達の己の「「無意識」」や「「潜在意識」」を明確に考えていないことから、或いは、忘れ去っているとの考え方をしているみたいですよ。

だから、「「顕在意識」」は小さいのだと、言っています。

 当方としては、やはり反対の意見で、顕在意識の方がはるかに大きいと思います。

フロイドやユングの考え方とは、全然と反対の{{考え方}しかできないですからね。

 

 人間は誰もが、胎教~誕生を通して、少しずつ成長して行きます。

そんな過程で、{{こころ}}の雑念と言うか、{{こころ}}の垢が大量に絡み付きます。

人間が「「会話」」や「「行動」」にしろ「「こころ」」にしろ、下方から押し上げられた「意識」と考えるのか、或いは、上方から押し被せられている「意識」で生きているのかの考え方にもなりますが・・・。

「「意識」」の動き方の説明とすれば、今までの考え方でも良いでしょうが、確かに彼等は、「「無意識」」や「「潜在意識」」の方が遥かに{{大きい}}のだと言っていたでしょう。

 ですが、当方は、「「顕在意識」」が全ての重層する「「意識」」を背負っているから・・、風呂敷の中に包んで抱えているからこそ、はるかに「「顕在意識」」の方が巨大だと説明しているのです。

「「雨傘」」や「「日傘」」や「「松茸」」や「「椎茸」」のように、上方の「「方」」が大きな歪な{{こころ}}の塊であると考えても良いですね。 

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」5

2011 年 2 月 22 日 火曜日

 総合的に、最後に考えましょう。

フロイド&ユング等の言っている事は、理解できない訳ではありませんが、彼等は「「顕在意識」」が小さいのだと言っているのと同じです。

 当方、確かに「「今、使用している{{こころ}}の部分」」→「「顕在意識=現在意識」」は、「「無意識」」も「「潜在意識」」も使っているのですが、人々によっては、歪な{{過去を抱えています}}ので、自分の歪な過去の{{こころ}}を切り離して生活をしているようです。

時折には、己の過去を無意識的に切り離している方達が居ますので、現在の{{こころ}}も全くと<<まとまり>>が無い場合もあります。

 

 又、境界例人格障害の人達は、別格で、自分の現在の{{こころ}}と自分の過去の{{こころ}}が全然と繋がらない場合もあります。

人生を生きるのに、随分と苦労を致します。

自分が苦労をするのですが、周囲の苦労を全然と理解しません。

彼等には、過去の{{こころ}}が無い、のと同じくらいですね。

 さておいて、人間は歳月と共に脳味噌の中には、歩いて来た経験と体験が堆積して詰まっています。

今の{{こころ}}は随分と大きな「「意識」」を抱えています。

また、抱えていると言えば、表現が悪いかも知れませんけれど、だとすれば、遠い過去の{{こころ}}と少し遠い過去の{{こころ}}が積み重なってから、自分の目前を判断しながら、日常生活をしています。

 

 日常生活を暮らすのに、「「ストレス」」や「「苦しみ」」などを感じるのであれば、自分の生い立ちの過去から、{{こころ}}の整理を重ねていく事、過去を振り返りながら自分の{{こころ}}を見つめ直さないと駄目でしょうね。

 そこで、「「顕在意識」」は、大きな大量の{{こころ}}を含んでいますので、「「無意識」」や「「潜在意識」」などよりも、遥かに大きな「「こころの世界」」であります。

何度か述べましたが、ピラミッドの形状でもなく、海面に浮かぶ氷山の一角でもなく、絶海孤島の離れ島でもありません。

「「顕在意識」」とは、そんなチッポケな「「意識」」ではありません。

 

 どうぞ、もう一度、精神科医や診療内科医の医師達は、再度のこと、{{こころ}}の世界を考える必要があります。

巨大な「「顕在意識=現在意識」」を開拓して、人生を楽しく嬉しく悩まないで苦しまないで生きること、そうすることが、病気にもならないし喜んで生きられる事になるのです。

 最近、いや、現在まで、「「無意識」」や「「潜在意識」」は大変に大きくてユングなどよると、地球上の海にしろ、海陸が海底で繋がっているほどに巨大で大きなものだと言っています。

或いは、山々が裾野で繋がっているように、その海底とか谷底の繋がりが「「無意識」」だと言うほどですが、当方は、矢張り、反対の「「考察と意見」」です。