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2010 年 12 月 のアーカイブ

<<人生>>人生への理解(16)・・・人対人・・・

2010 年 12 月 17 日 金曜日

人生って、{何だろう}って、日常生活では誰も考えません。

いや、人は死ぬるまで、そんな疑問さえ持たずに、自分の一生を終わって行きます。

皆が皆、一生懸命に生きている積もりでも、案外とボンヤリとしたまま生きてボンヤリとして一生の終末を迎えて滅して消えて行きます。

 

人生については、色々様々な見解があるでしょう。

自分の事だけ考えて、食にありつければ、それで良いではないかと言う人もいるでしょう。

 

でも、人生って、先述していますが、誰一人として誰とも接触せずに、自分の人生を一生なんて不可能ですよ、ね。

人間の個人対個人の会話、商売のための個人対複数の人との会話なども必要です。

そこには、人間って、無意識的にも、自分で表面上の心では気づいていなくても、{私}と{貴方}、{優越}と{劣等}、{勝ち}と{負け}、{善}と{悪}、{美}と{醜}などなどの諸々の意識を持っているものですね。

 

{四苦八苦=前述している}なども、当然に、人が生きる限り、克服できて生活できれば、何も言う事はないでしょうが・・・・・・・。

ともすれば、不平、不満、悲しみ、淋しさ、孤独、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、怒り、怨念、嘘、盗み、罪、諸々のマイナスの感情を持ち易いものです。

格別に、人が(胎内に居るときから・・)誕生してから、自分の母親や父親や兄弟姉妹に対して、不平や不満、などなど持たないで育つ人は誰も居ない筈です。

考え方は、幾らでもあります・・・・・・・・・・・。

 

子供の時から母親や父親、或いは、自分を育ててくれた人に対して、全く不満を持たずに育つ人はいません。

全く、不平や不満を抱えないで育つと言う人は、ともすれば、全く親離れが出来ていないで、{甘えん坊}そのままで、精神的に大人には成長しません。

自分以外の相手に対して、無意識的に心の共感と拒絶を持ちながら育つものです。

自分一人で、世の中を育っていくものではないということが分かるでしょう。

 

誰もが、自分の過去を調べていくと、心の{因}が見えて来るものです。

現在が、幸福であれ、不幸であれ、心の世界について詳しくなりますので、現在の悩みや苦しみも、自分で解決できる人となれるのです。

何故なら、自分の本音と建前の心の{カラクリ}を充分に把握が可能ですから。

<<投書>>内観後の感想(Y様)

2010 年 12 月 15 日 水曜日

Y様、当院での内観後の感想文です。

掲載の許可をいただき、ブログに、載せさせていただきました。

  <<内観>>

 私は、十年位前に足にしびれを感じ、病院に、行きましたが、異常がなかったので、そのままにしていました。三、四年前から足のしびれがひどくなったみたいで気になり始め、いろいろな病院に行きました。三年くらい前に整形外科では異常がなかったのですが、姉から勧められて、飯塚のせき損センターまで行って検査をしてもらいましたが、やはり異常はありませんでした。それで、病院に行くのをやめていましたが、やはり気になったので、又、病院に行きました。整形外科、脳神経外科などすべての科に行きました。

MRIもとってもらいましたが、分かりませんでした。

 近くの病院、人が良いといったので北九州までも行って検査をしてもらいましたが、分かりませんでした。それで最後は脳神経内科で、病名をつけなければ薬は出せないということで、うつ病の薬をもらいました。でも、友達から、「そんな薬を飲んでも大丈夫なの」と言われ、不安になり薬を止めました。

それでも、まだ足のしびれが気になっていたので、大学病院の脳神経外科に行きました。

検査をして足根管症候群ではないかということで、整形で足専門のDrがおられる某病院に行きました。

ここでは、足のMRIもとったけれど、足根管ではないみたいだとビタミン剤をくれました。

二ヶ月間位飲みましたが、足のしびれは変わりませんでした。

 先生から心療内科に言ったらと言われて、病院を探しました。

電話帳で探して行ったら、そこは休みでした。その話を職場でしたら、友達が病院(当医院)を教えてくれました。自分の姪が一週間位通って、今元気に働いているとのことでした。病院を探して、やっと着きました。心療内科って何をするのかなあと思いました。

いろいろな話を聞いてもらったら、先生は「なおる」って言ってくれました。治療の方法の説明で、一週間屏風の部屋で書くとのことでした。

今まで、どこの病院に行っても分からなかったので、とにかく何でもしてみようと思いました。

 「内観」という言葉もはじめて聞きました。文を書くことも苦手で、漢字も全く分からなくて、難しいなあと思いました。それに、過去のことを思い出すのが大変でした。父の事、母の事、姉の事、主人の事、書いていたら、してもらった事ばかりでした。

びっくりして、自分が何もしてあげられなかったことに気づきました。

今までに、子供の頃の事など思い出したりした事がなかったので、とてもなつかしかったです。両親には、とても大事に育ててもらって感謝しています。

又、楽しかった事、悲しかった事、今までにいろんな事があったなあと感じました。

 病院に来て足のしびれがなくなれば良いと思っていましたが、内観をしてそうでないことが分かりました。

自分でも気持ちを変えないといけないと思っていたのですが、なかなか気持ちを変える事ができませんでした。

いろいろと書くことで、思いが少し変わってきたような気がします。

感謝の気持ちを忘れずに、楽しく生活したいと思います。

  <<追加>>

最後、所長との面談で、自分の好きなことをしている時、遊んでいる時は足のしびれはないので、ご自分から「勝手病でしょうね。」と話され帰宅されました。

<<人生>>人生への理解(15)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 13 日 月曜日

 動物や植物や無生命体などのお陰で、人間は生かされて生きていると、説明しました。

 

今回は、周囲の人間、いや、巡り巡って世界中の人たちのお世話を受けているのが現実でしょうが、この事について皆さんは考えていません。

 

食物だけ見ても、日本産にしても、外国産にしても、自分の知らない人達が生産して、運んで来る人達もいます。

人は、小さなお店、大きなス―パ―などにしても、そこから、食品を買って食べています。

見知らぬ人達のお世話を受けています。

果物、野菜、魚、肉、などなど全てですね。ス―パ―などで買って食べる物だけでなくて全ての販売しているものには、人の手が、かかっています。

 

人が生きるには、原則として、現代社会では<金銭>が必要です。

金銭は、紙幣や銀貨などにして生き物ではありません。

ですが、面白いのは、人間は誰しも金銭を沢山と欲しがっています。

この金銭の<やり取り>も、全て人がやっています。最近は、自動販売機のような機器で設定されていれば、直接には人の手を煩わせない場合もあるでしょうが、準備には<人の手がかかって>います。

 

細かく見詰めていくと、人間は自分一人ではありませんね。

家庭の中を見渡すだけでも、IT文明・文化とか言ってですね、テレビ、電気冷蔵庫、電気掃除機、冷暖房、パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、などなど、機器のみならず新しい文化が生まれて来ているのでしょうか・・・・。

人間の生身の生活する人々にとって、格別に便利さは増えて来ていますが、一方で人間の心の歪化も顕在化して来ました。

大変な時代が、来たようにも思います。

 

人の生活様式は、自分の眼前を眺めて好きな物や好きな人達と一緒に、というのが日常生活のようです。

他人よりも、自分が大切ですね。

その気持ちは、充分に分かります。

 

自分という人間が、よく言われる{ナルシスト}、{エゴイスト}ではなくて、人間像全体を見詰めて生きて行ける、それなりに調和できる人であって欲しいです。 

<<人生>>人生への理解(14)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 10 日 金曜日

人が生きる事は、基本的には、衣・食・住があって初めて<生きる事>が可能なのです。

極論的に考えると、衣も・食も・住なども、全てが着たり、食べたり、住処の家も木製で有る以上は、使用前はどれもが<生き物>なのです。

 

サンゴなども、家庭などで飾ってはいますが、海の中で生きていた生物体ですね。

 

人間は、決して、誰一人として、自分だけで此の世を生きているのではありません。

全ての人が、地、水、火(太陽も)、風(空気も)などなど、又、自分達の周囲の生き物によって生きる・生かされているものでしょう。

 

真剣に考えると、<人間よ、驕るなかれ>と注意をしておくべきで、頭に叩き込んでおかねばならないですね。

自分だけの力で、人生を生きている訳ではありませんから・・・。

 

自然の掟の中で、人は、いや、動物や植物も、全ての生き物は生かされて生きていますね。

 

人が、毎日毎日生きている事は、生き物を殺生して生きている事になります。

そんな事はないと、言う人が居れば、そんな人の方が不勉強です。自分の生き様に対して、自分のやっていることへの自覚や自分感情に、大変に鈍感な人だと思われます。

また、人生、人の生き様を全く見ようとしない人です。

思い上がりも強く、悲しい人です。

 

人間は誰しも、此の世では一人で生きる事は、出来ません。

ですが、日常生活では、自分だけの力と努力で生きていると思っている人達のなんと多いことなのかと、心理士の立場から見れば、辛くて情けない{話}です。

自分の此の世での存在観、自己像、自分とは、一体にどんな人間なのかの観察は必要です。

 

人は誰しも一人では生きられない。自分の周り、この地球上に生物が居ないとすれば、人は何を食べて生きるのでしょう。

動物や植物が実在しているので、人は食事を摂取できるのです。お陰で、生きています。

 

また、生命の無い物、人は裸では日常生活を送れません。

金・銀・ダイモンド・などの自分を飾る装飾品ですかね、そういう物などを身に着けて自分の心を楽しませて人生を生きています(前述)。          

<<人生>>人生への理解(13)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 9 日 木曜日

人生は、色々な生き方があります。

仕事柄、動物や植物と縁深い人達も居られます。

また、趣味というか、好きで動物や植物などの世話をしている人達も見られます。

確かに、人が人生を生きるには、役割・趣味・睡眠・休息などと言われているように、役割意識が無いと駄目です。表現の仕方は、沢山とありますが・・・・・。

 

役割意識は、職業、仕事、ボランティア、などなどですね。

趣味も、確かに、必要です。人それぞれに、違った趣味、また、同じ趣味を持った人達が楽しく一緒に時間を過ごしたりもします。動物を飼ったり、庭を造ったり、盆栽に触れたり、料理、魚釣り、ドライブ、その他に沢山の趣味があるでしょう。

睡眠は、誰もが必要とするもので、睡眠なしでは、人生を生きる事は出来ません。不眠症、うつ病などの不眠では、大変な事態となります。

休息とは、寝る事ではなく、あえて言えば、人が煩悩を使わない時間と言っても良いでしょう。五欲と言いますが、あまり五欲に取り付かれますと、心は疲れ果ててしまいます。

 

動物や植物を相手に、人生を過ごす事が悪い訳ではありません。

仕事に関連しているのか、本当に可愛いのか・・。でなければ、人間嫌いだから動物など飼育して、孤独や淋しさなど自分の心を紛らわしているのは、危険であるかも知れません。

人生で人対人の心の交流で悩む事も無く、唯、動物や植物などが好きで・・・或いは、人間との付き合いで、動物や植物を相手にしている間に<自分の心の再生>を、自分では気づかずに計っている人達も多いものです・・・。

 

動物や植物を売買したりして、職業・生計を立てている、立派な職業も有る訳です。

趣味ではなくて、仕事というか役割意識でもあり、人生を生きるための手段でもあります。

 

勿論、生き物だけでなく、金・銀・宝石、果ては高価な衣装などの職業も立派にあります。

人は誰しも、宝石などには<眼を奪われ>ます。綺麗ですね。煌びやかですね。

面白い事が有るものです。人と{無生物体}との触れ合いであり、{癒し}となります。

人は、天然の宝石には<憧れの眼差し>を向けますが、人工的に作られた物には<輝きの眼差し>を向けないものです。不思議と言うか、面白い現象です。

 

人の心は、何処までも自然との<繋がり>を無意識的には求めています。自宅で温泉の湯を入れても、喜びません。たかが、温泉と言えども、温泉が湧き出る場所まで出かけて、初めて、人は疲れを癒して喜んで帰ってきます。また、現場に戻り働きます。