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2010 年 11 月 のアーカイブ

<<人生>>人生への理解(8)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 29 日 月曜日

人と人とのコミュニケ―ションが出来れば、人間はどんな職場へ投げ込まれても生きて行けるでしょう。

 

当方としても、「「読者」」が真剣に人生を生きる事が出来るように、しっかりと<本音>で大事な事柄を伝えておきます。この事については、人は一度は、自己探求が大切です。

 

先ずは、人間の欲望とは?? 考えてみる事ですね。

そして、自分の欲望を、自分には一体に<何が欠けている>のか知る事が大切でしょう。

簡単に表現するならば、{五欲}と言う言葉がありますが、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などと言われています。

自分には、そんなものは無いと言う人がいるでしょう。そんな人達は、まだまだ自分の心が見えていない人です。

何人も、上記の五欲の、全部とは言わないですが、それぞれ、立場やその時期によっても、この五欲は、人によって変化があるものですから・・・・。

見栄や虚栄心なども、全部が名誉欲に関わって来るものです。唯、唯、その「欲」が小さいか大きいかだけの問題ですね。

 

人は、自分以外の人に対して<気おくれせずに>誰とでも、気軽に話しを出来れば最高なのです。

しかし、そのような人達は滅多に見られません。人間は皆が、何がしかの心の葛藤を抱えて人生を送っています。

「欠乏欲」とも、言われます。この「欠乏欲」を持っていないと言う人が居れば、自分の心を、また、全く気づいていないのです。

 

人が人生を送るのは、家族生活が基本となります。これも、生い立ちの家族生活、母や父や兄弟姉妹等との心の絆をどれほど、幼い時期から築いて来たのだろうか、これが人間関係の信頼度の基本になっています。

 

親との{信頼関係}が、しっかりと完成されていなかったら、親以外の人達の他人との{心の信頼関係}は、上手く適応できないのだと思っても間違いないですね。

 

人対人で、今、少し触れましたが、人間には異性、即ち、男性と女性が居ます。思春期から~老年期を通して、この辺りが、また、大変な人生上での大きな関わり、分岐点ともなります。男性と女性の心の葛藤だけでも、犯罪が起こる場合もあります。  

<<人生>>人生への理解(7)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 26 日 金曜日

此の世に人として誕生して来たからには、いや、誕生する前から、そして、新生児、乳児、など時代を過ぎて、やがては大人になって社会で仕事しなければなりません。

何も仕事、或いは役割も全然としないで、人間世界を自立して生きるのは不可能ですね。

 

人が、人間社会で生きる事は、誰かと顔をつき合わせて生きるしかありません。

乳児の時から、お乳を飲ませてもらえずに、そして、母親に充分に面倒を見てもらえずに、乳児の時代から無意識的にでも、母親を拒否するまま育つ場合もあります。

 

幼児期になれば、母親は勿論のこと、父親に対しても、親の言葉使いや顔の表情、スキンシップなどで、親を信頼できるかどうか、これが、他人を信頼できるかにも関係してきます。

 

幼児の時から、親を信用できずに、友達も居ないために、動物などへ自分の心を向ける場合もあります。格別に幼い時は、植物によりも動物へ心を向ける場合が多いです。

 

勿論、子供達は、親が好きでも、動物へ興味を持つ事も当然でしょう。自分達の見知らぬ世界に目を向けるのは、当然です。親の代わりに、動物を依存対象としなければ、良いです。

親への愛情不足のためか、心の底での愛情欠乏のため動物に興味を引かれるかは、心の底では全くたくさんの問題が動いているので、本当に要注意です。

 

小学生や中学生では、本来的には、人間との付き合いが本格的に始まっていますので、どれほど、人対人との調和を自分で取れるかどうかが大きな問題ですね。

 

この対人関係の心の問題は、高校生や大学生になっても、必ず、後を引いて行きますので、幼少時から、この後の時代の生活で、人付き合いも厳しい程に大切ですね。

 

ある程度の年齢になれば、どうしても、人間は自分で働いて何がしかの金銭を稼いで生きる事が、誰にも必要なのです。人対人、人対環境については、後述しましょう。

 

人は、誰でも良いですが、可能であれば、自分の本音で話し合いの出来る人が、一人でもいいから、必要なのです。悲しいとか、嬉しいとか、日々の出来事でも、昔の出来事でも構いません。

本音で話せる友達が居ないが故に、人生の{苦}は起こりえるようです。

<<人生>>人生への理解(6)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 24 日 水曜日

人間嫌いの人達は、多くの場合で、動物や植物を飼育したり育てたりする場合も多いです。

 

勿論、多くの一般的に心身の健康な人達でさえ、自分の好きな動物を飼ったり、観葉植物として育てたり、また、動物や植物でもって人生で<職業として>働いておられる人達もいらっしゃいます。

日常の家庭生活や職場生活の後に、心の安定を取り戻すために、動物や植物を相手にしている場合では良い事で、何も言う事はありませんね。

立派な社会適応だと思われます。

こういう場合では、人対人の心の対話が十分に出来る人であれば、良いのですね・・・・また、出来る筈ですね・・・。

 

人間嫌いで、人との対話が苦手だから、淋しいから孤独だから、動物や植物を相手にして時間を過ごしている人達も、実際におられます。

彼等は、自分では、幸せに感じているつもりでも、心の奥底では、自分の潜在意識や無意識の心の世界を旅すると、結構と{今ある自分と自分の心}を理解できるでしょう。

 

こんな話をしておりますが、所詮、人間は、誰しも、動物や植物の恩恵を受けて<今ある現在の生活>が出来ています。

その事実を一般庶民も考える必要があります。時には、じっとゆっくりとでも、自分の人生を見詰めていると、自分の周囲で起こっている全ての事柄が見えてくる筈です・・。

 

殆ど全ての人達は、自分の眼前を眺めて、自分にとって都合の良いものを自分に寄せ集めようとするし、自分が嫌いな事や物や生き物からは離れて行こうとしています。

 

此の世に、母親と父親の因縁でもって誕生を受けた人生、どの年齢まで親の庇護のもとで自分が生活をできるのか、また、何時を{機}に親から独立して自分を生きてゆくのかも、しっかりと、自分自身に納得させておかねばならないでしょう。

 

人間が生きる場所は全てにおいて、あらゆる動物や植物が居て、そして、形こそ違っていてもあらゆる{無生命体}のお陰で恩恵を受けて、此の世で生かされて生きているのが、人の生命、人の人生であろうと思われる。

多種の動物や植物が沢山と地球上には、見られます。人が知らないところで、無限の恩恵を受けて生かされている事実も、知っておくべきでしょう。

人よりも、動物や植物を相手に生活をしている場合もあります。淋しい、筈です。

<<人生>>人生への理解(5)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 22 日 月曜日

人間として此の世に誕生するには、一人では不可能です。

誕生した以上、矢張り、一人で人生を生活するのは不可能です。

 

しばしばと、人間嫌いの人達に出会う事もあります。

 

本来的には、彼等も人間が好きではありますが・・・、自分以外の他人と気持ちを合わせるのが下手です。

本当に、心底と、人を嫌いと思うのであれば、その人は、誰の顔も見ないでよい深山の山奥に一人で住めば良いのですが・・・・・。人が嫌いだと言う人格の歪な人達は、決して深山の山奥に一人では住めません。

或いは、彼等は、絶海孤島の誰一人として住んでいない大海原の島に住めば、それで満足するのではないかと思うのですが・・・・・・・。

彼等は、そんな所は、あまりにも孤独感が強くなりすぎて住まないですね。孤独感が強い故、また、そんな生活は怖くて淋しくて出来ません。

 

俗に、人間嫌いの人達は、本質的には<人が好きです>けれど、自分以外の人達との付き合い方で、態度や会話などを如何にこなすかを理解しないし分かっていません。 

こころの底では、本質的には、人を好きです・・好きになりたいのですが・・無理ですね。

劣等感があまりにも強いですね。対人関係でもコミュケ―ションが充分に出来ない事を彼等は知っています。

劣等感=自分と他人を比較して、自分の方が<劣っている>という気持ちですね。

だから、自ずから、他人を避けて、自分の人生を暮らすようにもなります。

 

家族の中でも、学校の中でも、職場や社会環境の中でも、他人の皆と同じ心理状態を持てないので、何事につけても楽しくもないし面白くもないです。

引きこもり、登校拒否、出勤拒否、などなどは、歪な心が自分の内側に溜まっていったものでしょう。

 

歪な心が外側に溢れ出すと、非行や犯罪や殺生事件にまで進展して行くでしょう。

所謂、自分以外の他者を巻き込んで、褒められもしない出来事などが起こります。

 

時には、稀ですが、人間嫌いの人達から、素晴らしい物・事・文化など起こる場合がありますが、全体的には少ないでしょう。

せっかく此の世に生まれて来た以上は、楽しい人生であって欲しいです。  

<<人生>>人生への理解(4)・・・生態系・・・

2010 年 11 月 18 日 木曜日

「生態系」=英語では、エコロジ―と言われているようです。

分かり易く説明すれば、{自然の営み}など。或いは{自然}、{あるがまま}、人間が手を加えない、あるがままの状態と言えるでしょう。全世界、地球上の自然の営み、とも言えます。

ここでは、人間を除いた全ての生き物、植物や動物、単細胞生物などを含めて、無生命体の中での{自然の営み}と言うものかも知れません。

 

地球上のあらゆる場所で、人の目につく場所、人の目につかない場所などで、生存競争が繰り広げられています。

そして、地球上の自然が保たれてきています。

生存競争が良いとか悪いとか、ここでは言えませんが、弱肉強食の世界があって、地球上の調和が保たれています。

弱いものは、強いものに食べられて滅びる、ものでしょう。植物も、動物も同じですね。

 

さて、人間も本来的には、エコロジカルな生物=生き物なのです。

残念なことか、悲しいことか、誰が判断するべきかも現在のところ、判定しようがありません。

 

人は、「万物の霊長」だと言われていましたが、どうやら、大きな目玉と大きな視野で全世界を眺めて見ていると、本当に、人間の{愚かさ}も、嫌と言う程に目に飛び込んで来ます。

地球そのものを破壊、そして、地球上の植物や動物の絶滅種が出てきています。

以前より、地球上では、動植物は弱肉強食と生存競争のなかで、ある意味で、自然の営みが継続されていたのです。

所謂、生態系は、人間が手を加えない事で保たれていた筈でしょう。

 

エコロジ―(生態系)が、自然のまま保たれて来た事で地球上のバランスがとれています。

人間が直接に、手を出して動物を獲物にしたり、植物など刈り取ったりした事で、全体の動物や植物の保たれていたバランスに破壊をもたらして来ています。

 

人間が、「万物の霊長」だと言って、科学や技術など駆使して作った物、その作る過程で地球を破壊する物質が作られています。

大気汚染、水汚染、森林の砂漠化、地球の温暖化、フロンガスや数えられない程の化学物質、地下深く埋蔵しているエネルギィ―のオイルや天然ガス、核汚染、地球上の温暖化などなど、ガイアの里と言われますが、果たして、地球は生きているのか、それを壊しているのが人間ではないのでしょうか、人間は時には謙虚になり<自分を含めて、全世界>を見て欲しい。

そんな目を養うには、自分の誕生からの自己の心を、点検するべきでしょう。