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2011 年 1 月 のアーカイブ

<<心の世界>>心の話「心・会話・行動」7

2011 年 1 月 21 日 金曜日

{生い立ちの心}が、全ての基本だと何度も話しています。

でも、これだけの話では、理解出来ないでしょう。

人間の心って、非常に面白いものです。本当に、そうなのです。

人対人、人対状況、などの問題であり、生きている自分の眼前でのどんな出来事や他人にたいしても、自分が対応できる能力さえ持っていれば充分なのです。

人が、成長して大人になった時に、何らかの仕事や役割などこなして、幾らかの金銭か或いは、それに似たものを得てから、人は人生を全うできるのです。衣・食・住・なども出来ない環境に投げ込まれても、余程の天災・天変地異などによって、被害を蒙らなければ、自分の人生を生きる筈なのです。

それなりの仕事や役割を、充分に日頃からこなしていればです、ね。

 

沢山の人達、悩み苦しみ、心身症、神経症、うつ病、心と人格の脆弱さ、アルコール依存、非行、犯罪、薬物依存(ここでは、大麻、覚せい剤、麻薬、など)、これら全てが原点には心が基盤になっています。

上記の事柄は、異常会話、異常行動、異常な心、などなどと言えます。

人は、此の世に誕生して心身ともに成長していきます。

自分が、成長したくないと思っても、時間の流れとともに、心は成長しないで済むかも知れませんが、肉体は自分の思う通りにならず、大きくなって行きます。

嫌で、好きでないにしても、見掛けは<大人>になります。でも、見た目は大人でも、人間社会で生きる以上は、社会で仕事や役割を、どうしても最低限でも{こなせる人間}になって、自分で「衣・食・住」を稼げる人にならなければ駄目です。

 

人が此の世に誕生した時から、面白いというか、本当に大変なのは、自分の親から、心の形を刷り込まれて育っていくということです。

だから、昔から「三つ子の魂、百まで」、「親の因果が、子に報い」などの、言葉が言い伝えられていますが、本当に{その通り}なのです。

親から植え付けられた、或いは、植え込まれた心の形を「超自我」とも表現されます。自分の自我ですが、自分の意志で作り上げたものではなくて、親から育つ過程で意見や注意や説教などされて、誕生以来の成長する段階で、大脳深くに{親の考え方}}或いは{親への反発心}}などが刷り込まれて無意識的に、自分の現在の心を強迫しています、良しにつけ悪しきにつけ、ですね・・・・・。

 

ですから、個人が自分で自由に人生を羽ばたいて生きるには、親から如何なる自我を植え込まれて、即ち、超自我を気づいて、超自我を納得してあげた時に、初めて、親の心から解放をされて、人間個人が人生で自由に自分の心を操作できて生きる事が可能となるのです。

少し難しい表現になりました、悩む、苦しむ、などと言う事柄は、自分の意志で自分の人生を生きる事が出来ない、だけなのです。

親の考え方、親も悩める人間だった、と理解できた時に、人は大きな{心の自由}を得る事ができます。

<<心の世界>>心の話「心・会話・行動」6

2011 年 1 月 20 日 木曜日

人間、此の世を生きていると、楽しく人生を送っているように見えても、案外と心の底では、悩んだり苦しんだりの生活をしているものです。

極端に表現するならば、皆が建前では<にこにこ笑顔で笑っていても、心の底では泣いている場合が沢山とあります。

自分の深い心が動いているのですが、無理やりに蓋をしながら、化けて生きているものです。

悲しい心に、その上に蓋をしようと思って出来ない状態にも、なって来ます。

そうすると、人前にも出れないし、出たとしても悲しい表情、疲れた表情などをして顔も体も草臥れてしまった状況を、他者に自分を見破られてしまいます。

 

人は、生まれながらにして、食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、金銭欲、などなどを抱えて生きると表現されています。

勿論、上記の五つと言っても、その人の置かれた立場と状況によって、五つの中のどれかが、と言った状況となるでしょう。

一度に、沢山を求める人達もいますが・・・・・・・。

昔からの言葉にも、こんな言葉もあります。

本能とも言えますが、名誉欲や金銭欲は本能とも言えるし後天性とも言えるし、微妙な感じですね。

 

どんな発展途上国でも、金銭欲や名誉欲などについては、人は抱えています。

人だけでなくとも、動物でも、喜び、楽しみ、嬉しさ、幸福感、歓喜、至福感、などなど、人の心もあるはずですが、人には見えません。

一方で、人間は、悩み、苦しみ、悲しみ、淋しさ、孤独感、嫉妬、怒り、恨み、憎しみ、怨念、虚しさ、虚ろ、苛立ち、爆発感情、暴力感情、自殺感情、などなど、どうしようもない気持ち、感情などが、入り乱れている場合も結構とあります。

プラス思考で居れる時は良いのですが、一旦でもマイナス思考に陥ると<なかなか其処から抜け出る事は不可能>ですね。

 

 そう、人生の一生を、一度もマイナス思考にならないで生きる事が出来れば、最高でしょうが・・・・・、でも、あまり努力も何もしない人達もいるので、注意が必要でしょう。

 同じ、一度限りの人生で・・、命を燃やして一生を生きる事が素晴らしいとは思われます。

人は、色々様々な心を抱えて生きています。

でも、基本的には、喜びか、悲しみか、両方の心に分かれるでしょう。その間の、中間的な考え方の人達もいるのでしょうが・・・・・。

考え方の全ての基本になるのは、生い立ちの歩いて来た過去の心が基本になっています。

だから、その基本の心を点検すれば、全てが上手くいきます。

<<心の世界>>心の話「心・会話・行動」5

2011 年 1 月 19 日 水曜日

異常会話、異常行動などは、心を土台にして、発せられるものです。

異常会話も異常行動も、大脳生理学的に脳脊髄液、神経内分泌、免疫などと絡まって表に表現されてくるもののようです。

心がパニックとなると、善悪の判断もできない・・・・、異常会話、異常行動、などなど、そんな事柄も全てが、過去の深い意識ですね、無意識と潜在意識と顕在意識(現在意識)のアンバランスの問題が関係しています。

当然、脳脊髄液のバランスも壊れているでしょう。

心と体は、密接に関連しています。また、その中間である脳脊髄液や血液にも変化が起こって来るようですね。

 

人の記憶は、大脳の海馬と言われる場所に蓄積されたまま、人の一生に残っていくようです。現在を生きていると、そんな過去など関係ないと思って皆さんが日常生活で暮らしているのです。

怖いですね。自分の過去の心が、自分の現在の全てを動かしています。先天性とか素因とかに関連している場合は仕方が無いにしても、体までが自分の過去の心に支配されているものです。

行動というのは、{体が動く}というものでもあります。

人は、自分から外を眺めて生きる<外観的>な生き物でもあります。全ての生き物は、外観的な存在でもあるでしょう。

 

格別に、人は、明確に{心}を持っていますし、その{心}が自分の全てを支配しています。

そう、人は、自分の過去の記憶を何時も明確化して生きているのではありません。

だが、その気づいていない無意識の中に動いている、トグロを巻いている心が一番に大切です。

今の現在に考えている事柄は、過去の心に裏打ちされていますし、人が現在と未来を考えるのは、とにかく、その人が過去から現在に至るまでの心で作り上げた心、その心で全てを判断します。

皆さんは、自分の過去の心って、関係ないと思っていらっしゃるみたいです。

 

老若男女を問わず、医師も宗教家も心理士も一度でも良いから、自分が生まれてからを過去の心の足跡を振り返って辿ってみる事です。

どんなにお金持ちの人も、科学者も、地位あり有名な人も、同じですね。

どんなに自分は賢い偉いと思っていても、自分の過去を振りかってみない限り理解出来ません。

或る人が、当方に言われました・・・。人生を悩まずに生きるなんて不可能だと、当方へ自己主張されました。簡単に、できるのです。その人に対して、人生勉強が足りていないので、仕方ない・・・ですね・・・。  

<<心の世界>>心の話「心・会話・行動」4

2011 年 1 月 15 日 土曜日

今日は、人の犯罪について少し話をしますが、全てが、「会話・行動・心」と関係します。

マスコミでは、裁判所で、或いは、検察庁で、よくある話なのですが・・・。

犯罪時に、この人は、<善悪の判断能力>を持っているのか、いないのかと言う{争点}があります。

この事については、日頃、<善悪の判断>を出来ていた人でも、心の葛藤が蓄積すれば、その<善悪の判断を出来ない状態>になるものです。

その人の、人格水準とも言いますが、一般的には、誕生から~現在に至るまでの、過去の生い立ちの中に、全ての{答え}は有るものです。

 

堪忍袋の<尾が切れると、或いは、結んだ紐が切れる>と、パニック状態となります。

パニックの状態で、誰も<善悪の判断は出来ず>に、何をしでかすか分かりません。

登校拒否、引きこもり、出勤拒否、アルコール依存、不純異性交遊、万引き、詐欺、窃盗、殺人などにしても、皆が、善悪の判断を出来なくなってするのです。彼等は、ある意味では、慢性のパニック状態が続いていると言っても良いです。

善悪、これは善、これは悪、などの判断が出来る人は、絶対に<自分にとってマイナス>になる事柄はしません。善と悪の判断が出来る人は、これ以上は、駄目だと判断できます。

即ち、前後の見境もつかない状況、そんな心理状態におかれるので、<してはいけない>と平常人が思う事を、彼等は犯してしまいます。

 

そんな心のパニック状態になるのは、どうしてか、でしょう。

犯罪を行う皆が、罪の意識、自分の悪の意識さえ持っていれば、余分な行動、余分な会話、犯罪なども出来ません。自分は悪い人間だと、体で自覚できれば、一歩を踏み外せない

自分がこれをしたら、<後が大変>だと理解できる人は、本当に大きな罪悪な出来事は出来ません。

色々様々な逸脱行動、逸脱会話にしても、犯罪にしても、自分の眼前の判断を上手に出来ないだけです。

出来ないのは、自我の形成の問題で、人格水準の問題でもあります。

自我形成の脆弱な人達は、眼前の人達や環境&状況に<自分の心が振り回されて>不安定ですね。

 

{過去の心}が、{現在の心}を作るし、現在の心が{未来を見る心}を創造します。

未来に向かって生きて行く自信が無くなった時に、心は限りなく不安定となり、規則や条例や法律までを超えて、駄目な事柄までやってしまいます。

過去から現在にかけての無意識的の、恨みの感情や、不平や不満の感情が自分の現在の気持ちや心を、下から押し上げて、自分の心を苦しくしています。

犯罪をおかしても、所謂、悪い事柄を行っても、罪悪感がありませんので、犯罪時には<善悪の判断>を、誰も持っていないと言えます。

だが、犯罪者の心を・人格の形成を正確に判断をして、裁判がなされているのでしょうか???、可笑しいですね。 

<<心の世界>>心の話「心・会話・行動」3

2011 年 1 月 13 日 木曜日

心の話をしていますが、視野を変えて、見詰めてみます。悩まない人になるためにですね。

そこで、人は一体に、どんな心を持っているかなのです。如何なる心を持って、人生の一生を終わるのか、知っておれば良いですが・・・・・。

最初に、自分の心を充分に知っていないと、自分以外の他者、他人の心が見えません。

心の学習、たんなる勉強では駄目ですね、心の底から人生って{何}などと、考えて勉強しないと駄目なのです。

 

人は、俗に、{本音}と{建前}と言う言葉が有りますね。

多分に、皆様は、このような言葉は聞いたことが有ると思います。

でも、言葉を聞いていても、実際に、その意味が理解できていないと役立ちません。

謙虚になって、ふと、立ち止まって、自分の心を見つめると、沢山の自分が気づいていなかった心が見えて来ます。自分の心を自己探求する方向性が、大事ですが・・・・・。

けれどもですね、本当の自分、自己とは、自分の存在とは、などなどの心を、どの方向から眺めるかなのです。

自分の心を充分に沢山と知っていると言っても、自分流に勝手に理解できていると自己主張しても、それは駄目なのです。

 なぜなら、人には、人の性格というか厳密には人格と言った方が良いのですが、その人格は、会話や行動にしろ、全てが、心が土台になっているからですね。

 

即ち、人は、心が会話や行動を動かしているので、人間にとって、人にとって、一番に大切なものは、「心」なのです。

心が丈夫でしっかり、自分の心を操縦できれば、人間社会を気楽に生きていけるのです。

心の学習が、物凄く大切です、自立した人間として此の世を生きるには・・・です。

単なる{心理学}を勉強しただけでは、人間世界を上手に生きるのは、無理なのです。

何が、大切かですが、人は、人間社会を生きるには、家族の中でも、学校の中でも、職場においても、常に誰かと<顔を見ながら>生きることしか有りません。

数日間など、孤独で研究などする事もありますが、やがて人と会えると期待感もあります・・・・・。

 

自分以外の人に対して、上手に付き合いを出来ること、自分の投げ込まれた状況や環境に上手に対応&適応できること、それで充分です。

でも、本当に気楽に生きるには、自分の眼前の人達が皆が性格というか人格というか心が違うので、皆に対応できる自分が必要です。何事が起こっても、立腹しない事です。

そのためには、自分の心の{器}が大きくないと、直ぐに壊れてしまいます。

大きな人間、誰とでも生身の付き合いが出来る人に・・、また付き合えなくて苦悩を感じるのであれば、そんな自分に納得すること、{納得}するところから、心の平安を得るし、納得できれば<そこから、這い上がる努力を必要>と感じる筈です・・・・。

本当の自分、自己に納得し認めることです。恥ずかしい、劣っている、駄目人間と認めれば、努力せざるを得ないです。