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2011 年 1 月 のアーカイブ

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)3

2011 年 1 月 31 日 月曜日

何度か、重複してお話するかも知れません。

だが、話の出始めが違うだけでも、聞く人からすれば、T・O・Pが違うだけで、聞き始めが異なっている事で、耳に届く場合もあります。

{うつ病}にならないための話、{うつ病}から解放されるための話、なのです。

自分の眼前、自分の未来に何事が起ころうとも、悩まない人になっておくべきでしょう。

そうは、言っても、<言うは易い>が<現実は厳しい>、などと言われるでしょう。

でも、そういう心の境地に少しでも近づくべきです、ね。

 

{うつ病}の人達のなかには、ひたすらに心の拘りを持ちながら、漠然とでも、自分が<何に拘っているか>気づいている人達も居ます。

一方、自分の拘っている事柄には、全く気づいていない人達もいます。

悲しいです、ね。

悩みながら、何で、どうして、何故、など案外と考えないものです。

そんな思案を出来る人達は、{うつ病}にはならないとも言えます。心の操作が大切ですが・・。

人の心を、浅い心と深い心に分けてみます。

どちらが、大切かです。

多くの人達は、今の心が大切だと言います。

 

長年月にわたり心理療法に関わってきましたが、実際は、違うのです。

深い心の、方が重要です。

今までに聞かれた事があると思いますが、無意識、潜在意識、顕在意識、と言われます。

人は、誕生してから、いや厳密に話をすれば、胎教ですね、お母さんのお腹の中に人が居る時から、既に、何らかの母親の影響を受けています。誕生、新生児、乳児、幼児、小児、生徒、学生、などと成長します、ね。

家族の中で、両親、兄弟姉妹、祖父母、或いは、学校での生徒達、近所の人達、両親以外の自分を育てた人達、或いは、社会に出てからの周囲の人達、年齢を重ねる度に、その頃の意識は下層に沈み、現在の意識から下方に流れて沈潜します。

 

今、何かをするために、一生懸命に夢中になって、心を一つにしている積もりの場合もあるでしょう。

だから、自分は、今の心だけが中心と思う人もいるでしょう。

しかし、今の夢中になって自分が動いている、動かしている心も、自分の過去の生い立ちの心が、また、現在に至るまでの、諸々の心が裏打ちをしています。

過去が無いと、ぼやいている人を時折ですが、見かけます。

本当に、もう少しでも、心の勉強、学習をして欲しいと、常に考えている私です。

自分の心の底で動いている心を、勉強する事です。自分の心の内なる心を静かに眺めて、深い心で、自分がどんな心を持っていたかを、勉強する事です。本当の自己を、知る事です。「インターネット心理療法」で大丈夫です。   

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)2

2011 年 1 月 28 日 金曜日

殆どの人達が現在の状況、或いは、近未来を考えて生きています。

これが、普通の人達の生き方ではあります。

自分が幸せになりたいとか、何時も誰もが<そう思って>いる筈です。

何かを求め、追い求めています。それが、{何か}でしょう。

普通では、大衆は多くの場合では、何がしかの金銭を求めています。

また、人によっては、地位とか名誉などの場合もあります。

或いは、置かれた状況によって、勿論と、異なって来ますが、若い人達の間では、異性の友達、いや、恋人が欲しいとか、当然ではあります。

 

体だけが成長して、精神が成長していない人達も見られます。

人間、年相応に、成長する事ですね、体も心も・・・・ですね。

でないと、男性同士、女性同士、異性関係の付き合いも出来ません。

人は誰かと一緒に居て、初めて、心が癒されるものです。

勿論、自分の好きな趣味とか道楽とか持っている人達もいるでしょう。

しかし、そんな自分の好きな事柄についても、長期間にわたり自分一人で行っていると、矢張り、寂しくなるものです。

自分が好きでやっている事柄でも、自分のやっている事柄を誰かに聞いて欲しいと思うようになるものです。

好きな物、好きな事、長期間、人間の顔も見ずに時間を過ごすのは、誰にも寂しいです。

 

人生を生きるのに、人は誰かと一緒に、<会話や行動や心>が交流できることなのです。

一時的には、物で、人は癒されるでしょう。

だが、長期的に見ると、観察すると、人間は一人では駄目なのです。

では、引きこもり、登校拒否、出勤拒否、引退して山奥で一人住んでいる人も、居るではないかと、言う方もおられるでしょう。

でも、本当のところは、人との付き合いに草臥れているだけか、付き合いが出来ないから、人を自分で避けて、適応していないのです。

彼等は、大変に悩んで悲しんでいます。

自分が、勝者ではなく、敗者である事を確実に体で認めるのが大事です。案外と、人は、自分が駄目な人間だと言わないし、そう思われたくないのです。

 

自分が、駄目な人間だと、心の底から話す事ができれば、そこから、また、人は這い上がれるのですが、・・告白という言葉がありますよね・・・勇気を出して・・・本当の自分の心を表出する事です、ね。カミングアウトもありますが、純粋な<告白>とは少し違います。

よく思われたい、褒められたい、賞賛を浴びたい、などと考えると、余計にストレスは溜まります。

皆から、貴方は駄目人間ですねと、言われて、‘そうなのです、駄目人間なのです’と、相槌を打てれば、最高の人間となれるでしょう。自分の本当の正直な心を表出できれば、悩まない人になれます。{うつ病}にもならないですね。{うつ病}からも、解放されます、ね。                         

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)1

2011 年 1 月 25 日 火曜日

 今回は、{うつ病}の話しをしましょう。悩みと苦しみ、{うつ病}ですね。

心から来る病気は、沢山と有ります。心から来る病気について、数をあげれば限(きり)がないですね。神経症や心身症でも、数えられないほどです。

一番に分かり易いのが、{うつ病}だろう、と思います。

そこで、数回、この講演では{うつ病}について、話してみましょう。

付け加えておきますが、ともすれば、人は悩みながら苦しみながら、日常生活で人生を生きています。自分では沢山と心の葛藤を抱えていますが、自分の心に気づきません。教えてあげても、自分はストレスを持っていないと自己主張する人達も居られます。

 

25年間も、心理療法をやって来ました。当方で、6千人くらいの人達が心理療法を受けていかれました。

一番に多かったのが、当方では{うつ病}です。

悩みを持たない人達は、{うつ病}には絶対になりません。これだけは、断言しておいても良いでしょう。

でも、人間で此の世を生きる限り、余程の事、人生について<しっかりと勉強というか学習>をしていないと、悩みや心のストレスから、解き放たれないでしょう。

生存競争だとか、人生、人間社会での人の生き様については、そんな表現をしたくないのですが、細かく見詰めると、その生存競争ではないと、否定する事は出来ません。

 

人は、ある年齢までは、どうしても、自分の親、或いは、誰かに育ててもらわないと、此の世では成長出来ません。

勿論、肉体だけではなくて、心も一緒にですね、年齢相応に成長するしかありません。

肉体のみが、成長しても、心がともに成長しなければ、なにか、オバケの様な状態、或いは、得体の知れない生き物になるでしょう。

そうすると、人は、社会の中で、ある程度、自分以外の他者と共同生活が必要なのです。

お互いに、人対人のコミュニケーションができて、初めて、人生を自立して生きていけます。

家族の中で、社会の中で、或いは、集団の中で、人はそれぞれ、誰かと会話など交流が重要なのです。

 しかし、自分の頭というか心の中に、相手との会話での交流の力量を持っていないと、会話などもギクシャクして来ます。

 

自分以外の他人を目前にして、それなりの、会話能力を持っていないと、何も話せません。

遊ぶ事にさえ、上手く一緒に遊べないでしょう。遊ぶ事、楽しむ事、趣味などについては、皆がそれぞれ違うので、それなりの同じ趣味などを持っている人達とですね、遊べば良いのですが、それにしても、同じ好きな事柄をするにしても、上手と下手に分かれます。

皆が満足しながら、会話と行動と心の<つながり>が、出来るかどうかです。

心の葛藤を抱えなければ、{うつ病}にならないし、{うつ病}からも解放されます。

人生を楽しく、生きる<知恵>を自分の身につけましょう。   

<<投書>>「親子内観」後の感想文(子)

2011 年 1 月 22 日 土曜日

   今回は娘さんの内観後の感想文ですね。

 

「内観を終えて」

母が体調を崩しての約2年間、あちこちの病院を渡り歩き、原因が分からないことに落胆し、この先の不安に押しつぶされそうになっていました。

切羽つまり、たまたま広げた電話帳で、こちらの病院を知り、先生とお話できたことは、正に、天のお導きと感謝するばかりです。

私自身、幼少の頃に、わら切りで、指を失くし、たくさんの心の傷を抱えながら生きてきました。又、母との関係についても心にわだかまりを抱えていました。

このままではいけないと、本も数多く読みました。人のお話も聞きました。

でも、心が動かない。頭では分かっていても、心から理解することができませんでした。

 内観を始め、3日目位までは、足腰の痛みもあり、なかなか深くまで内観をすることができませんでしたが、4日目になると、あれだけ痛く、辛かった足腰の痛みが消え、少しずつ深く内観できるようになってきました。

そして、5日目の夕食を食べている時に、ずっと重かった胸の奥の辺りが軽くなっていることを感じました。

自分の至らなさのために、一体どれだけの方々に、くるしみや辛さを与えてきたのだろうと思うと、ただただ申し訳なく、お詫びのしようもありません。

全て、わが身に返るという言葉も、初めて実感として理解することができました。

 内観がもう充分出来たかと言われると、まだまだの様に思います。家に帰っても内観の時間を作り、しっかり自分の心の内を見つめていきたいと思います。

母だけでなく、私の心を救ってくださった松永先生、その他、関わって頂いた全ての皆さまに、本当に感謝申しあげます。

ありがとうございました。

 

以上、親子内観を掲載させていただきました。

娘さんにとっても、お母様の付き添いのためが動機ではありましたが、自分のためにも心理療法が必要、やってみたいとの思いも持っておられたようでした。

良い機会に親子内観ができてよかったと、当方、思います。

 

一般に、問題のある人(夫・妻・子供)が、心理療法をすればよいと思って、最初は、しぶしぶされる方もおられますが、内観を体験された後、これは自分のためだったと、喜んで帰られます。

娘さんは、親のこころ、気持ちが理解できるようになったので、嬉しくなったとの事でした。

<<投書>>「親子内観」後の感想文(母)

2011 年 1 月 22 日 土曜日

  7泊8日の内観を終えられた68歳の女性の内観後の感想文です。

 

彼女一人での宿泊内観は、希死念慮もあったし、身辺上、心配があるので、娘さんと一緒に内観をしていただきました。親子内観の場合の状況です。

閲覧として、記載することについて、ご本人から、「どうぞ」との承諾を得ております。

 

 

お母様の感想から    

「内観療法を終えて」

私は、一昨年の秋頃から体の変調が始まりました。血圧が定まらないので降圧剤を飲む、急なめまい、耳鳴り、吐き気のため、身じろぎもできない状態になった為、耳鼻科に行きましたが、メヌエルではない息苦しさ、動悸がするので、心臓を調べていただきましたが、病とは言えない肩や背中の凝り、何とも説明のつかない気分の悪さ、いつもファファと足が宙に浮いた感じ、急に生汗で、びぃしょりなどで、あちらこちらと病院の梯子を繰り返し、先週、この病院にたどりつきました。

内観とは何かも分からず、ただ何かにすがる思いでした。自分の過去、親のことなど決して私にとって思い出したくない苦しい事ばかりでしたが、思い出しながら書いていくうちに、みにくい自分の姿が浮き彫りになり、涙が止まらないことも多くありました。心の中で両親に、「ごめんなさい」とわびることばかりでした。そのうち目から上にあったベールのような重苦しいものがだんだん薄れてきました。わけのわからない程の気分の悪さも一度もなく、耳鳴りやファファしたものもだんだん薄れ、地に足がついた感じがしてきました。これは何なのでしょうか、とにかく、あんなに苦しんだ不定愁訴が、今は完全になくなりました。これからは両親を苦しめた過去を悔いて、二度と人を苦しめるようなことをしません。又、両親に対し、供養の心を持ちたいと思っております。

ありがとうございました。

 

 

次回は、娘さんの内観後の感想を載せさせていただきます。

又、皆様方にも、家族内観の心の変化の状況が、詳しくご理解できると思います。