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2010 年 12 月 のアーカイブ

<<人生>>人生への理解(12)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 7 日 火曜日

前回は、人の悩み、そして、{悩まない人になる}だけだと皆さんに伝えました。

 

さて、人間は生まれながらにして、眼前だけを眺めて生きるのが、普通の生き方となっているようです。

唯、唯、漠然と生きる、自分がどんな考え方を持って生きているかを、考えもしない場合が多いです。

ついには、自分の死がやって来るまで、考えないし、終末を眼前にしても自分の心を見ようとしない人も、時折ですが、見かけます。

 

自分の眼前に、自分にとって{良い事柄}は無いだろうか、と思いながら日常生活を送っています。

自分に都合の良い事、良い物、良い者だけを、自分の側に置きたいのです。

でも、これが、一般の人達の生活様式だと思われます。

それ故に、一般の人達よりも、自分の人生をより良く有意義に生きるために、人生勉強が必要なのです。

皆さんが、自分が自分一人で人生勉強をしていると、思っておられます。実際には、人生勉強が足りていないのですが・・・・気づいていないのですね・・・。

 

フロイトやユングの名前を知っている方達も、いらっしゃるでしょう。

でも、彼等が説明している事柄では、なかなか、心の糸は解けないと感じています。

当方では、本当に心底と、自分の人生を納得して満足して生きるには、もっと別の方法が必要だと思っています。

 

こちらは、心理士であるが故に、宗教については<良いとか悪いとか>などとコメントを入れる立場には有りません。宗教については、語らない事にしておきます。

 

心の葛藤を持たないで、気楽に良い人生を過ごせる人になって欲しいだけです。

 

心理療法と言っても、色々な方法があるでしょう。

しかし、心の問題は,直接に心を見つめることです。

 

人間には、行動と会話と心の3つしか有りません。

行動と会話を動かしているのは、心ですよね。

だから、人は、{心}次第で<幸か・不幸か、どちらへでも>転ぶものです。

<<人生>>人生への理解(11)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 3 日 金曜日

 さて、人間の社会生活での、心の葛藤について述べてみましょう。

 

{五欲}については、前述しています。早速、ここでは、{{仏教観}}を借りて説明するのが早いでしょう。

{四苦八苦}について説明しておきたいと思います。(四苦+四苦=八苦と言います。)

人間が生きるには、どのような悩みや苦しみが有るのかを知っておく必要もあるでしょうから・・・・。

 

四苦(人間誰しも出会う)・・・・

1.人間世界で生きるには、誰しも悩み苦しみを伴うものだと教えている「生」。

2.人は此の世に生まれた以上は、誰しも老化して行くと言うのである「老」。

3.誰しも、人間世界で生きる。いや、人間世界でなくても、生きる以上は病気をする「病」。

4.人は此の世に誕生した以上は、やがて、終末がやって来る「死」。

八苦(四苦に足して、もう別の四苦があると言うのである)・・・・・

5.人間は煩悩が多く悩んで生きる「五蘊盛苦」五蘊→色・受・想・行・識→色即是空。

6.人が生きていると自分の側には、一人や二人は気の合わない人がいる「怨憎会苦」。

7.人は生き別れや死に別れ、勿論、ペットや貴金属などとの別れもある「愛別離苦」。

8.あれが欲しいこれが欲しい、だけど求めても自分の手には入らない「求不得苦」。

 

人間の悩みを、言い尽くしていますね。

 

自分が悩む時、ストレスを感じる時があれば、上記の事項を自分の心と照らし合わせて見て下さい。

 

ここで強調したかった事柄は、人間は誰しも<心に葛藤>を持って生きています。

ですが、どんな悩みや苦しみを抱えているか、一般庶民は日常から考えもしないので、ここに説明をしてみました。

必ず、共感するものが有るでしょう。

 

人生を生きるのは、{苦}なのか{楽}なのか、それは人間個人の心の持ち方、しいて言えば{人生観}になって来るでしょう。

 

可能な限り早く{心の扉}を開き、人生を楽しく・・と思いますが、人生の{扉}を開くには、皆さんが結構と苦労しています。悩まない人になる、だけです。 

<<人生>>人生への理解(10)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 2 日 木曜日

中学生になると、心の葛藤は、更に、顕在化して来る。

人間の文化や文明は発達したと言いながら、携帯電話やパソコンなどは、益々と多種多様複雑となって来ている。その事が、人間の成長には如何なものでありましょうか・・・・???。

まだまだ若い年齢層の人達に、人生での全体の視野で眺めた時に、人の心の成熟度は???さて、どうなるのでしょう。

 

一方で、親は親で子供達を進学校へ入学させようとして、大変な教育熱心さを示します。

この親の方針は、極一部の子供達には確かに学習に精魂を込めて親の期待通りに、進学校へ入学する子供達もいます。

 

中学から~高校で、学習に心を打ち込む子供達と、反対に、親には反発だけする子供たちもいる、これには2通りの反発様式がありますが・・・・・・。

格別に、言葉や行為や行動で親に反発する子供達と、黙ったまま黙して語らずですが心の底では親に対して怨念の感情を抱きながらで良い子ぶって成長する子供達もます。

 

親から叱られるのが嫌で、親の期待通りに見せ掛けで勉強する。更に、勉強だけしていれば、親は褒めてくれる。親の喜ぶ顔だけ見ていれば、満足する子供達も時たまですが、実際に居るのです。勉強が、楽しいのではありません。

学習について行けない子供達、いや勉強しない子供達、心の底には、既に、不平、不満、怒り、悲しみ、劣等意識、嘘、盗み、罪、などなどの塊の心で充満している子供達もいます。

人の心も一念三千と言うくらいです。

心の底に怨念を抱いても、物静かな子供達もいる。物静かに出来ずに騒いで事件などを起こす人達もいます。物静かな子供達も、パニックで大きな事件を起こしてしまいます。

 

大学に入った途端に、目的意識は消失してしまい、大学入学後に登校拒否をする子供達もいます。

では、エリ―ト大学に入って勉強したとします。

彼等は、本当に幸せなのでしょうか・・・疑問が湧いて出て来ます。

思春期に、それなりの人間生活を送って来なかったからです。大学で勉強に励み、大学院でも研究に励み、一見として、誰が見ても、文句の付け所の無い人間には見えます。

そして、世間で言うところの{出世}です。彼等は、幸せでしょうか???

 

世間で見れば、出世コ―スの真ん中に居る人達でも、心の底には<何とも表現しがたい心の葛藤は流れて>いるでしょう。人生とは大変でもあります。演技も、重要ではありますが。

<<人生>>人生への理解(9)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 1 日 水曜日

何と言っても、人生を生きるには、人は<何を考えて人生を生きるのか>この事を、理解できる人は素晴らしいと思われます。

この事について充分に体得していれば、自分なりに自分の心をコントロ―ル出来るので、心の{どん底}にまで陥ってしまう事はないと言えます。

 

人が此の世に誕生して、明らかに当人がストレスを抱えて生きるようになるには、多分に乳児や幼児はここでは除外しておきたいとは、思いますが・・・・・・・。

ですが、幼児期には、母親と買い物に出ても、玩具を買う時に<駄々をこねたりもする>こともあるでしょう。明らかに、当人は理解していないのですが、それだけ駄々をこねると母親が<買ってくれる>と計算しながら、演技でやっているのです。

 

幼稚園に入ると、既に、登園拒否などもあります。

登園拒否が、幼稚園でのストレスかと問われれば<違う>と、皆さんに伝えておきます。

登園拒否になる園児は、その前に家庭で{母親、父親、兄弟姉妹}等について、欲求不満を大量に抱えています。こちらの心の葛藤を、先に治してあげる方が早いです。

登園拒否になる<切っ掛け>は、幼稚園であったにしろ、原因ではありません。

「因果応報」とも言いますが、家庭での心の葛藤を家族の皆が心揃えて解決すべきです。

勿論、登園拒否だけが、心の葛藤だけでなく、家庭での彼等の顔や表情や行動様式を観察していれば、気づく筈なのです。

{目は心の窓}、{顔は心の窓}、{行動様式も心の窓}です。しいて言えば、その人の目は{家族の心の窓}にもなっています。

子供の顔を見ていると、直ぐに分からなければいけないと思いますが、一般庶民には理解しがたいでしょう。

悲しい出来事ではありますが、それも人生か、でしょう。

 

小学校の生徒では、もっと色々様々な問題が起きます。

登校拒否は勿論、悪口、陰口、喧嘩、暴力、非行、万引き、パソコンゲ―ム、携帯電話、刃物を使った犯罪など自殺や他殺まで、昨今では事件が起きるようになって来ています。

 

小学高学年になって来ると、思春期前期となるのでもあります。

男性は女性を、女性は男性を、異性として意識を持つようにもなって来ます。

やきもち、嫉妬、妬みの心なども持つのです。

一方、家族では、学問とスポ―ツその他の板ばさみで、沈没する子供もいます。