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2010 年 10 月 のアーカイブ

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(5)

2010 年 10 月 18 日 月曜日

 とにかく、人間が誕生する前から、胎内においても、大脳が形成されていく段階で((何らかの記憶))が、蓄積されるとも思われますが??? 如何でしょうか・・。

勿論、何らかの記憶が蓄積されても消えていくのでしょう。

「「海馬」」も「「側頭葉」」も、また、「「前頭葉」」でさえ、十分に成長していないから、人間が幼児から大人になっても{{記憶}}の無いその事は、無理ではない話でもありましょう。

時折に、自分の「「「前世」」」が分かるなんて言う人もいますが、御自分の思い込みや、自分以外の他者への<<洗脳>>とか、相手の前で<<面白くさせる>>とか、色々な場合があるでしょう。

 

 勿論、当方は、「「自分の前世が分かる」」と自己主張する人達には、そうですかと{{その話}}を聞き入れておくだけです。

いずれにしても、今回、当方が話をしたかったのは、人間の「「記憶」」にも様々な種類の「「記憶」」がありますが、大脳の「「海馬」」から「「側頭葉」」とかの話もありますが、まだまだ、今後の研究にて人間の{{記憶}}が大脳のどの部分に明確に記憶されていくかは、変化していくでしょう。

「「海馬」では、古い{{記憶}}は残らないとも言われます。

「「側頭葉」」に、古い記憶が残されるとも、言います。

 

 それほどに、人間の「「記憶」」が大脳のどの部位に蓄積されるかは、研究をしても大変に難しい分野のようです。

 もっとも、難しいものです。

人間の大脳を簡単に切除、切ったり縫ったりするものではありませんからね。

人間の癲癇の手術での医師の体験から、少しの事実が記載されてはいますが、詳細な研究にはならないでしょう。

今後の医療や心理学の世界で「「記憶」」については、解剖学的には如何なる結論がなされていくのか、大変に困難でありましょう。

{{こころ}}の世界、格別に「「心理療法」」の世界では、「「記憶」」の場所が何処であろうと、あまり関係ないのかも知れません。

 

 自分の{こころ}}を解きほぐすために、唯、自分の通り過ぎた<<生い立ち>>の過去の足跡を素直に歩いてみる事しか有りませんね。

素直に「「懺悔」」なんて言っても、普通の方達は案外と自分の過去の心を点検しないし、点検する度胸を持ち合わせていません。

そこで、当方が、考え出したのは、「「こころ洞察法」」=「「マインドサ―チセラピィ―」」と言って、あまり無理をしない状況から少しずつ自分の{こころ}の世界に入っていく方法なのです。

いきなり、「「内観」」と言っても、直ぐに、「「懺悔」」を正直に人間は行なわないところが、悲しい「性」であり「業」でしょう。 

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(4)

2010 年 10 月 15 日 金曜日

 何度か繰り返しましたが、まだまだ「「記憶」」と大脳の部位については明確でなく、唯、大脳の一箇所に限られたものではないようです。

当方、「「海馬」」「「海馬」」だと言っていましたが、最近は、少し違って前頭葉から入った刺激が「「側頭葉」」にも残ると言うのです。

格別に、比較的新しい記憶は「「海馬」」で、古い記憶は「「側頭葉」」とも言われるくらいですが、これも、まだまだ、今後の段階や研究の段階で違って来る可能性もありますね。

人間が作り出したものが、大空を飛ぶようになりましたが、まだまだ、人間の真実なる大脳の記憶装置の場所が不確定なのですから、悲しいかな、面白い現象でもありましょう。

 

 人間の大脳によって、「「天才の人」」もいるし、「「天才でない人」」も居るでしょうから、一つの事象だけを取り上げても、凄く興味あると言うか人間世界は不思議な世界ですね。

面白いもので、人間の技術??も変化して行きます。

「「記憶」」は側頭葉を通って「「海馬」」へ記憶するが、それも比較的に短期で「「海馬」」から離れて行きます。

「「海馬」」から、再び、側頭葉に記憶されたものは、長期間にわたり{{記憶}}として残ると言われています。

「「海馬」」から、側頭葉に記憶されなかった記憶は忘れ去って行くと言われてもいます。

「「記憶」」は前頭葉を通って側頭葉に記憶されるとも言われますし、一体に、全体的に明確に「「記憶」」が如何なる種類がどんな形で記憶されているか、まだ、不確定のようです。

 

 「「記憶」」になる事柄や人間関係にも沢山の種類が有りますし、全て同じ場所に記憶されるのかと問われれば、これも、大変に難しい問題になってくるようです。

当方、人間の記憶は全てが「「海馬」」に残ると、この{{閲覧文}}に記載した事もありましたが、こと、「「記憶」」と「「記憶」」の大脳装置の場所については、まだまだ、難しい問題があるように今後の未来に残されているようですね。

人間の考える大脳生理学や大脳生化学などについても、当方が感じて思う事は、昨今では、本当に大変だと実感しています。

人間の考える事柄が、未来の時代・時代によって変化するのですから、大変でしょうね。

人間の生い立ちからの過去の「「記憶」」が、自分の大脳のどの部分に「「記憶」」として残されているのか、これが、また、時代によって変化するのですから大変でしょう。

 

 当方の最初の{{閲覧文}}には、人間の生い立ちの過去の「「記憶」」が、大脳の「「海馬」」に蓄積されて残っています。

「「海馬」」に蓄積された{{記憶}}を手繰り出して、自分の過去を再解釈するのが最良だと皆様に伝えています。

最近は、あまりにも人間の{{こころ}}は綺麗にならないので、本来的には「「懺悔」」だけで良いのですが、この「「懺悔」」→自分の過去を見つめる行いをしませんから、人間世界は、何時までも大変でしょう。

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(3)

2010 年 10 月 13 日 水曜日

 人間が、自分の過去を回想して「「懺悔」」などと、簡単には表現で

きますが、真実に大脳のどの部分が如何なる状態で細胞単位や或いは細

胞群が動いているのかは、まだまだ、不確定ですね。

当方、簡単に「「海馬」」だと伝えた{{記載文}}も書いていますが、「「海馬」」だけで考えてはいけないようです。

しかし、己の過去を回想してから、「「反省」」とか→「「懺悔」」に到る過程は、何処までも自分の過去を掘り起こすのが重要でして、「「海馬」」に拘らずに大脳のどの部分でも良いから、過去を振り返りましょう。

 

 そう、極端な表現になるでしょうが、大脳の何処の部分を使っても良いでしょう。

 間違いないのは、前頭葉だけは使用しなければならないでしょう。

前頭葉を通して、過去の記憶にまで、自分の意志が届いてからが出発点となるでしょう。

「「海馬」」~「「側頭葉」」、その他の明確な大脳の記憶場所は明確でありませんが、これよりも奥深い「「記憶」」の場所は、今後の生理学者に任せておきましょう。

これからの未来において、何時のこと、何処まで「「こころの記憶」」と大脳の記憶装置の「「場所」」が明確になるのかは、当方にも厳密には不確定でもあるように思われてなりません。

 

 「「海馬」」だと言っていましたが、最近では、「「海馬」」は比較的に新しい過去の記憶が蓄積されており、その後は側頭葉に記憶が古くなれば記憶されて蓄積されていくともいう話があります。

まだまだ、今後において、更に、明確になって来るのだろうと思われる段階でもあるようですね。

どちらにしても、人が「「過去の記憶」」を回想する場合、前頭葉を使用して過去の記憶に達しなければ無理である事には間違いありません。

前頭葉を使用して、未来だけを考える事は大変に{{人生を生きる事に無理}}があるので、「「過去を振り返りながら、自分の心・性格・人格などを確認しながら」」、自分の前方を見る事で、ありましょう。

 

 自分の力量・実力・能力などについて明確に知っておかねばなりませんが、「「過去を振り返らない限りにおいて・・・」」、そんな自分の{{こころ}}を知る事が不可能ですからね。

人間の「「過去の記憶」」って、沢山の思い違いもあるし、後から考え直すと<<もう少し別の考え方>>をしなければならなかった、などと、様々な考え直しが必要だったと気づくのでもあります。

この「「新しい気づき」」が最高に、大切ですね。

そして、「新しい気づき」を得る事で、人間の人格は変化していきますし、新しく「再生」と「新生」を得て生まれ変わって生きていけます。

「「記憶」って、大事なものですから、再解釈しておきましょう。 

<<質問、他>>ブログへのコメント3

2010 年 10 月 12 日 火曜日

<<質問、他>>ブログへのコメント2 # 霜月 より

こころの世界が楽しいと話される先生の、こころの中はきっと大きく深く広いのでしょうね。昨日も、突然の出来事があって、私は動揺しまくりな心境でした。一生懸命、整理してどうにかしようと思う気持ちで行動していたのですが・・・。今でも胸の中がもやもやした状態です。1日経って、ようやく心も落ち着いてきたようです。また、先生の返信を見させて頂き、とても安心さを感じることができました。今日もほどほどに頑張っていきたいと思います。

 

メンタルヘルス研修所 所長より

そうですね、人間世界に生きておりますと、何時も楽しく時間を過ごしたいと皆さんは、考えているでしょう。

霜月様だけではなくて、人間の無意識的な「「願望」」でしょう。

強烈に自分が{{喜び・楽しみ}}を求めていても、人間は自分の無意識で動いている{{こころ}}の気づかない場合が多く、全く気づかないままの事も多々あります。

自分では、暗黙の暗闇での「「無意識」」の{{こころ}}に強迫されいるのに、明確には知る事ができません。

自分が一人では、暗黙の暗闇の世界を散策できないし、仮に、自分で「「無意識」」と「「潜在意識」」の世界の{{こころ}}の旅は沢山したと自慢しても、思っても無理な世界が有るものです。

人間世界を生きていますと、自分の都合の良い事、好きな事ばかりだけが、自分の傍に有るものでもありません。

また、必ず、自分が人生の{{滅}}に至るまでには、悲しかった事、苦しかった事、憂うつになるような事、怒りの気持ち、やきもちの気持ち、劣等感を感じる気持ち、また、逆に、優越感、自分が賢い&偉い、優秀、他者と比較しても秀でている気持ち、などなど、色々様々な{{こころ}}が動きます。

自分の{{こころ}}を安定させるためには、自分の「「死」」を悟り受け入れる事ですが、これは、「「無常観」」と言って普通の方達、お住職さんにも結構と悟れない心身の{{{世界}}}ですね。

大学病院の教授の先生方も、「「無常観」」までは、悟れません。

当地に講演で来られた大学教授で心療内科の先生が、自分も悟れないし、お坊さんにも悟れないと言っていたのを記憶しています。

「「無常観」」→「「無我」」→「「涅槃」」にまで、入れます。

自分の「「死」」を喜んで受け入れる事ができれば、世の中を生きるのに、あまり苦労を感じる事も無いでしょう。

最後に、今回の結論は、人生を生きる場合では、時には、悲しい事や嫌いな事柄が自分を襲って来る場合が有るのは、当然の事です。楽しいこと、嬉しいことを自分の{{こころ}}に溜め込んでいると、気楽な人生にもなるでしょうが・・・・・

厳密には、自分の「「過去のこころ」」を整理しておく方が、それなりに、早い解決法になるでしょう。

「「無常観」」なんて、簡単なようで、100%難しいですからね。

以上、また、次に記載しましょうね。

また、ブログを、お待ち致しております。

コメントなり、御質問なり、大丈夫ですから、御安心を下さいませ。

<<質問、他>>ブログへのコメント2

2010 年 10 月 8 日 金曜日

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(2) # 霜月 より

記憶について、もっと明確になれば記憶の操作(よくドラマや映画でみた)のような事が可能になったりするのでしょうか?ふと思ったことですが・・・。まあ、そうなったとしたら都合良く生きようとする人間が増え、人間自身が衰退していくように感じます。 ・・・となると、人間が感じる苦痛だった記憶は、決して悪いものではなく、苦痛から喜びに変わらせることができる人間だったら、きっと人生は満たされたものになるのでしょうか?。 記憶をどうみるかで、人の生き方って様々なものなんだろうと思いました。やはり固定観念にとらわれずに、物事を色々な側面からみれれば、もっと心もうまく操作できたりするのでしょうが・・・。自分には難しいことですで(泣)少しでも気楽に生きるようになるためのコツってどのようなものがありますでしょうか・・? すみません。ちょっと文章がまとまりにくかったです。

 

 メンタルヘルス研修所 所長より 

コメント&質問など、有り難うございます。

そうですね、自分の記憶を好きなように操作できれば、人生を生きるのが気楽になるでしょう。

ドラマや映画などは、人間が作り上げた別世界の、創造とイメージの世界ですからね。

都合の良い人間、衰退する人間など、との事ですが、・・・・・考え方によっては、今の現在が小さな地球上で人間が「「幸福に生きているか」」と問われれば、どんなになるのでしょう。

悩みとか、苦しみとか、抑うつ気分とか、苦痛とか、色々様々な感情を体験してから「「再生」」できた人間が良いような感じもします。

苦痛の無い人間には、本当の楽しみも理解できないでしょう。

また、自分以外の他者の気持ちをも理解してあげるのが、難しいでしょう。

記憶は自分の中、内側に有るものであり、大脳の中にあるものですから、何処まで、自分の記憶を深く手繰り出して如何なる「「回想」」をするか、できるかでしょう。

「「苦痛」」から「「喜び」」には、いくらでも変えられます。

また、人生を満たされる人間にも、自分の{{こころ}}を自分で満たすように、{{こころ}}の成長は簡単にできるものです。

そうですね、自分の「「記憶をどう見るか」」ですよ。

それでも、人間って、幼い頃から、「「固定観念」」が自分の頭に入り込んでいますから、その「「固定観念」」を如何に解釈するか、人間の一生で最高に大事で大切な過程ですよね。

{{こころ}}の世界って、素晴らしく楽しいもので、また、面白いものです。

「「因縁」」→「「宿命」」→「「運命」」→「「天命」」・・・などとの言葉も有ります。

だが、難しい言葉??は除いておいて、唯、素直に自分の「「過去を振り返る」」、それだけですね。

少しだけ、注意が必要なのは、自分勝手に自分の方法で「「過去を振り返らない」」事が大事です。

必ず、自分の記憶を、自分で変える事ができます。

自分の過去の記憶は、いくらでも、変わりますから、御安心を下さいませ。

「「器」」の大きな人間に、なりましょう。